第12話 千里眼

 昼休み、風音の制服の胸ポケットの中から、ブブブと、携帯が震える音が響いた。
「風音、メール? 電話?」
「電話。……ちょっと出てくるね」
 風音は発信者を確認すると、談笑している友人たちから離れて、人気のない階段の踊り場に駆け足で向かう。
 ずっと震えている携帯の受信ボタンを押して、押し殺した声で応答する。
「風音です。何かありましたか」
『緊急事態だよ、風音ちゃん。佐倉亨が逃げ出した』
 №4は、いつも飄々としている彼らしくない、切迫した様子で伝えた。
 風音は一瞬、何を言われたのか理解するのが遅れた。
「え、佐倉亨が…… どうやって?」
『わからない。いつの間にか№3と入れ代わってた。どうやら能力に目覚めたらしいんだけど、何の能力かわからない。№3は芳香(フレグランス)の能力だって言ってるし、見張り役は僕の能力に近いって言ってるし、もうとにかくこっちはてんやわんやだよ。風音ちゃんの能力で、アイツの能力の正体、わからない?』
「……ちょっと待ってください、視てみます」
 風音は人がいないことを確認してから、そっと眼帯を外して胸ポケットに押し込む。
 右目に意識を向けると、彼の意識が流れるように頭に入ってくる。

 ――風音の能力は、『顔を知った他人の意識を読み取る』こと。
 対象がどこにいようが、彼女の右目はどこまでも相手の意識を追いかける。

 風音は亨の意識を読み取って、しばらく放心していた。
(なによ、それ…… 〈緋の心臓〉程じゃないにしても反則でしょ……!)
『視えた?』№4が急かすように問いかける。
「え、ええ…… №3も見張り役も、間違ってはいません」
『二重能力使いってこと?』
「それどころではありません」
 風音はここで一瞬間を置いて、№4に答えを提示する。

「佐倉亨の能力は、『他の能力者の異能を学習する』ことです」

 ――№4もしばらく声を出せずにいた。
 少し間があって、№4も風音が考えていたのと同じようなことを口にする。
『そいつはまた、〈緋の心臓〉並のチート能力だね……』
「いえ、まだ完全ではありません。結晶化があまり進んでいないからでしょう、再現率は本来の能力者の三割程度です」
 風音はもう一度亨の意識を追って、『学習』されたメンバーの能力を確認する。数少ないメンバーで動いていたためであろう、『学習』された対象はそれほど多くはなかった。
「佐倉亨が再現できるのは、今のところ、 芳香(フレグランス)、擬態(ミメシス)、千里眼(クレアヴォイアンス)、それから、これはSLWの関係者の能力ですが、血液を固形化させる能力と、他人の能力を読み取る能力、合わせて五つです」
『僕の擬態(ミメシス)も学習されちゃったワケか。芳香(フレグランス) で№3を眠らせて、 擬態(ミメシス)で№3と入れ代わったんだね』
 風音は「ええ」と肯定する。№4はさらに問いかける。
『今、アイツはどこにいるかわかる?』
「異能者の父親と一緒にいます。施設からそう離れていない民家です」
 風音は、亨が耳にした民家の住所を№4に伝える。
 №4は『すぐに戦闘員を奪還に向かわせるよ』と電話を切ろうとする。
 風音は「待って」とそれを止める。
『なに?』
「私も戻ります。佐倉亨はSLWと連絡を取りました、おそらくすぐにSLWの戦闘員がこちらに派遣されます。念のため、メンバー全員に施設を脱出する用意をさせておいてください」
『わかった、迎えの車を送るよ』
 今度は風音から電話を切った。
 携帯を手にしたまま、教室へと駆け戻る。
 談笑している友人たちには目もくれず、机の横に掛けてあるスクールバッグに必要なものを詰め込み始めると、友人が驚いた様子で「どうしたの?」と問いかけた。
 風音は反射的に適当な理由を考えて答える。
「まだ全快してなかったみたい、急に気分悪くなっちゃった。先生には早退するって伝えておいてくれる?」
「え? ああ、うん、わかったけど大丈夫?」
 友人は心配するような目を向けるが、それに律儀に答えている余裕は風音にはなかった。
「ええ、大丈夫。また明日ね」
「うん、またね……」
 風音はスクールバッグを肩にかけて教室を飛び出す。
 その背中に、教室の出入り口まで見送りに出てきた友人の声が投げかけられる。
「早く治してよ! 週末は植物園に行くんだからね!」
 風音は顔の半分だけ振り返って、右目でウインクして応えた。
 すぐに風音の後ろ姿は、他の生徒達に阻まれて見えなくなった。

