お口直しにレモン・ソルベを

  

「見慣れませんね」
 思わずこぼしていたそれは、今夜限りのパートナーへ贈るには少々、否、かなり礼を失した台詞であった。数秒考えてから言い直す。
「似合いません」
 ……むしろ悪化した気がした。

   

  『お口直しにレモン・ソルベを』

  

 ビッグ4の傘下にある組織から報告があったのは一ヶ月前。『取引先に怪しい動きをしている団体がある』という。No.4が潜入調査したところ、なんてことはない、新しいドラッグの密売だった。その程度であれば放っておくのが常であるが、今回ばかりは事情が違った。
『相手を選ばずに売りつけてるみたい。ビッグ4内部にも手を染めたバカが出たよ、一週間ちょいで死んだけどね。ババアによると、Sn細胞に強く反応するクスリなんだってさ。一般人ならほろ酔い気分と全能感が少し続く程度だけど、異能者だと異能力の減退、幻覚・幻聴と妄想でパニックに陥っていずれショック死する。中毒性もかなり高い』
『気に入りませんね』李が報告書を白い指で弾く。風音はそのすぐ側で、ひらひらと舞い落ちる白い紙を睨んでいた。『お仕置きが必要です』
『どうする?加納さんのグループ経由でお巡りさんにチクってやっつけてもらう?』
『加納さんは佐倉亨の件でマークされています。しばらくは身を潜めて頂くべきかと』
 自らの失態で加納まで危険に晒してしまった、苦い記憶が蘇る。それを振り払って発言を続けた。
『適任者に心当たりがあります。私にお任せ願えませんか』
『……最近お気に入りの、彼ですね?』
 李は口元に指を添えた。思案するときの彼の癖だ。
 No.4が引き継ぐ。『今回なら風音ちゃんも安全なんじゃないかな。今度、団体の所有する小さな島の洋館でかなり大きい取引を行うらしい。表向きは個人主催のパーティだから警察も手を出せないでいる。貸しを作っておくといいよ』
『本来であれば、あまり関わり合いたくないのですがね。私はどうも、彼が苦手のようです』
 心配性の首領は、しかし最後には承諾した。
『まあ、所詮はただの人間です。千里眼を光らせておきなさい』
『承知いたしました』
 No.4がこっそり歯を見せて笑ったので、微笑み返した。彼なりに、風音の汚名返上を応援してくれているのがありがたいし、素直に嬉しい。
 さて、用立てるのは日本行きのチケットとドレス。招待状はNo.4に任せるとして。『彼』のクローゼットに相応しいスーツがあるだなんて考えられないから、数着こちらで用意しておこうか。
 千里眼は次の日の深夜、渡日した。

 

