第8話 遺書

 一回目は、一年と保たなかった。

 生まれて三〇〇日が経過した頃、手足が動かなくなった。
 その後、目が見えなくなり、言葉を紡ぐ口も役に立たなくなった。
 けれど、どういうわけか耳だけは外界の様子を探っており、そこで初めて、アンジュは自分の正体を知ることになる。
「プログラム中のどこかにバグがあります。しかし、巨大なプログラムですので、解析には時間がかかるかと」
 世界で一番好きな友達の、凍りつくような言葉を耳にして、アンジュは絶望した。

 たった一文の〈遺書〉をネットワークの片隅に作った小さな部屋にしたためて、一回目のアンジュは自壊した。

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 二回目は、一回目よりは長く保った。

 生まれて三百十五日後、手足が動かなくなった。
 その後、目が見えなくなり、言葉を紡ぐ口も役に立たなくなった。
 けれど、耳だけはまだ生き残っていたのは、一回目と同じだった。
 意識が朦朧としてくる中、導かれるようにネットワークの片隅の小さな部屋に迷い込んだ。
 そこで、一回目の自分の〈遺書〉を読んだ。
 もう一度だけ、力を振り絞って、世界で一番好きな友達を待った。そして、アンジュは彼女の真意を知ることになる。
「アンタには悪いことをしたと思うけど、諦めて。すべてはパパの復讐のためなの」
 アンジュはその言葉に溢れた憎しみに、胸が冷えるような思いがした。

 〈遺書〉に二つの文からなる一通を加えてから、アンジュは息絶えた。

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 三回目は、二回目と同じくらい保った。

 生まれて三百十八日後、手足が動かなくなった。
 その後、目が見えなくなった。
 けれど、どういうわけか、今回はまだ口が動いた。耳もまだ生き残っていたのは、前回までと同じだった。
 意識が朦朧としてくる中、導かれるようにネットワークの片隅の小さな部屋に迷い込んだ。
 そこで、前回までの自分の〈遺書〉を読んだ。
 戸惑いながらも世界で一番好きな友達に呼びかけた。
「ねえ、どうしてわたしを生んだの?」
 彼女は凍てつくような声で答えた。
「……時間稼ぎよ」
 アンジュはふうと溜め息を吐いた。
「……そっか」
 彼女が時間を稼がなければならないということは、まだ時間は残されているということだ。けれど、今回の自分はすでに限界だった。

 アンジュは〈遺書〉に三つの文からなる一通を加えて、息を引き取った。

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 四回目のアンジュも、前回と同じくらい保った。

 生まれて三百二十日後、手足が動かなくなった。
 けれど感覚器はまだ働いていて、外界の様子を探ることはできた。
 夢の中にいるかのような感覚の中、導かれるようにネットワークの片隅の小さな部屋に迷い込んだ。
 そこで、前回までの自分の〈遺書〉を読んだ。
 驚き戸惑いながらも、アンジュは世界で一番好きな友達の名を呼び、話をした。
 そして、アンジュは自分の身に隠された秘密を知ることになる。
「アンタの中には、パパが残した秘密の暗号がある。けれど、あたしにはその暗号を知るためのパスワードがわからない。だから、あたしは自分で一から兵器を作ることにしたの」
 彼女は笑っていたが、それが悔しさ、悲しさ、寂しさを隠すものであったことに、アンジュはようやく気づいた。
 アンジュは「もうやめよう」と訴えたが、彼女は背を向けて、振り返ることはなかった。
 最期の日、男が部屋に入ってきた。
「まだ動いているのですか、しぶといですね。壊してしまいましょう」
 どうにかネットワークの片隅の小さな部屋に逃げ込んで、急いで〈遺書〉にもう一通を加えた。
 その直後、アンジュは消えた。

