第4話 発狂

 彼女は、幼い頃から友人と呼べる人間を作るのが苦手だった。
 それは、彼女の思考や行動があまりに大人びていて、同年代や年下の子ども達には理解できず、年嵩の人々には生意気に見えたからかもしれない。
 彼女自身、そのことについては諦めていて、一人でCPUを相手にゲームに興ずるのが常であった。

 ある年のクリスマス、そんな彼女に、父親はプレゼントを作った。
「こんにちは、と話しかけてご覧」
 父親に促されて、彼女は怖々と話しかける。
「こ、こんにちは」
 すると、スピーカーから少女の声で、『こんにちは』と返される。
 彼女は驚いて父親を振り返った。
 父親は悪戯に成功した子どものように笑った。

「君にプレゼントだよ。……どういう仕組みか、教えてあげよう」

 父親は、彼女に力をくれた。

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 アンジュは検査担当の研究員から問診を受ける。
「最近、前より頻繁に幽体離脱しちゃうの」
「どこで、とか、いつ、とか、思い当たることはない?」
「んー、宿泊棟に入るゲートの前が多いかなぁ?」
 研究員は「ふむ」と呟いて、ノートになにかを書き込む。
 それから応答が一つか二つ続いて、検査はすぐに終了し、アンジュは部屋から出て行った。
 入れ替わりに、アニルがミーナを連れ立って入ってくる。
「アンジュさんに変化は?」
「〈共鳴〉反応が著しいようです。そろそろ限界なのではないかと」
 研究員がノートを差し出す。
 アニルはそれを一瞥した後、ミーナに手渡す。
「ミーナさん、完成まであとどの程度掛かりますか?」
「あと少し…… おそらく、三日もあれば完了します」
 アニルに問われたミーナがノートを確認しつつ返答する。
 アニルは「そうですか」と呟く。
「長かったですね。貴女があのプログラムを発見して、解析を始めてからすでに六年が経とうとしています。貴女も私もようやくプレッシャーから解放されそうです」
「……お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いいえ、そう言ったつもりではないのです。貴女はよくやってくれた」
 アニルはミーナを労う。
「こんなところで引き止めているわけにはいきませんね。戻って頂いて結構です。あと少し、頑張って頂けますね?」
 ミーナは「はい」と一礼して退室する。
 アニルは顎を擦りながら、誰にともなく呟く。
「楽しみですね。どんなモノが出来上がるのか」
 研究員はそっとその表情を盗み見た。
 男は嗤っていた。

