第7話 中途半端

(――どうか、亨だけでも助けて下さい……)と。


 一心に祈っていたためだったのだろうか、男の医師がすぐ傍に立っていたことにしばらく気づかなかった。
「……あ、先生……? ごめんなさい、わたし……」
「奥さん、落ち着いて聞いてください」
 医師は厭に優しい声で説明を始めた。
「亨くんは、今のところ何とか持ちこたえています。しかし、このままではいつまで保つかわかりません……」
「先生、亨をどうか……!」
「奥さん、落ち着いて聞いてください。――お子さんを救う方法がひとつだけ考えられます……」
 医師は優しい目をして言った。
「……私の師匠筋にあたる人が、ある薬を開発しました。しかし未認可です。人体での治験は数回しか行われていませんが、今なら亨くんだけでも助けることはできるかもしれません。ただし完全には保証できませんが。
 ――それでも使いますか?」
 あやのにしてみれば、可能性があると聞けば考えるまでもなかった。
「使ってください。亨だけでも、どうか……」
 医師は口の端を持ち上げて、にやりと嗤った。

「お任せください、全力を尽くします」

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「申し訳ございません」
 須藤は玄関で深々と頭を下げた。
 あやのは複雑な思いでそれを見ていたが、「顔を上げてください」と震える声で言った。
「捜査の方は、どうなっているんですか? どうして亨が……」
「わかっている限りのことを、すべてご説明します。それから、捜査のために確認したいことがあります。お答えいただけますか?」
「お役に立てることならなんでも」
「ありがとうございます」
 あやのは須藤を客間に通すと、手早く茶を用意してそれを供した。
 須藤はそれには手を付けず、いくつかの写真を取り出す。
「ここは、亨さんがいつも通っている、通学路にあるコンビニです。今朝の六時半過ぎに、亨さんはここで、ビッグ4と呼ばれる犯罪組織に誘拐されたものと考えられます」
「ビッグ4? 聞いたことがありません」
「世界各地でSLWが捜査していますが、なかなか捕らえることのできない、多数の異能者を要する犯罪組織です。目的はおそらく…… 亨さんの心臓にある、Sn細胞の結晶です」
 あやのは「心臓……?」と訊ねる。須藤はほたるにも見せたファイルを取り出し、胸部のスクリーン映像を見せる。
「ここにある影が、亨さんの異能者としての力の根源です。我々はSn細胞の〈結晶〉と呼んでいます。普通の検診では発見されないタイプの、特に珍しい異能者です」
 ここまで説明してから、須藤は別のファイルから新聞記事のコピーを取り出した。
 あやのの表情が硬くなる。
 新聞の端の小さな記事と思われるその題目には、『双子の男の子、トラックに轢かれる』と書かれていた。
「亨さん、四歳のときに事故に遭われてますね? お兄さんの護(まもる)さんと一緒に」
「……はい……」あやのが唇を噛む。「……護は、即死でした……」
「辛い事故を思い出させてしまい、申し訳ありません」
「この事故が、今回の誘拐と何の関係が……?」
 あやのが睨むように須藤を見る。
 須藤は目を伏せて静かに告げる。
「この事故の後、亨さんの手術を行った医師、何かしませんでしたか?」
「え?」
「思い出せませんか? たとえば…… 認可されていない新薬を使ったとか?」
「……」
 須藤は今度は亨のカルテのコピーを取り出し、あやのの前に出す。
「探し出すのに苦労しました。保存義務期間は過ぎていますし、そもそも担当医師が残しているのかもわからなかった。これは、医師の不正を告発しようとしていた看護師が隠し持っていたコピーです。その看護師は、結局亨さんが助かったことから、告発はしませんでしたが……」
 あやのの顔が蒼白になる。唇から色が引いていた。
「大型トラックと衝突して、お兄さんが即死だった事故。亨さん自身もこんな大けがをしている。それにもかかわらず、亨さんは無事だった。しかし、治療の経過が不明確なんです。医師の治療方法が曖昧にしか記録されていない。その医師も、今は行方不明です。……何があったのか、話していただけませんか?」
 あやのはしばらく黙っていたが、口を開く。
「……確かに、認可されていない新薬というものを使われました。個人的にも記録に残さないことを約束させられました。それで亨だけでも助かるならと思って……」