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 エスコートを依頼するからには、目立ち過ぎず、同時に品のある装いで。生地は風音が選んだ白で、カフスは李が懇意にしている細工師に依頼したもの。ビッグ4による制裁がこちらの目的なのだから、協力者として選んだ彼にも、流儀に従ってもらうつもりだった。
 しかし会場に現れたのは、まさに「礼服に着られている」状態の彼で。思わずこぼしていたのが、冒頭の失言。
 似合っていないというか、柄の悪さとか目つきの鋭さとか彼を作るいろいろな要素が、礼服と見事な不協和音を奏でている。とにかく目立つ。悪い方向に。
「落ち着かねぇ……」
「スリーピースなんて選ぶからです」
 着用しただけでぐったりしている彼に着せ替え人形のような真似をさせる趣味もなかったし、なにより開宴の時刻が迫っている。今回ばかりは妥協しよう。風音は早々に諦めた。
「まあいいでしょう。この会場には薬物のバイヤーと、警察の目を欺くための一般客が混在しています。咲田さんのお目当ての人物は、あそこ」
 視線だけ向ける先には、会場で一番大きなテーブルにつき、にこやかに挨拶に応じる初老の男。
「ブツは?」
「別室です。そこで選ばれた数人と取引を行うようです。別室に入るには、……既に何名かが胸に差しているでしょう、あの白いバラのコサージュが入場証になるようです」
 目の前を通り過ぎていった若い男の胸ポケットには、白いバラが咲いていた。咲田はそれを視線だけで追う。
「……で、あんたはどうするつもりだ」
「そうですね。善良な一般市民として情報は提供したので、あとはお巡りさんにお任せしようかと」
「善良な一般市民はここまで来ねぇよ」
 至極真っ当な突っ込みは、男の影が風音に近づいたことで掻き消えた。男はにこやかに一礼すると、「どうか一曲」と風音に手を伸ばす。
(どうする)
 咲田の見ている前で、風音は男に軽く右手を預けた。……本当に、咲田ひとりに任せる心積りらしい。
「ああ、失礼。お嬢さんのお連れさまかな?」
「いいえ。ちょっとお喋りしていただけ」
 それでは、御機嫌よう。
 借りてきた猫の分厚い皮を即座に身に纏い、少女のあどけない笑顔で応じる様はいっそ圧巻である。この潜入に乗じて、今後の活動の役に立ちそうな人物を見繕うつもりか。うら若き乙女と軽率に近づいて、彼女に「目」をつけられる人物は憐れだが、咲田の知るところではない。
 開宴の合図、楽団による演奏とともに、風音は動き出した。

 

   ✿.*・✿.*・✿.*・✿.*・

 

 ダンスは得意だ。最初は李による教育の一環として指導されたものだったが、年若い少女というだけでボディ・チェックが甘くなることに気づいてから、この手の集まりにおけるひとつの武器として、自らの骨身に叩き込んだ。あとは、いつもより少しだけ甘い声と拗ねるような視線で、相手を引き込むだけ。
(私の相手がつまらないの?)
 そうやって、ほんの少しの挑発も込めていじけて見せれば、引く手が途絶えることはなかった。それこそ、小一時間踊りっぱなしの少女を気遣おうとした輩すら、もう一曲だけ、と手を伸ばしてくるのだから。幼い頃に連れていってもらった、池釣りみたいで面白い。
 容姿に特段優れたところがあるわけでもない、ごく普通の小娘に踊らされている彼らが、風音自身の目にはなんとも間抜けで不可思議に映った。
 演目の切れ間に目が合ったのは、宴の主催者に付き従っていた組織幹部。
(顔、知られているわよね……)
 逡巡したのは一瞬で、一呼吸飲み込めば足は軽やかに彼の面前へ向かう。相手から白手袋の手が差し出され、風音はその上にそっと手を重ねた。音楽に合わせ囁くように会話する。
「旦那様はお元気?」
「ええ、レディ・クレアヴォイアンス。お会いできて光栄です。よろしければ主人から、一言御挨拶をさせて頂きたく」
(親玉と、ねぇ……)
 微笑みを絶やさぬまま、彼の意識に眼を向ける。なかなか面白そうなシナリオが、そこにはあった。
「そうね、御挨拶もなくお暇するわけにはいかないわ。ご案内願えるかしら」
 ちらり。
 遠く離れた彼と、視線が一瞬だけ絡む。合図はそれだけで十分だ。
「それでは、これを、」
 男から白い薔薇を受け取り、風音は会場を後にする。
 絡んだ視線の先で、男はふぅとため息をついた。

 