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「アンジュちゃん」
 検査室から退室して、さてどこに行こうかと考えた結果、とりあえず図書室で涼んでいたアンジュの背中に、耳に心地好いアルトがかけられる。
 ぱっと振り返ると、桜が右手を軽く上げてアンジュを見ていた。
「ピーター! ……じゃなくて、えっと、サクラちゃん?」
「お、名前覚えてくれてたんだー。嬉しいな」
 桜はにこりと微笑み、アンジュの前の椅子に腰掛ける。
 ちらりと周りを見て、桜は「こんな研究書ばっかりの部屋、アンジュちゃんにはつまらなくない?」と不思議そうに首を傾げた。
 アンジュは頷く。
「んー、本を読むためっていうより、静かだから過ごしやすいの」
「なるほど、人混みダメだって言ってたもんね」
 「ゴホン」と、近くで本をめくっていた研究員らしき男性がわざとらしく咳払いをする。それに気づいたアンジュが、声のボリュームを一段下げる。
「サクラちゃん、サクラちゃんはサーカスの人たちと旅してるの?」
「そうよ、世界中を回ってるの。行く先は団長とか年長組の気紛れで決まるんだけどね」
「世界中? すごいね、わたしはここから出ることもあんまりないから、憧れちゃう」
 アンジュは目を輝かせる。
 桜は眉をひそめる。
「アンジュちゃん、四歳の頃からここにいるって聞いたけど、そんなに長く外に出てないの?」
「ミーナがたまに連れ出してくれるよ?」
「じゃあ、そうじゃないときは基本的に研究所内ってこと?」
 アンジュが頷くのを見て、桜は「つまんなくない?」と単刀直入に訊ねる。アンジュは困ったように笑う。
「確かにつまんないけど、でも、わたしの実家はもともとそういう家だから」
「アンジュちゃんの実家?」
 桜が興味を示したので、アンジュは言葉を続ける。
「ベナレスにあるの。もう十年も帰ってないから、ほとんど覚えてないけど。研究所のおじさん達に聞いた話ではね、わたしの実家はもともとわたしみたいな異能者を多く生み出す一族だったらしいの。だから、研究のために一族の長老と契約して、わたしみたいな子を研究所で預かることになったんだって」
「そんな身売りみたいなことが許されるの?」
 桜が若干怒ったような声でそう言う。
 アンジュも苦笑いするしかなかった。
「確かに、あんまりいい気分じゃないけど。別にお金とかは絡んでないし、わたしの能力が解明されれば一族の異能者達にとっても有益でしょ? だからわたしは納得してるよ」
 アンジュが身内の名誉を守るためにそう言うと、桜は、納得はしていないようだったが、それ以上は突っ込んでこなかった。
「それに、ミーナがいるし」
 アンジュはそう言って微笑む。
 桜はアンジュを珍しいものを見るような顔をする。
「ずいぶん仲良しなのね」
「そう! ミーナとは初めて会ったときから仲良しなの! サクラちゃんも話せばわかるよ、ミーナは人見知りだけどとっても優しいんだから!」
 思わずアンジュの声のトーンが上がる。
 それに対して、そばにいた男性がもう一度「ゴホン」とわざとらしく咳払いした。アンジュが亀の子のように首を引っ込める。
「ミーナさんとも、お話しできるかしら?」
 桜も声の大きさを気にしながらそう訊ねる。
 アンジュは大きく頷いた。
「じゃあ、研究室に行こ! ミーナの研究室ならお喋りしても怒られないし!」
 アンジュはそう言うと立ち上がって桜の手を取り、図書室の外に連れ出す。
 本をめくっていた男性は、そっと席から立ち上がった。

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 ミーナが検査室から出て、自分の日影部屋に戻ろうとしていたところ、よく見知ったおさげの後ろ頭が目に入った。
 隣を歩いているのは、短い黒髪に精悍な顔つきの、紅の瞳の女性。なぜか白衣を着て、眼鏡をかけ、首からネームプレートまで下げている。
 ミーナは警戒しながら近付いた。
「アンジュ、そちらの方は?」
「あ、ミーナ!」
 アンジュは嬉しそうに振り返る。
 桜が、軽く頭を下げる。
「ミーナ先生、こんにちは」
「あなた、どうしてここにいるのかしら?」ミーナは不信感を隠そうともせず訊ねる。
「アルバイトですよ。旅回りの一座の給金だけじゃ苦しくて、いつもこうやって日銭を稼いでるんです」
 桜は気にした様子もなく、用意していたかのようにさらりと答える。
 アンジュがミーナの袖を引く。
「ねえ、みんなで女子会しよ! お喋りしたいって、ミーナも言ってたでしょ?」
「ええ。でも、仕事サボってるのを見られるのは困るから、研究室でお喋りしましょ。アンジュ、売店でお菓子とジュース買ってきてちょうだい」
 ミーナはそう言ってポケットから財布を取り出し、紙幣を一枚アンジュに手渡す。アンジュは「がってんだ!」とどこで覚えたのか知れない返事をして、おさげを揺らしながら走り出していった。
「それじゃ、あたしたちは先に研究室に行きましょう。こっちよ」
 ミーナは桜を連れて歩き出す。
「ご紹介が遅れたけど、あたしはミーナ。先生だなんて呼ばなくて結構よ」
「こちらこそ自己紹介が遅れまして。アタシは烏丸桜、桜でいいわ。でもたぶん先生の方が歳上でしょ。アタシ、まだ十八だから」
「そうね。あたしは今度、二十四歳。でも、ここではまだまだ若手だし、大した仕事もしてないから、人前で先生なんて呼ばれるのは恥ずかしいの」
「じゃあ、とりあえずミーナって呼ぶね。よろしく」
 桜がにかりと笑う。桜からほのかに漂う花の香りが、どういうわけかミーナの神経を苛つかせた。
(ああ、こういう子は苦手だわ)
 ミーナは桜から視線を逸らした。
 桜は黙って、ミーナと適当な距離を保ちながらついて歩いた。