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 亨は目の前に出された食事に、手を付けるべきか否か迷っていた。
 クリームのリゾットに、新鮮なキャベツを使ったコールスロー。色とりどりの野菜が入ったコンソメスープ。焼きたてのパン。
 腹が減っているのは確かである。なにせ、成長期の高校生が、もう丸一日何も口にしていないのだから。
『なあ、食べていいと思うか……?』
「殺そうっていうなら寝てる間に殺してるだろうし、別に毒とかは入ってないだろうけど…… なんか変なクスリが入ってるかもしれないのは確かだよね、怖いな……」
 頭の中の声が否定的な意見をいう。亨も同意見だった。しかし腹は減っている。どうするべきか。
「食べないの?」
 亨がドアの方を向くと、顔を隠した女の子がいた。
 迷いのない足取りで亨のもとに近づく。
「そりゃ、誘拐なんかする人たちに出された物なんて、食えないだろ……」
「間違いないわね」女の子は淡々とした声でそう言うと、スプーンを手に取ってリゾットを掬った。
 身体を強張らせる亨の目の前で、マスクを下げてスプーンを口に運ぶ。
 躊躇いなくリゾットを食べると、今度はコールスロー、スープの順に食べて見せ、最後にパンをちぎって口に放り込んだ。
「毒見。大丈夫よ、変なものは入ってないわ」
 女の子はマスクを元通りに戻して言った。
 タイミングよく、亨の腹から情けない音が漏れる。
「……イタダキマス」
 亨は腹を決めてリゾットを口にした。冷めてしまっているが、味は悪くない。普通のクリームリゾットだった。
 もぞもぞと食べ進める亨を見て、女の子は出て行こうとする。
「あ、待って」
 亨は女の子を呼び止める。女の子は振り返って「何?」と不審そうに訊ねた。
「足りないなら、チャイムを鳴らして人を呼びなさい」
「そうじゃなくて…… 結晶型って何? あと、人工的に作ったって……」
「ああ、そのこと?」
 女の子は面倒臭そうに言った。「№3ならよろこんで教えてくれるわよ」
「そうかもしれないけど、君から聞いた方が良い気がして」
 亨は思った通りのことを口にした。彼女は、何か抱えているような気がしたからだ。
 女の子は自嘲気味に笑いながら言った。「結晶型の出来損ないの私に?」
「出来損ない……?」
「そうよ。私は出来損ない。中途半端な結晶型能力者」
 女の子は亨が使っているベッドに腰掛けた。説明してくれる気になったらしいと、亨は食事を中断してそちらに向き直る。
「結晶化は、Sn細胞の自己防衛によって起こる現象よ」
「自己防衛……?」
「あなた、子どもの頃に事故に遭ったでしょう?」
 亨はどきりとした。
 覚えている。四歳の頃に、兄とともにトラックと衝突する事故に遭遇した。
 瀕死の重体だったところから、奇跡的に回復したと聞いている。
「大型トラックに轢かれて内臓破裂して、瀕死の重体だったところから回復するだなんて、本当に奇跡的ね」
 女の子は、ちょうど亨が思っていたことを口にする。
 亨に目を向けて、女の子は首を傾げた。「本当に奇跡だと思った?」
「え?」
「ええ、確かに奇跡だわ。でも、その奇跡が意図的に起こされたものだとしたら?」
 回りくどい言い方をすると、亨は思った。
「つまり、その事故のとき、誰かが俺に何かしたってこと?」
「そう、奇跡の立役者はそのときの手術にあたった担当医。№3の息のかかった男よ」
 亨の背筋が凍る。四歳の自分は、すでに彼女らと遭遇していたのだ。
 女の子は「薬の正式名称は忘れたけど」とつまらなさそうに続けた。
「その〈秘薬〉を使って、あなたのSn細胞が自己防衛に入るのを促進したの」
「その、自己防衛っていうのがよくわからないんだけど……」
「Sn細胞はただの細胞じゃないわ。一つ一つが生命体としての本能を有している。生命体なら通常有しているもの、何だと思う?」
「……」生物の授業で習った。確か……
「そう、自己増殖と自己保存。種を守り、個体を守る能力をもっている」
 先ほどから亨が考えていることをやけに正確に汲み取られているような気がするが、亨にとってそのようなことは今はどうでもよかった。
「Sn細胞は主である人間が生命の危機に瀕したとき、このままでは主が死んでしまう、そうなれば自分たちも死んでしまう、ならば主を助けなければならない、そう判断してある現象を引き起こそうとする」
「……主である人間を助けるってこと? どうやって?」
「〈肉体の復活〉によって」女の子は淡々と告げた。「結晶化はSn細胞の自己保存のために起こる現象。ただし成功する可能性はせいぜい二パーセント程度。けれど、それが成功したとき、人間には〈肉体の復活〉がもたらされる。〈秘薬〉は、それが成功する確率を少しだけ高めるために、№3が開発したの」
「復活……」
「Sn細胞が結晶化する目的は、主である人間の復活による自己保存。復活した肉体は、Sn細胞にとっては自己保存のための道具となり、ちょっとのことでは死ぬこともできなくなるわ。つまり、結晶化によってSn細胞に救われた人間は、その後はSn細胞が生きるための手段と成り下がる」
「Sn細胞が主で、人間が従になるってこと?」
 亨は、自分の声が乾いていることに気づいていた。
 女の子はサングラスを外した。
「そうよ。私たちはSn細胞が存続するために生かされているの」
 女の子の右目は、瞳孔と呼ぶべき部分がなく、琥珀色の虹彩にガラス片が散らばっているかのようにきらきらと輝いていた。
 高遠風音は佐倉亨を、悲しそうな目をして見つめていた。