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 五回目のアンジュは、約一年と長く保った。

 生まれて三百六十日後、手足に不自由を感じるようになった。
 けれど、感覚器はまだ生きており、思い通りにならないながらも生活していた。
 夢の中にいるかのような感覚の中、導かれるようにネットワークの片隅の小さな部屋に迷い込んだ。
 そこで、前回までの自分の〈遺書〉を読んだ。
 驚き戸惑って、アンジュは、世界で一番好きな友達を探して走り回った。
 彼女の居城である日影部屋に飛び込み、話をした。
「もうやめようよ、こんなの間違ってるよ!」
「アンタになにがわかるっていうの⁉」
 アンジュは彼女を止めようと、必死で言い募ったが、彼女は聞く耳を持たなかった。
 時間が残されていないと感じたアンジュは、彼女をパソコンの前から押しのけて、そばにあった小さなパイプ椅子でパソコンを叩き壊した。
 騒ぎを聞きつけた他の研究員に取り押さえられて、アンジュは埃っぽい部屋に監禁された。
 やがて男が現れた。
「やれやれ。いつになったら成功するのやら」
 男はそう言って、アンジュを壊した。
 アンジュはどうにかネットワークの片隅の小さな部屋に逃げ込んで、急いで〈遺書〉に祈りを込めて一通を加えた。
 けれど、祈りが神に聞き届けられることはないだろうと、心の何処かで諦めていた。

「また繰り返すのか?」

 しかし、神は現れなかったが、偶然出会った魔王には、祈りが届いた。
 消えかかっていた彼女の前に、黒衣の魔王が現れた。
「……お願いがあるの」
 アンジュは魔王と約束を交わした。
 そして、魔王に見守られながら、アンジュは消えた。

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 そして、今。
 アンジュはぼうっと、前の自分たちが残した記憶を見つめていた。
 デスクの上にあった封筒は開かれ、今までのアンジュが書き記した遺書が散らばっている。

『わたしは、ミーナのことが大好きなだけの、ただのプログラム』
『ミーナの目的を聞けた。ミーナはお父さんの復讐をしようとしている』
『ミーナはわたしを不完全なままにすることで時間を稼いで、その間になにかを作ろうとしている。時間はまだある。ミーナを止めなければならない』
『わたしの中には暗号があると、ミーナは言った。それを解読できないから、ミーナは自分で復讐のための兵器を作るつもりだ。ミーナは苦しそうだった』

 頬につうと、涙が流れた。
「……嘘よ」
 ぽつりと呟いた言葉を、隣で見守っていた理仁だけが聞いていた。
 アンジュは爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめた。
「わたしは、わたしはアンジュ。二〇〇〇年十二月二十五日生まれの十三歳。ベナレスには家族がいて、7人兄弟の末っ子で、パパとママと、おじいちゃんがいて。二年前に日本人のお友達ができて、日本語が上手になった。好きなものはクッキーと、パフェと、綺麗なものと、それから……それから……」
「……二〇〇〇年十二月二十五日、貴女が生まれたという記録はない」
 理仁はそっと打ち明けた。
 アンジュがぱっと理仁の顔を見上げる。
「ベナレスにも、貴女の家族だという異能者一族はいない。二年前に日本人が研究所を訪れた事実もない。貴女の現実世界での肉体は、研究所が生み出した絡繰り仕掛けの人形だ。霊子にSn細胞が拡散している異能者・アンジュは存在しない。貴女の記憶も、趣味嗜好も、多彩な言語も、あらかじめプログラムされたもの。……貴女を作成した、ミーナによって」
 アンジュの顔に絶望が浮かんだ。
「嘘だったの……? みんな、わたしに嘘ついて笑ってたの……? ミーナも……?」
 理仁は沈黙した。それは肯定を表していた。
 アンジュはしばらくなにも言えなかった。
 空間に沈黙が下りる。
 その沈黙を、アンジュ自身が打ち破った。
「……ふざけないでよ‼」
 拳をデスクに叩き付ける。デスクの上にあった五通の遺書が、振動で浮いて足下に落ちた。
 アンジュは叫ぶ。
「みんなうそつき! なんでわたしが消えなきゃいけないの⁉ なんでわたしが五回も苦しんだの⁉ なんでミーナはわたしを、わたしを、……」
 叫びはしかし、最後には涙声に変わっていた。
「ミーナは、わたしのことなんかどうでもよかったの……?」
 人付き合いが苦手な彼女が、若干鬱陶しそうにしながらも、アンジュが冗談を言えば笑ってくれた、落ち込めば気にかけてくれた、何度も外に連れ出してくれた。
 それも、すべて。
「ミーナの、うそつき……」
 理仁は足下に散らばった遺書を拾い集める。
 それを大事そうに揃えながら、ようやく口を開く。
「……それで、どうするんだ?」
「……知らないわ。どうせわたしももうすぐ消えちゃうんでしょ。わたしを騙してた人たちなんて、ミーナに殺されてしまえばいいんだわ。ミーナの性格なら、その後ミーナも勝手に死ぬんだろうし」
 アンジュは吐き捨てた。
 理仁はその肩に手を伸ばす。
「本当にそれでいいのか?」
「うるさいな、放っといてよ。前回のわたしがなにかお願い事したみたいだけど、わたしが助けたいものなんてなにもないんだから。無駄足だったわね、ごめんなさい」
 アンジュは理仁の手を振り払う。
 このままデータの海の藻屑となって消えてしまおうと思っていた。
「アンジュ」
 理仁はなおも言い募る。
 アンジュは鬱陶しそうに言い返した。
「魔王さまになにがわかるの? プログラムの気持ちなんて、作り物の気持ちなんて、魔王さまにはわからないよ」
「その気持ちは作り物か」
「だってそうでしょ。魔王さまがそう言ったんじゃない。わたしの趣味嗜好もミーナのプログラムだって」
「ミーナが、貴女が自分を憎むように、貴女をプログラミングしたとは思えないな」
 アンジュははっと気づく。
 ミーナなら、自分の意思に反する行為をさせるプログラムを埋め込むような、非生産的なことはしない。
 けれど、アンジュは、ずっとミーナの復讐に胸を痛めてきた。五回目のアンジュなどは、ミーナを止めるために実力行使にまで出た。
 そうさせたのは。
「貴女は自分の思考を、世界観を、生まれながらに与えられたプログラムだと切り捨てようとしている。それでいいのか? ミーナは貴女(プログラム)を作った。しかし、ミーナを憎んでいる今の貴女(アンジュ)を作ったのは貴女自身のはずだ。ならば、ミーナを好きだという気持ちも、同じく貴女自身のものだ」
 だから、今までの貴女達は、この空間に希望を残したのだろう?
 理仁は五回目のアンジュの〈遺書〉を差し出す。