「……風音の右目、初めて見た……」
 風音は、思わぬ緊急事態に慌てていたためであろう、普段であれば考えられないミスを犯した。その特徴的な右目を隠すのを失念していたことである。
 異能者ではない友人にはもちろん、その右目が何を意味しているのかわからなかった。
 ただ、友人は思った。
「きれいな目だな……」

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 №4は電話を切ると、すぐに風音のもとに車を向かわせる手はずを整えてから、タオルケットに包まった№3に告げた。
「佐倉亨の能力がわかった。『他の能力者の異能を学習する』能力だってさ。学習した能力を自分のもののように再現できるらしい」
 報告を今か今かと待ちわびていた№3は、その言葉に目を輝かせた。
「それは本当か? そんな能力、聞いたことがない! 素晴らしい! 私はなんて素晴らしいものを生み出したんだ!」
 まるで砂場で遊んでいる子どものように、自分の『作品』の素晴らしさに歓喜する№3の様子に、№4は舌打ちしたい気分になった。
「喜んでいる場合じゃないだろ、厄介なことになった。向こうに中途半端とはいえ千里眼(クレアヴォイアンス)があるなら捕まえるのは至難の業だよ」
 №3は『中途半端』という言葉に引っかかりを覚えたように訊ねる。
「それはどういう意味だ? 完全に再現できる訳ではないのか?」
「千里眼の読みでは、たぶん結晶化が進んでいないからだろう、三割程度の再現率らしい。つまり、千里眼ならぬ三百里眼ってわけ」
 №4は主に自分の冷静さを保つために戯けてみせた。ビッグ4にとっては、完全に再現できるわけではないことだけが救いである。
 №4はにやりと口角を上げる。
「ということは、結晶化が進めば完全に再現できるかもしれないということか」
「……何考えてるのかわかった。アンタ、最悪だな。敵に回したくない」
「私は科学の発展に献身しているだけだ、そんな評価をされる筋合いはない」
「結晶化を進めるために佐倉亨を危機に追いつめようって考えてるんだろ」
 №4は№3が希望する佐倉亨の成長の道筋を口に出してみて、言わなければ良かったと顔をしかめた。口に出すのも気分が悪い。
 №3は「何を躊躇う必要がある?」と首を傾げる。
 №4は思う。ここまで無邪気だとむしろ狂気だ。
「№1が許すはずがない。彼は佐倉亨を仲間に引き入れようと考えているんだ。仲間に暴虐を加えるだなんて、あの男が許すかよ」
「まだ仲間になると決まったわけではないし、仲間だとしてもそれ以前に私の研究対象だ。処分の方法は私が決める」
「アンタはもう少し組織の規律を意識した方がいい。そうでなきゃ、そのうちまた迫害されるぞ」
「……」
 十三年前の事件で科学界を追放されたことを持ちだされて、№3も顔をしかめる。そこはあまり触れられたくない琴線だったらしい。
 №3は降参といった風に両手を上げて、「わかった」と答えた。
「佐倉クンのことはとりあえず保留にしておこう」
「ああ、アンタは今回は大人しくしててくれ。すぐにここを脱出する。準備しといてくれよ」
 №4は№3の相手をするのをやめて、部屋の隅に設置された通信端末に手を伸ばし、メンバーに緊急信号を飛ばす。
 №3が部屋から出て行こうとしたとき、それより一瞬早くドアが開く。
「……これは驚いた。懐刀(ダガー)、到着したばかりのところ悪いが、緊急事態らしいぞ」
 №3がそう言うと、№4もドアの方を振り返る。
 灰白色の中途半端に長い髪をうなじでまとめ、目元をゴーグルで隠した白い衣装の男が、四振りの短剣を携えて、死神のようにそこに立っていた。