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「あれ? 風音ちゃん、学校に行くの?」
 ひょろりとした男の姿の№4は、制服姿の風音を見かけて、その背中に声をかけた。
 風音は№4を振り返って睨みつける。
「……組織の施設の中では、本名を呼ばないのが規則です、№4。誰が聞いているかわからないのですから」
「あ、ごめんごめん」
 №4はわざとらしく頭をかく。
 風音はそれを無視して、「何かあったら携帯に電話してください。何もないとは思いますが」と形ばかりのお願いをした。
 №4は首を傾げる。「いいの? №3のババア、 千里眼(クレアヴォイアンス)がいない間に好き勝手するかもよ?」
「あんなにご執心のオモチャに危害を加えるような真似はしないでしょう。それより、SLWの追っ手に気を配ってください。今のところ目立った動きはありませんが…… 懐刀(ダガー)と合流でき次第、佐倉亨はここから移送します」
「げ…… 懐刀、来るの?」
 №4はあからさまに嫌そうな顔をした。「僕、アイツ、苦手なんだけど」
「彼は優秀です。多少性格に難がありますが」
「あれは性格に難があるってレベルじゃないでしょ。ぶっ壊れてるよ」
「それでも、№1がわざわざこちらに寄越すのですから、使わないわけにはいかないでしょう」
 風音は溜め息をついた。№4の言う通り、確かにあの懐刀(ふところがたな)は使いにくい。
 しかし、わざわざ彼女らのボスが送ってくるのである。№1は風音の手腕を見ようというのだろうと、風音は身構えていた。
「それでは、くれぐれも佐倉亨から目を離すことのないように」
「りょーかいでーす」
 №4がへらへらと敬礼の真似をするのを横目に見て、風音は施設から出て行った。

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