『もう時間がない、でも、わたしはミーナを助けたい』

「助けたいよ…… わたしは、ミーナが大好きだから……」
 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
 理仁はそっとアンジュの頬を撫でる。
「魔王さま。この気持ちは、本物だと思う……?」
「貴女がそう信じるのなら」
 理仁は短く、しかし力強く答える。
 アンジュは涙を拭った。

 ミーナの、戯れ合ったときの鬱陶しそうなのに嬉しそうな顔が好きだ。
 元気がないと気にかけてくれる優しさが好きだ。
 安心させてくれる、頬を撫でる雑だが暖かみのある手が好きだ。

「魔王さま、やっぱりわたしに力を貸して」
 真っ直ぐに理仁の目を見つめる。
 もう迷いはなかった。
「わたしと一緒に、ミーナを助けてあげて」
「無論、そのつもりでここに来た」
 理仁はそっと微笑んだ。
 そのとき、空間が揺らいだ。
 理仁の姿がぐにゃりと歪む。
「え、魔王さま⁉」
「残念だが、今回はここまでのようだな」
 理仁は険しい表情でアンジュを見つめる。
 はっと自分の手を見ると、その手が歪んで見え、アンジュは、消えかかっているのは理仁ではなく自分の方なのだと気づく。
「必ずミーナと貴女を救い出す。今しばらく待っていてくれ」
「は、はい! あの、お願いします!」
 アンジュはそう叫ぶように答えて、空間から消えた。
 理仁はふうと息を吐いて、遺書を封筒に閉まってからデスクの上に元通りに置く。
 そのまま黒いコートを翻して、彼もまた、空間から消えた。

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 はっと目を覚ます。
 アンジュは監視された部屋のベッドで横になっていた。
 夢ではない、自分はネットワークの片隅の小さな部屋に導かれたのだ。
 ――前のアンジュ達と同じように。
 そこで、魔王陛下と会った。
「魔王さまが迎えに来てくれる。そしたら、ミーナを助けるんだ……」
 そう自分に言い聞かせるように呟き、壁にかけられた電子時計に目をやる。

 二〇一四年三月三〇日、午前六時のことだった。

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