第15話 本当に強かったなら

 夢を見ていた。
 ステージの上でぽろぽろと涙を零す女の子と、高笑いを上げる男。
 女の子の黒い癖っ毛には艶がなく、ずっと眠っていなかったのだとわかる。

(泣かないで、ミーナ……)

 声にならない声で訴えかける。女の子の耳には届かない。

(助けに行くからね、ミーナ……)


 ベッドの上で、音も立てず上半身を起こす。
 ベッドから降りると周囲を見回して、手近にあったシンプルな椅子を片手で持ち上げる。
 それをドアまで運び、

――グシャッ!

 叩きつけられた椅子はひしゃげて原型を失った。
 それをもう一度、ドアに叩きつける。
 所員がドア越しに「何事だ⁉」と騒ぎ出す。
「111010110100110100111110010110101111111100010011101000010110111000010111011110110100101100010111001011」
 叫ぶようにそう言って、ドアに椅子を何度も叩きつける。
 機械の腕が軋む音が聞こえたが、気にならなかった。

(ミーナが泣いちゃう……)

 何十度目かの試行で、ドアと枠の間に隙間ができる。
 そこにもはやただのパイプになった白い椅子を突き立ててひねり上げる。
 ドアがぎいと音を立てて開いた。
「動くな、動く……っ!」
 うるさい所員をパイプで殴りつけると黙って倒れこんだ。

(ミーナが泣いちゃうよ……)

 ミーナが泣くのはダメだ。
 泣き止ませなければならない。
 どうやったら泣き止んでくれるのかわからないけど、さっきの所員みたいに殴りつけてでも泣き止ませなければならない。


 自分の意識がおかしなことになっていることに気づかないまま、アンジュはミーナを探して走り出した。

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「さて、こうして私の勝ちは決まったのですが、」
 アニルは大仰な所作で腕を組んでミーナを見つめた。
 ミーナはぼうっとアニルを見上げる。
「このような盛大な品評会のデモンストレーションとしては、十六年前のつまらない事件の暴露というのは役不足でしょう、ミーナさん? もっと盛大なパフォーマンスをお見せしなくては」
「……なに言ってんの……?」
 ミーナが唸るように声を絞り出す。
 アニルは例の胡散臭い笑顔を作って言った。
「この国の行政諸機関のネットワークを〈DIL〉で攻撃することにしました。間もなくこの国の情報伝達網は崩壊します。革命です。この国に革命をもたらすのです、この私が!」
 ……全身の毛が逆立つような気がした。ミーナは眩暈を覚えながら立ち上がる。
「なにバカなこと言ってんの……? 革命……? アンタが……?」
「そんな怖い顔をしないでください、ミーナさん。貴女が私を陥れようとしたことは水に流しましょう。貴女も愚図なアルシャドのことなどお忘れなさい。私にとって〈DIL〉を作り上げてくれた貴女は女神。私はそれを使ってこの世を導く指導者となるのです。どうです、悪い話ではないでしょう?
 それに、貴女だって望んでいたのではありませんか? 父親の死について十分な捜査もせず、ほんの少しの賄賂で事件をもみ消し、父親の名を地に貶めた警察組織。この国は貴女の敵です。そんな国、潰してしまいましょう、我が女神」
 その言葉はミーナの中にすっと、水のように自然に入ってきた。
 ミーナの口角が上がる。そうだ、この国は私の敵。父を救ってくれなかったこの国を、私はずっと憎んで生きてきた。今日、自ら手を下したわけではないのが些か気にくわないが、それでもこの国の平穏は破られる。私の作ったウィルスで。こんなに面白い話はない。
「ははっ…… あはははははははははは……っ!」
 狂ったように笑う二人に、客席のオーディエンスが狼狽え始める。

 ざわざわと騒めくホールに、低く、しかしよく通る声が響いた。

「貴方と同じにするな、アニル」

 ミーナの視界が黒で覆われる。
 耳元で、どこかで聞いた覚えのある声が囁く。
「落ち着け、ミーナ。貴女はこんなことを望んでいたわけではないだろう?」
 ミーナは、はっと正気に戻る。今、自分はなぜ笑っていた?
 目を覆うそれが取り除かれる。それは黒いコートだった。
 顔を上げると目の前に立っていたのは、黒く長い髪を腰に垂らし、白い面の半分を仮面で隠した、美しく若い男。
 その隣には、十を超えたばかりと思われる、まだ幼い少年。
「ミーナは貴方とは違う」
 男――理仁はアニルに向かって言い切った。
 アニルも、突然の乱入者に怯えたように後ずさる。
「たとえ幼き日に父親を奪われても、自らの足で立ち上がり、気丈に歩いてきた。それが復讐のためだったとしても、オレはそれを否定しようとは思わない。復讐のため血を吐くような努力の末に生まれたものが世を滅ぼさんとする悪魔であったとしても、それを生み出した彼女は、一人もがき苦しみながらもかつての愛にあふれた日々を忘れず慈しみの心を持ち続けた、普通の人間だ。
 私利私欲のために友人を陥れ、あまつさえその娘の心を利用しようとした貴方と、同列に語るな」
 アニルはカーテンの陰に隠れていたタウフィックがステージ上に現れたことで気を持ち直したのか、乱入者に誰何する。
「き、貴様ら、何者だ!?」
 男と少年は朗々と響く声で名乗りを上げた。
「異能者集団〈ノアの箱船〉の魔術師が一人、〈魔王陛下〉…… 四条理仁」
「……魔王の〈騎士〉、高辻十兵衛」