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 移動の車内で、須藤が地図を広げて隊員達に説明を始める。
「ある情報筋から、佐倉亨が誘拐されて監禁されていたのは、加納由紀治の別荘だとわかっている。佐倉亨はそこから自力で脱出し、今は父親と一緒にある民家に隠れている。その父親の能力は信頼していい。俺たちはこれから、別荘近辺に待機してビッグ4の動向を探る班と、佐倉亨と合流する班の二手に分かれて行動する。ここまでで何か質問は?」
 須藤が全員の顔を確認しながら問いかける。一人が手を挙げる。第一捜査隊のメンバー、鈴木二等である。
「一つ、よろしいですか。敵の人数や能力はわからないのですか?」
「ああ、佐倉君にも佐倉君のお父さんにも、正確な人数はわからなかったらしい。だから、できれば戦闘には持ち込みたくない。念のため動向を探る班員を多めにしておくが、あくまで動向を探ることと、佐倉君と合流することを目標とする」
「動向に不審な点が見つかった場合は?」
「状況にもよるが、とりあえず職務質問を。あとは相手の反応によって臨機応変に対応してくれ」
 他に質問は、と訊ねるが、今度は誰も声を上げなかった。
 須藤は説明を進める。
「それでは、班の割当てを発表する。第八捜査隊から堤下一等、加藤二等、第一捜査隊から恩田準一等、鈴木二等、藤田二等、小郡三等、岩倉三等、小山三等、それに長谷川研究員、以上九名は堤下一等の指示に従い別荘近辺で動向を探ってほしい。森準一等、小野準二等、赤松三等は俺と一緒に佐倉亨と合流する。異議は?」
 研究員の長谷川が静かに手を挙げる。
「長谷川研究員、何でしょう?」
「オレはその間、なにしときゃいいんだ? 言っとくがオレは戦えねえぞ?」
 長谷川は研究室で纏っている白衣を脱ぎ、柄物のシャツの上に防弾チョッキを身に付けている。パンチパーマと目つきの悪さで、犯罪対策局のメンバーであるとは一目見て信じ難いその悪人面は、この車内では浮いて見える。須藤は(さすがの迫力……)と内心で怯えつつ、外形的には堂々と説明する。
「長谷川研究員には、ビッグ4に加担していると考えられるアルベルティーナ・クラインミヒェルが現場にいないか、確認していただきたいのです。護衛として恩田準一等を付けます」
「恩田のお嬢ちゃんか。ま、せいぜい頑張って守ってもらおうか」
 須藤は肝を冷やす。まるでプライドの高い美雪の実力を軽視しているかのような言い方だった。当の美雪は長谷川に冷たい視線を送るが、結局何も言わなかった。須藤は内心で安堵の息を吐く。
 今度はほたるが控えめに手を挙げる。須藤はそれを見つけて「何だ?」と声をかける。
「情報提供にあった〈碧の瞳〉や〈白銀の脳細胞〉は、どういう人物なのですか?」
 ピリ、と須藤の顔に緊張が走る。ほたるもそれを感じ取ったのか、口をつぐむ。「あの、わたし、何か変なことを……?」
「いや、今から説明しようと思っていたことだ」
 須藤がすぐにフォローする。
 須藤は一息間を置いて口を開く。
「小野準二等が言ったように、今回は〈碧の瞳〉が参戦してくるかもしれない。これから話すことは各国捜査隊の隊長格以上のメンバーと一部の研究員にしか知らされていない極秘事項だ。任務が終わっても、くれぐれも他言しないように。 ……〈碧の瞳〉、〈白銀の脳細胞〉は、現在確認されている、三名の結晶型能力者のうちの二人だ」
 隊員が顔を見合わせる。それもそのはずである、これまで彼らには「結晶型は理論上の仮説」と説明がされてきたのだから。
 当然、赤松三等が声を上げる。
「結晶型というのは、理論上の仮説では……」
「ああ、仮説だった。ただし、十一年前まではな。それまでは実在するかどうかもわからなかった。なにせ、戦時中の機密文書の中でその存在が取り上げられていただけだったんだ」
