第6話 ボールペン

 隣でパソコン画面に向き合う父親に、娘は父との時間を仕事に奪われていると感じてむくれていた。
 父親のデスクの隣には、それより小さな折りたたみ式のテーブルと、その上にこちらは娘のためのお古のパソコン。
 娘は名案を思いついて、自分のパソコンの電源を入れた。

 父親はパソコン画面を睨んでいたが、突如画面が切り替わり、ドットで描かれた家族の絵が堂々と表示される。
 どういうことかと隣のテーブルを見ると、娘のパソコンのウインドウには同じ絵が表示されている。
 父親はふうと溜め息を一つ付いて、娘の隣にしゃがみ込む。
「相手してもらえなくて拗ねてたんだな。ごめんごめん、もうそろそろ休憩にするよ」
 娘は満足そうに微笑む。
 父親は、このわずか四歳の娘が自分のパソコンをハッキングしたという事実に、内心舌を卷いていた。

 父親が娘に与えた武器は、傑出したサイバー能力だった。

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 アンジュの前に、検査役の研究員とアニル、そしてミーナが並んでいた。
 ミーナまでもが険しい表情をしていることに、アンジュはことの重大さを感じ取り、身体を強張らせて黙って椅子に座っている。
 検査役はボールペンを手に取って、「これがなにか、言ってごらん」と質問する。
 アンジュは答える。
「ボールペン」
 検査役がノートになにかを書き留める。その側で、アニルとミーナが嘆息した。
「ねえ、みんなどうしたの?」
 ミーナは手に持っていたレコーダの録音を停止して、再生ボタンを押す。
『これがなにか、言ってごらん』
『010100010110011100011100101010111100110000111110101000101010110100111110』
 アンジュは一瞬意味が分からず思考が停止した。
 続いて、ミーナの手からレコーダをふんだくるように奪って、何度も再生ボタンを押す。
 流れるのはやはり、数字の羅列を答える自分の声だった。
「どうして……?」
 思わず呟いた後で、おそらく口で言っても通じないだろうという考えに至ったが、表情から意図を読み取った検査役がさらさらと答える。
「おそらく、幽体離脱を繰り返すうちに霊子と肉体との繋がりが薄くなって、言語野に一時的な障害が生じてしまったのでしょう。先日、幽体離脱が多いと言っていたのと繋がります」
 検査役の言葉に、アンジュは呆然とする。そして、他人事のように答える検査役に不信感を覚えた。
「アンジュさん、怖がることはありません。すぐに落ち着くでしょう。管理人を置いて人を寄せ付けない特別な部屋を用意しますので、しばらくそこで生活してください。対応は私たちで行いますので」
 アニルが微笑みながらそう告げる。いつもより胡散臭さが際立っているように見えた。
 アンジュは最後に、ミーナを見た。
 ミーナはぎこちなく笑って、「大丈夫よ」とだけ言った。
 ミーナは違う。ミーナもアンジュと同じように不安を感じている。それでも笑ってアンジュを励まそうとしてくれている。そんな優しさを感じ取ったが、しかし不安は拭いきれず、黙ってミーナに抱きつく。
 その頬を、ミーナの暖かい手がぐしゃぐしゃと雑に、けれど愛情をもって撫でられる。アンジュは少しだけ安心した。
「行きなさい」
 ミーナの声に頷いて、アンジュは検査役とともに、検査室を出て行った。

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 アニルは「さて」と一つ呟き、検査室の扉を閉める。
 ミーナは検査役が残したノートをめくりながら、その挙動を横目で見守った。
「やはり今回もガタが来ましたね。欠陥の原因はつかめましたか?」
「はい。十中八九、間違いないと思います」
「では、それを取り除いて完成、ということでいいですね?」
「はい」
 ミーナが固い声で答える。
 アニルは満足そうに頷いた。
「それでは、至急、品評会の準備をしなければ。ミーナさんは商品を完成させて私の元まで届けてください」
「あの」ミーナが躊躇いがちに声を上げる。
 アニルは不思議そうに「何でしょう?」と促した。
「アンジュは、どうなるんですか?」
「それは〈今回の〉アンジュさん、ということでよろしいですか?」アニルが訊ねると、ミーナは一つ頷く。
 アニルは面倒臭そうに答えた。
「放っておきましょう。どうせもうなにもできない」
「このままで良いのですか? 〈五回目〉のときのようなことが起きたら……」
「今回は管理人を付けます。ミーナさんは安心して完成品を用意してください。大丈夫、もう彼女とは会うこともないでしょう」
 アニルは微笑む。
 ミーナは「わかりました」と短く答えて、検査室を出て行こうとする。
 すれ違いざま、ミーナはアニルの表情を盗み見た。
 反吐が出そうなほど、忌々しい嗤い顔だった。

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 検査役に連れて来られたのは、簡易ベッドとテーブルと一脚のチェアしかない、埃っぽくて簡素な造りの部屋だった。テーブルの上に数冊の雑誌が置いてあったが、アンジュの興味を引くものではなかった。
 着の身着のままで連れて来られたが、大切なものはなくさないようにと肌身離さず持っていたので、それを取り出す。
 銀色の、花を模した髪飾り。
 ミーナがくれた、大切なプレゼント。
(そういえば、この花、何の花なのかな……?)
 アンジュはこの研究室からほとんど出たことがない。自然と、花に触れる機会も少なかった。
(またミーナに会ったときに聞こう)
 アンジュは髪飾りを髪に挿した。
 一番の友人が見守ってくれている。そんな気がした。

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 ミーナは部屋に戻ると、パソコンの電源を入れる。これはもはや考えるまでもなく行ってしまう、習慣になっていた。
 パソコンが起動するまでの時間、ぼうっと物思いに耽る。
(アンジュ、どうなるのかしら……)
 決して幸せな結末にはならないだろう。
 それでも、せめて苦しみのない終わりを迎えさせてやりたかった。
 そんな思いを、頭を振って追い出す。
(……そんなの、あたしのエゴでしかない)
 いつも呼び起こす二つの窓がなにもしなくても現れるが、そのうちの一つを消す。いつでも完成させることができたそれを遅らせて、時間を稼いでいただけで、そちらはすでに用済みだった。
 今のミーナにとって重要なのは、残されたもう一つ。
「……さて。手始めに、あいつからすべてを奪ってやるわ……」
 キーボードを操作し、命令を送る。
 十六年越しの復讐が、始まった。

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