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 風音は付けていた仮面をずらし、ステージに現れた男と少年を異形の右の目でじっと見据えた。
「どうです、意識は読み取れそうですか?」
「彼らも仮面をつけているので、はっきりと顔を見ることができません。これでは千里眼(クレアヴォイアンス)は使えません。もっと近くに行けば、あるいは……」
「そんな危険を貴女が犯す必要はありません」
 風音はそっと唇を噛み締める。千里眼(クレアヴォイアンス)の発動条件は相手の顔を見ること。仮面などで顔を――ましてや、顔の重要なパーツである目元を隠されれば、風音は役立たずだった。
 №1は風音の悔しさなど気にした風もなく、座席から立ち上がって風音に手を伸ばした。
「行きましょう、風音。〈ノアの箱舟〉が関わっているのであれば、ここに長居する必要もありません」
「でも、せっかくのチャンスが……!」
「少し運が悪かっただけのことです。大した損失ではありません」
 そう言われて、風音は少し躊躇いながら、そっと彼の手を取る。
 その手は風音のものより大きく骨ばっていて、冷たかった。
「後のことは懐刀(ダガー)がなんとかしてくれるでしょう。混み合わないうちに外に出ましょう」
「表玄関には〈魔獣〉が……」
「おっと、失念していました。しかし機材運搬用の出入口があるのではありませんか? 探してください、これは貴女にしかできないことです」
 №1はそう言って優しく風音の髪を梳く。
 風音は「はい」と頷いて施設中で見かけた所員の意識を一気に読み取る。
 情報が頭の中で混濁して吐きそうになりながらも、ただただ№1の命令に従って裏道を探し出す。
「……見つかりました、こちらです」
 十数秒でルートを割り出し、№1を導く。
 №1は満足げに風音の後に続いた。

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 氷の矢を蹴り折った桜は、戦闘服集団の中央に立っていた。
 ちょうどその時、インカムから聖の叫ぶ声が響く。
『おい桜! そっちさっさと片付けてこっち来い! ミーナとアニルの方が思った以上にヤバかった!』
「耳元で急に叫ばないでよ、耳痛い…… って、ミーナの方、そんなに危ないの?」
『ああ、アニルの奴がバカやらかしてる。今、理仁と十兵衛がミーナと合流したところだ。そっちに人員が流れ込まないよう、お前が今引きつけてる敵はすべて叩きのめしてやってくれ』
「了解」
 会話が終了し、桜はそっとジャケットの裏側に手を伸ばす。
 戦闘服集団が警戒する中、取り出されたのは九本の棍棒と一振りの鎌、そしてそれらを繋ぐ黒い縄。「九節棍?」と誰かが呟いた。
「ただの九節棍じゃないわよ、アタシの実家に古くから伝わる呪いの九節棍、〈蠍姫(シーチェイ)〉ちゃん。……さーて、一気に片付けたいから一気に行くわよ」
 言うが早いか、薙刀の付いた棍棒を振り回し始めた桜から、戦闘服集団は逃げようとする。
「全員……喰い殺す……!」
 紅い瞳が妖艶に揺らめいた。


 一目見てその武器の攻撃範囲が広いことを察知したハサンは、部下達を下がらせようとした。
 しかし、その叫びを上げる前に速度を増して襲いかかる鎌に切りつけられ、部下達は次々に倒れていった。ハサン自身、どうにか距離を取ろうとしたが間に合わず、左腕を折られて倒れこんだ。
 加速度的に速さを増す鎌が、カラスマを中心として台風のように渦巻きながら襲い来る。長く傭兵として戦ってきたハサンですら恐怖に身体が萎縮したのである、部下達は声を上げる間もなく倒れ伏した。
 数十秒後。
 カラスマを取り巻いていた三百人余りの兵士達は、一人の例外もなく彼女の前に膝を折った。


「っとと、危ない危ない。……死人は出てないでしょうね」
 軽い調子で九節棍を手元に引き戻し、桜はほっと息をついた。
 しかし次の瞬間、前を向いたまま右へと飛び、急襲を躱す。
 ハサンがサーベルを突き出していた。
「なによ、おとなしく倒れておけば見逃してあげたのに」
「オレを…… 甘く見るな……ッ!」
 サーベルが赤く燃え上がる。そういえばこいつは熱エネルギー操作系の異能者だったかと思い出した桜は、すっと構える。
「いいわ、かかってきなさい。二度と剣なんて握れなくしてあげる」
 何事かを叫びながらサーベルを振り上げたハサンの懐に潜り込み、鎌で足の腱を斬り、棍棒で右肘を砕く。
 倒れこんだハサンが、桜を恨めしげに睨みつけている。
「許さん、許さんぞ……!」
「……もうやめてよ、鬱陶しい。なにがそんなに気に食わないのよ?」
 ちょこんとハサンの目の前につま先立ちでしゃがみこみ、その顔を見下ろす。
 顔色が悪い。まだクスリでもやっているのではないかと桜は他人事ながら心配になった。
「アンタ、前もクスリでラリってたわよね? 今もそうなの?」
「……貴様は、貴様らはそうやって、オレ達を見下す……! 力に頼ってなにが悪い……! オレ達は……そうやって生きるしかないんだよ……!」
「悪いけどバカみたい。そんなの本当の力じゃないわ」
「ああ、本当に強い、貴様にはわからん……! 偶然生まれ持った力に恵まれた貴様にはな……!」
 そこまで言って、ハサンの意識はぷつんとこと切れた。喋らなくなったその男の頭を、桜は立ち上がると黙って蹴りつける。
「だぁれが『生まれ持った力に恵まれた』、よ……」
 桜色の唇の先を尖らせる。
 そして倒れた兵士達の上を(避けようにも隙間なく倒れこんでいるので仕方なく)踏みつけながら建物の方へ向かっていく。
「それに、アタシが本当に強かったなら、」
 歩きながらぽつりと、泣き言のように呟いた。

「あの時、ほたるを失わずに済んだんだから……」

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