 須藤はパソコンを操作し、ある二枚の書面の画像ファイルを取り出す。
 一枚目はドイツ語の書面、二枚目は顔写真付きのロシア語の書面だった。
 モノクロの写真に写っているのは、薄い色素の髪をうなじでまとめた、目をゴーグルで隠した男。
「一枚目は、ある少女が戦時中のドイツで戦況を予言する怪僧として暗躍していたが、ベルリン陥落前に統領が自殺した直後から行方不明となっていることを記した書面だ。二枚目は、ロシアの軍人として戦争に参加して数々の武勲を挙げた兵士の記録。これら二枚の書面から、二人に共通するある事実が判明している」
「共通する事実?」
 美雪が小首をかしげる。
 須藤は頷く。
「こいつらは、戦時中の極限下でも、つまり、焼夷弾が降り注いだ現場にいても、毒ガスに卷かれても、長期に渡って食料の流通が滞ったとしても、極寒の中で凍死者が続出する中にいても、決して死ななかった。そればかりか、長い戦争が終結するまでの期間、その見た目が変わることもなかった。つまり、『不老不死』だったわけだ」
 隊員達の顔が強張る。異能者と呼ばれる彼らの中にも、不老不死の人間はいない。彼らは異能を持つ意外は普通の人間なのである。
 美雪は誰よりも早く我を取り戻し、「彼らは、不老不死の能力を持っている者、ということでしょうか?」と訊ねた。
 須藤は首を振る。
「いいや、彼らの本来の能力は別のところにある。不老不死はあくまで付随的な、いわば性質に過ぎない」
 長谷川がおもむろに口を開く。
「……クラインミヒェル博士から、聞いたことがある」
 隊員達の目が長谷川に向けられる。
 長谷川はなにもない虚空を見つめながら、大切な記憶を思い出すように語り始める。
「クラインミヒェル博士はいつだったか言っていた。『結晶化はSn細胞の自己保存のために起こる現象である。Sn細胞が結晶化する目的は、主である人間が危機に陥った際にその肉体を復活させることによる自己保存。復活した肉体は、Sn細胞にとっては自己保存のための道具となり下がる。すなわち』」
 長谷川はここで一呼吸置いて、クラインミヒェル博士が導き出した理論の帰結を口にする。
「『結晶型能力者の最終形態は、結晶化したSn細胞が永遠に存続するための道具、つまり、不老不死者である』、と」
 隊員達がどよめき出す。
 須藤は「静粛に」とそれを統率する。
「クラインミヒェル博士の理論は、結論としては正しかった。そして、SLW本部はこの不老不死者達を結晶型能力者と認定し、彼らの存在を隠すことに決めた。国を傾けた異能者たちだ、今でも世界の安定を破壊しかねない。
 ……そこで、今回出てきた〈白銀の脳細胞〉、彼女は『全知全能』の能力者だと言われている。そして、敵に回ると考えられる〈碧の瞳〉の能力だが、こっちは一言では言い表せない。彼は『他人の視界を操り』、『直近の過去と未来を視て』、『常人の目に見えないモノを見る』。わかっているのはこれだけだが、他にも能力を多数有していると考えられる。眼球が結晶化しているというだけあって、目にまつわる能力が多い」
「だから、〈碧の瞳〉と呼ばれるのですね」
 ほたるが独り言のように呟く。
 須藤と長谷川がそれを、不安そうな、それと同時に疑うような目で見つめていることに、気づく者はいなかった。
「ああ、奴の目は碧い燐光を放ち、宝石のように輝いているという。その能力は反則ギリギリの大物だ。だから、そいつが現れたら可及的速やかに撤退すること。戦闘には持ち込ませないようにしてくれ」
 須藤は自分たちと別れて班長を務める堤下一等にそう命じると、彼は緊張した面持ちで頷く。
 隊員達を乗せた自動車は、上信越自動車道をインターチェンジで降り、別荘地域へと向かって行った。

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