魔王陛下の食卓の音楽

  

 室町友恵は、今月の健康診断結果からある一名のデータを取り出し、それを確認して、はぁ、と深いため息をついた。
「これは、なんとかしなければならないわねぇ……」

  

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

  

 ある日の昼。表向きは移動興行集団、その実態は諸々の問題を抱えた異能者の集まりである“ノアの箱舟”では、団員全員で大テントに集まっての食事が習慣となっている。
 その中で、あるテーブルに固まって座っている、青年と少年と、少女。
「聖さん、すみませんけどそっちのお醤油取ってもらえます?」
「はいよ。しかしジャパニーズはなんにでも醤油かけるんだな……」
「聖はなんにでもバーベキューソースかけるわよね、ドバドバと」
「あれをかけねぇと味がしねぇな」
「アネキもたまご焼きにお醤油かける?」
「あー、アタシはいいわ。っていうか食べきれないから十兵衛食べて」
 桜の目の前のプレートから、ほぼ手付かずのたまご焼きが隣の十兵衛のプレートに移動する。十兵衛は「お、ありがと!」と嬉しそうにそれを受け取った。
 聖は呆れたように桜を見た。
「お前なぁ、朝もどっか出掛けてて食ってねぇし、昼のパンも誰かにやっちまったし、たまご焼きまで十兵衛にやっちまったら、サラダしか残ってねぇじゃねぇか。いくらなんでも栄養不足するぞ?」
 桜はむすっと唇を尖らせて反論する。
「だって、お腹空いてないんだもん。残したら捨てられちゃうんだから誰かにあげたほうがいいじゃない」
「お前まだ十代だろ、身体を作るためにはバランスの良い食事がなぁ……」
「まぁ、アネキの食の細さは昔からですし。もうこれだけ身長あって、いつもあれだけ元気に動き回れるならいいんじゃないですか?」
 十兵衛がたまご焼きを頬張りながら桜を援護する。
 桜は「そーよ、育ち盛りは過ぎたし、エネルギー効率もとってもいいのよ」とそれに乗っかる。
 聖は興味なさそうに「そうかよ」と食後のタバコを取り出して咥える。
 何気ないやり取りは、常であればそこで終わるはずであった。

「でもね、桜。さすがに食べなさすぎよ?」

 桜がビクリと背筋を伸ばす。十兵衛と聖も突然現れた女性に一瞬身構えた。
 音も立てず、いつの間にかテーブルのそばに立っていたのは、高価そうな着物を隙なく身にまとい、にっこりと微笑む室町友恵。「聖、大テントでは禁煙よ?」と釘を刺してから、空いた隣の椅子に腰掛ける。聖はなにも言わずにタバコをケースにしまった。
 室町友恵。“ノアの箱舟”の副官であり、団員全員の母のような存在である。彼女の言葉に逆らえる団員はいない。団長である六角茂信でさえも、友恵の意向を無視することはできない。見た目は妙齢の美しい女性だが、実の年齢は誰も知らない。誰も聞けない。そんな女性である。
「……お姉ちゃん、どうかしたの?」
 桜がおずおずと訊ねる。友恵は桜にとっても「人間らしく」生きていくために必要なあらゆる知識と、「戦士として」戦う術を教えてくれた恩人であり、尊敬と親愛を込めて「お姉ちゃん」と呼ぶのが定着している。
 反対に、友恵が「お姉ちゃん」と呼ぶのを許している相手も、桜一人である。友恵にとっても、問題だらけだった幼い桜を特に気にかけて世話をしたから、団員の中でも特別な存在なのかもしれない。
 そんな友恵は、ふぅと息をついて、懐から一枚の紙切れを取り出す。
「なにそれ?」
「今月の健康診断結果。貴女のはちょっと問題があったから、注意をしに来たのよ」
「問題?」
 食事を終えて、人が少なくなってきたので、友恵は問題の箇所を読み上げる。
「烏丸桜。体重、4*.4キロ」
「へっ?」桜は十兵衛と聖を交互に見てわたわたと慌て出す。友人達の前で体重をバラされた年頃の女子としては当然の反応である。
 十兵衛は苦笑いで「聞かなかったことにするから」と桜を気遣うが、聖の方は問題の重大性に気づき、眉をしかめる。
「おい、桜。身長、結構あったよな?」
「身長は、172.9センチね」
 友恵が答える。
「ってことは、BMI、17切ってるじゃねぇか」
「BMIってなに?」
 桜が首を傾げる。彼女は(同じく団員である黒髪金眼の不老不死男ほどではないにしても)、ときどきものすごい常識知らずだったりするので、聖は頭をガシガシと掻きながら説明する。
「体重を身長の二乗値で割った肥満度を表す指数だ。18.5から25あたりが普通体重だな」
「え、聖あんた、それを暗算したの? 怖……」
「怖いのはそこじゃねぇ‼ お前の体重だ‼ 軽すぎるんだよ‼」
 聖が思わず立ち上がって大声で怒鳴った。一瞬、テント内にいた団員達の視線が集中したが、いつもの問題児たちが音源であるとわかると、関わるまいとそっと立ち去った。
 BMI云々はよくわからなかった十兵衛も、「体重が軽すぎる」と指摘されてようやく理解が追いついた。
「まあ、確かにアネキは痩せ気味だとは思ってましたけど。アネキの身長だと、健康的な体重ってどのくらいなんですか?」
「そうね、65キロくらいかしら?」
「痩せ気味どころじゃねぇよ、痩せ過ぎだ」
 一瞬ヒートアップした聖も、平静を取り戻して椅子に腰掛け直す。
 友恵も困ったように笑う。
「まあ、健康的な体重というのは、女の子だとちょっとふっくらとしたイメージもあるわね。年頃の女の子はもう少し痩せたいと思うのかもしれないけれど。それにしても、桜の場合は健康に不安があるレベルだわ」
「うぅ…… アタシすごい元気だけど……」
「そうね、今のところ健康ではあるけれど、なにかあった時が怖いの。いつもより疲れたとか、感染症にかかったとか、熱が出たとか、そんなときに健康のバランスが崩れてしまうかもしれないわ」
「……」
 桜は言葉に詰まる。彼女は、怒鳴り合いならば勢いで押し切れるが、理詰めで話をされたときに反論するだけの知識は乏しい傾向にある。
「そういうわけだから、聖、十兵衛」友恵は立ち上がり、二人の名を呼ぶ。
「なんスか、友恵サン?」
「桜の体重を増やすために、友人である貴方たちの協力は不可欠よ。ついでにどこかをほっつき歩いている理仁も連れてきなさい。作戦会議をします」
 十兵衛は素早く立ち上がって、「魔王様を探してきます」とテーブルを離れた。
 聖も「よっこいしょ」と重い腰を上げ、「一服してから参加しまーす」と立ち去った。
「桜。わかったら、そのサラダだけはちゃんと食べ切りなさいね」
「はーい……」
 友恵は桜にそう言い含めてから、テントを出て行く。
 テントに一人残された桜は、まだ小皿に半分ほど残っているサラダとの格闘を始めた。

  

  

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