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 目が覚めたのは暗い…… そして狭い、檻の中。
 手枷と、そこにじゃらじゃらと繋がった鎖が鬱陶しい。相手のシナリオに乗ってみたはいいが、この扱いはなんだか少しだけ癪だ。
 檻を覆う黒い布の向こうで、耳障りの悪い男の声が高らかに響いている。
『今宵は面白い賓客もご登場します。ビッグ4の特殊工作員、クレアヴォイアンス!』
 ばさり。黒い布が剥ぎ取られ、檻の向こうにこれといって特徴のない顔がいくつも並んでいる。
 挨拶でもしてみようか、なんて平和なジョークが頭の隅を過ぎった。相手のシナリオ通り、順調に事が進んでいる。
『いかがです、クレアヴォイアンス。これだけのお客様にお集まり頂けたのです。我々の新製品、ビッグ4のショーケースに並べていただくことは』
「お断りだわ」
 ぴしゃり。
 話の腰を折られた男は不愉快を顕に檻の天井を叩く。
『……これは失礼。貴女と取り引きしようとしたのが間違いでしたね。貴女はNo.1が気に入ったお飾り人形でしかないのですから』
「誰と交渉したところで同じです。我々ビッグ4が、異能者の品位を貶めるだけの薬物の頒布に手を貸すとでも? ……ここにいる貴方がたのことも記憶しました。貴方がたにはビッグ4による制裁が待っているでしょう。と言っても、その前に豚箱に放り込まれるのでしょうが」
 会場がざわつく。誰かが震える足で部屋のドアに駆け寄った。そんなにみっともない姿を晒すくらいなら薬なんてしなければいいのに。もう遅いけれど。
 予兆もなくドアが開け放たれ、逃げ出そうとした男が尻もちをつき倒れ込む。
「……あんた、俺を振り回すことを自分の義務か何かだと勘違いしてる節があるだろ」
「まさか。未成年者略取犯の現行犯逮捕に協力したんです。善良な一市民として当然のことでしょう?」
 少女との間で飛び交う軽口が、この男が何者であるかを示していた。バイヤーたちが我先にと逃げ出していくが、追ってもきりがない彼らへの制裁は後に回す。
「覚悟してくださいね、おじさん? あのお巡りさん、目的のためならこの私すら使ってみせてくれる、とっても怖い人なんですから」
 檻の外で項垂れる男から、返事はない。
 風音が振り返ってみればなんてことはない。男は注射針を頸動脈に打ち込んだまま、気を失っていた。

 

   ✿.*・✿.*・✿.*・✿.*・

 

 現場に潜伏させておいたNo.4に風音の身代わりを用意させ、咲田の手で薬物を確認すれば、あとは警察に応援を要請しておしまい。後片付けはあっさり済んでしまった。
 船着場で仲間を待つ彼に近づいてみたら、ちょうどスーツの内ポケットから煙草のパッケージを取り出すところだった。
「……あんたの仲間だっていう男に引き摺ってこられたんだが」
 風音に気づいた咲田は、煙草を取り出す手を止めて口を開いた。
「ええ。あなたに会ってみたいと言っていたので、合図をして道案内をお任せしました」
「相当焦ってたぞ」
 焦る?と風音が首を傾げれば、咲田は深くため息を吐く。意識を覗けば答えはわかるだろうが、なんとなく、それはずるい気がした。
「……多少腕が立つからって、何やっても大丈夫だとか、その変な自信やめろ」
「あら、心配してくれたの?」
「危なっかしくて見てられなかったんだよ」
 苛立たしいとばかりに吐き捨てられたので、居心地が悪くなって視線を逸らす。No.4が席を外してくれていてよかった。李以外に叱られているところなんて見せられない。
 「ごめん」も「なんで」も言い出せないまま、しかしやはり、このまま別れてしまうのはなんだか惜しくて。

「ねぇ。ところで私、最後に踊ったのがあの男の部下なんだけど」

「は?」
 煙草に火を点けようとしていた彼が、訝しげに視線だけ寄越す。彼の目は思っていたより近くて、遠い。
「だから、折角の機会なのにラスト・ダンスがそんな男とだなんて癪なのよ。……最後に一曲、お相手願えない?」
 咲田は暫し風音を見つめたあと、くわえていた煙草をパッケージに押し込み、素っ気なく手を差し出した。
「……一応言っておくが、今日見た動きしか分からないからな」
「なんでもいいです。ただのお口直しですから」
 船着場で、二つの影がくるくると回る。音楽もない舞台で、小波と月明かりだけが踊る彼らを包んでいた。

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