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 アンジュは売店でクッキーのアソートパックとジュースを三本買って、ミーナの研究室に走った。
「女子会、女子会!」
 廊下の角を曲がって、ミーナの研究室の扉を開く。
 そこには、パソコンデスクの側のワーキングチェアに腰掛けてこちらを振り向くミーナと、部屋の隅のソファで寛ぐ桜の姿があった。
(もう、せっかくなんだからお喋りでもしていればよかったのに)
 そう思いつつ、一方でミーナの人付き合いの悪さを思い返して、仕方がないかを息を吐く。
「二人とも、ジュースとクッキー、買ってきたよ!」
 場を盛り上げようと、元気よく声を出したアンジュに、ミーナと桜のぎょっとしたような表情が向けられる。
 思わぬ反応にアンジュも居心地が悪くなる。
(わたし、なにか変なこと言った……?)
「ちょっと、アンジュちゃん、なに言ってるの? ヒンディー語? なわけないわよね?」
 桜が心配するような目をしてちょっと失礼なことを言う。
「サクラちゃんったらひどい、わたしの日本語、どこか変?」
「アンジュ、落ち着いてあたしの名前を言ってちょうだい」
 ミーナまで心配するような顔をしている。一体どうしたのか。
 アンジュはミーナに言われた通り、彼女の名前を呼ぶ。
「ミーナ。どうしたの?」
 ミーナが目を見開き、アンジュの肩に手をおいて爪を立てるので、アンジュは顔をしかめて痛みに耐える。何故だか必死な形相の彼女の手を、振り払うことはできなかった。
 アンジュには意味がわからなかった。

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 ミーナは持ち前の人見知りを発揮して、桜はミーナに好かれていないことを察して、研究室に入って「そこのソファでゆっくりしてて」「はーい」と短い会話を交わしたっきり、沈黙の妖精達の大行進が始まり、研究室は静まり返っていた。
 二人とも一言も喋らない研究室に、この居心地の悪い状況をなんとかしてくれるであろう少女が飛び込んでくるまで、しかし存外時間は掛からなかった。
 ドアの前まで駆けて来る少女の足音に、ミーナは「帰ってきたわね」と呟く。
 そして思った通り、扉を開けた向こうにアンジュがいた。
 「お帰り」、そう言おうとしたとき、アンジュが先に口を開いた。
「100010010111101000010110101100110000101000111100111010111100010011100000010111110000110010110100101000111100110010111100111100011110110000110000110100111000010011011110010110101000101000110100011110110001010000010110111001111100001011」
 ミーナはぎょっとする。
 同じように、桜も目を見開いている。おそらく事情を知らない彼女の方が、衝撃は大きいだろうとミーナは頭の片隅の冷静な部分で考える。
 桜が思わず口を開く。
「ちょっと、アンジュちゃん、なに言ってるの? ヒンディー語? なわけないわよね?」
「111000010110011110010111101100010110110010100100010110111110111110101000101000010110101100010110100100110000110110111100110000010011101111010110101000010110111000100100110000111110111100111110110000100100111100111110111110100110111100010011110110111100011110111100011110010110100100110100111110111110011010」
 ミーナはそっとアンジュに近付いて口を開く。
「アンジュ、落ち着いてあたしの名前を言ってちょうだい」
 ミーナは祈るように、懇願するようにそう言った。
 アンジュは不思議そうな顔をして、口を開いた。
「111010110100110100111110010110010000110110111100010111111000100100110000101000010110111110111100011010」
 ミーナは思わずアンジュの肩に手をおき、指先が真っ白になるほど強く爪を立てる。
(ごめん、ごめん……! これで最後にするから……!)
「ちょっとミーナ、落ち着いて。アンジュちゃん痛がってる」
 取り乱しそうになったところを、桜の落ち着いた声ではっと我に返る。
 ミーナの手はアンジュの肩から降ろされる。
 アンジュの戸惑うような視線を受けて、ミーナが口を開く。
「アンジュ、あんた、そろそろ危ないのかもしれない」
 アンジュは首を傾げるばかりだった。

 二〇一四年三月二十九日、午後五時三十分の出来事だった。

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