1月3日 箱舟の子どもたちの初詣

 神などいない、というのが、”魔王陛下” の持論だった。
 わけも分からぬまま理不尽に100年間もの迫害と放浪を押し付けられたことを斟酌すればその結論に至るのも道理であろう、と聖は考える。一応はクリスチャンの身であるものの、聖だってまさか神の存在を現実のものとは思っていない。避けられない死の恐怖からの逃げ道、或いは規範意識の拠り所。宗教や神というのは、平穏を望む人々が生み出した、悪しきモノ、脅威への対抗策。これが聖の導き出した結論だった。よく出来たシステムだと感心する。……と言うと信心がないように聞こえるかもしれないが、そういうわけではない。幼少期より両親に連れられミサに通った記憶は、聖の中に神の存在をしっかりと刻みつけていたのだから。
 だが、古い伝承によって、もしくは困窮によって実の親から虐げられ、”魔王陛下” の手で救われた桜と十兵衛には『神様がいない』。聖がそのことに気づいたのは偶然だった。幼い彼らは聖書も礼拝も知らなかったし、教えてもピンとこない様子で。聖はそれを非難しようとは思わなかった。ただ。

  

   * * * * *

  

 初詣、という慣習があるらしい。
 友恵がいつかの年初めに語ってくれた日本の文化は聖にとって新鮮で、興味深いものだった。機会があれば自分も一度行ってみたいものだと、そんなことを考えるくらいには。結局機会は訪れないまま何度も新しい年を迎えて現在に至るのであるが。
「あれ?」
 異能者集団 ”ノアの箱舟” は暦が一周回ったくらいで浮かれることのできる集団ではない。いつも通りの朝食を平らげ、各々次の公演に向け準備に取り掛かろうとしていた。そこから静かに出て行こうとした友恵を、桜が視界の端に捉えたのだった。
「お姉ちゃん、どっか行くの?」
 ともに朝食の片付けをしようとしていた理仁や十兵衛も、友恵に気づくと首を傾げた。雰囲気が違うのはわかるが、理由がわからなかったのだろうと聖は推測する。
 気づいたのは天才的な観察眼の持ち主である聖と、普段からファッションに敏感な年頃の桜だけだ。
「なんかいつもより綺麗。あ、違う、いつもキレイだけど今日はもっと綺麗」
「ありがとう。ご挨拶に行くから、少しだけ粧し込んできたのよ」
 わざわざ言い直すあたりに桜の律儀さを感じつつ、聖も「へぇ」と会話に加わる。「近くに誰か知り合いとか?」
「いいえ。でも、当たらずしも遠からず、かしら」
 暇ならついていらっしゃい、と同行を許可されたので、面白そうだと桜が駆け出し、それに引き連れられるように十兵衛が続く。暇だからと聖も歩き出し、その後ろを理仁が追う形になった。
 友恵の目的地はテントから五分ほど歩いたところにあった。立ち止まったそこは周囲に木々が茂っている中で小さく開けた場所で、踏みしめた緑は絨毯のように柔らかい。既に高く昇った陽光が差し込み、ここだけがなにか特別な力で守られているような、そんな物語じみた感想を聖に抱かせた。
「今年はここで初詣をしようと思ってね」
「はつもうで」
 友恵の言葉を、言葉を覚えた鳥みたいに桜が繰り返す。桜も話を聞いたことくらいはあるのだろう。静かなだけでなにもない土地を不思議そうにくるりと見回した。
「なにもないけど?」桜が至極当然の疑問を口にする。友恵は問われることを想定していたのだろう、にこり微笑んで。
「なにもなくていいの。神様さえ居なくていい」
「祈るのに神様がいなくていいんですか?」
 十兵衛も面食らったようで。それは聖も理仁も同じだった。
「だって私たちに神様なんていないでしょう? もちろん聖の信教を否定する訳では無いけれど。神様が人間を守ってくれているだなんて、みんな本気では信じていないでしょう?」
 この女性は時々、聖たちの常識とか道徳とかからぶっ飛んだことをさらりと言い出す。相手が相手なら刺されそうな問題発言になりうることも。
「でもね、それでも私は思うのよ。これまで私を導いてくれた、貴方達と引き合わせてくれて、仲間達と新しい年を迎えさせてくれた、そんな存在がどこかにいるんだって。死と隣り合わせの毎日をどうにか避けて通してくれる力は、確かにどこかにあるんだって」
 そう言うと、友恵は静かに両手を合わせた。桜と十兵衛が見様見真似で同じポーズを取っているのを、理仁と並んで後ろから見つめる。
「……お前は? なんか祈っとくか? 魔王が祈るってのも変な話だが」
「……オレは、神などいない、と彼らに言った」
「相手は神さんじゃないらしいぜ? なんか礼言っとけよ、今のところお前が一番危なっかしいのになんだかんだ五体満足で過ごせてんだから」
 聖もそっと瞼を閉じる。奇跡みたいな偶然が重なって、彼らと出逢い、生きてきた。きっとそれは自分たちを見ているなんらかの力の作用で、それが別に神様でも神様でなくても、どちらでもいい気がした。
 神様がいない彼らにとって、その”なにか”の力が、彼らの希望となることを。
 聖は十字架も聖歌隊もない静かな森の中で、心から祈った。

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