第17話 騎士

 客席からは悲鳴があがり、逃げ惑う観客たちが出口に集中して押し合いへし合いの大混乱に陥っていた。
 それには露ほどの関心も示さず、タウフィックは唸り声をあげながら、自分の腰くらいまでの身長しかない少年に突進して、電流を纏わせたサーベルを振りかざす。
 十兵衛は冷静に、身の丈ほどもある大剣でそれを薙ぎはらった。
 金属同士が触れ合うような硬質な音がステージに響く。タウフィックは胡乱げに少年を見やる。
「電流を通さない……?」
「はい。ただの金属ではありません」
 十兵衛は人懐っこい笑みを浮かべる。
 タウフィックは少年に注意を向けたまま、カーテンの陰に引っ込んだアニルに視線を送る。
「ここは危険です。お逃げください、アニル先生」
「ミーナさんを取り戻してください! まだなにか企んでいるかもしれない!」
「ここを片付け次第お連れします。とにかく今は早く!」
 アニルは強い口調で一時撤退を指示されたが、なにか言いたげにその場にとどまっていた。
「アニル先生、」
「余所見だなんて余裕ですね!」
 十兵衛がタウフィックの腰目掛けて大剣を振り切る。
 咄嗟にサーベルで防ぐが、加速した重量に耐えきれずタウフィックの身体が客席へと吹き飛ばされる。
 アニルはそれを確認すると血相を変えて逃げ出した。
 十兵衛はちらりとその背中に目をやるが、客席でまだ動く敵の影を視界の端に見て取ってそちらに集中する。
 タウフィックは懐に手を突っ込み、小瓶に詰められた錠剤を一掴み口に放り込む。
(そういえば、三年前の彼は薬物異能強化実験の被験者でしたね……)
 十兵衛は脳の片隅に残っていた記憶を引っ張り出す。
 がりがりと錠剤を噛み砕いて飲み込んだタウフィックは、ゆっくりと身を起こす。
「……先手必勝、といきたいところですが」
 十兵衛はステージからタウフィックの立つ客席へと飛び込む。
 タウフィックのサーベルが、先ほどよりも強い電光を放って十兵衛の大剣を受け止めた。
 十兵衛は、タウフィックの目が赤くぎらついているのを見て息を飲んだ。
「ゔおおおおぉぉぉぉぉッ‼」
 サーベルで押し返され、十兵衛の小さな身体が宙を舞う。
 危なげなく着地し、ちらりと大剣を持つ両手に目をやると、かすかに皮膚が赤くなり火傷しているのがわかった。
 十兵衛は舌打ちしたい気分になる。
 理仁の言葉を思い出す。彼は神経系にSn細胞が集中している異能者だと言った。神経を走る微細な電流を目に見える形で体外に放出しているということだろう。Sn細胞は本来、宿主の身体を傷つけるほどの力は与えない、しかし、薬物でそのSn細胞の枷を外してしまったら。
「こんな電流使ってたら、あなたも無事ではいられないでしょう!」
 十兵衛が叫ぶ。タウフィックは聞いていないのか、あるいは聞こえないのか、充血した目で敵を探している。その目が十兵衛を捉えた瞬間、「ゔあああああぁぁぁぁぁッ!!」と苦しげに叫びながらサーベルを低く構えて突進してきた。
 十兵衛は大剣でそれを受け止めて、冷めた目で電流を纏う男を見下ろす。
「ケダモノみたいな状態で戦おうだなんて。オレを見くびりすぎですよ、おじさん」
 少年の背中がピクピクと蠢いたかと思うと、そこから衣服を突き破って黒い「何か」が現れる。それは十兵衛とタウフィックを包み込むように広がった、カラスのそれのように黒くて艶めいた〈羽〉だった。
 タウフィックが不思議そうにその羽を見る。
「な……ン、だ……?」
「……オレが生き延びる代わりに受け取った、魔王様の血。オレの身体と、この剣は、魔王様から授かった黒い細胞によって生かされているんです」

 魔王の血は、崖から転落し身体中を損傷した少年を、壊れた細胞を埋め合わせる形で、健康な状態に引き戻した。それどころか、彼が戦うための剣として、彼を守るための盾として、彼の身体を変幻自在の武器に変えた。
 十兵衛に与えられた異能は、『体組織の変形・強化』。

 黒羽から一筋の黒い糸が伸び、タウフィックの首に絡みつく。
 それは徐々に彼の首を締め上げ、すでに薬物で意識が朦朧としていたタウフィックは赤子が眠るようにくたりと動かなくなる。
 失神したタウフィックを静かに横たえて、十兵衛はくるりと踵を返す。
 カーテン裏で腰を抜かして逃げ遅れた所員を見つけると、「彼も連れてここから逃げてください。火傷の手当てと、間に合うかわかりませんが胃の洗浄も」と、できるだけ怖がらせないように指示する。所員は馬鹿みたいにコクコクと頷いて、カーテンを飛び出すとタウフィックを引きずって客席を後にした。怪我人を運ぶにはお世辞にも適当とは言えない体勢だったが、この緊急事態に文句は言っていられないし十兵衛がそれを言う筋合いもない。
 客席から人影が消えたのを確認してから、十兵衛は理仁たちを追って走り出した。

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 アニルはよたよたと力ない足取りでリノリウムの廊下を走っていた。
 ハサンが防衛していた正面玄関は突破されたと、連絡が入っていた。タウフィックもおそらく勝ち目はない。正面玄関に人員を割いたから、残された兵力はわずか。そのわずかな兵力も、指示系統の乱れた現在は統率できない。
 アニルが行政諸機関に放った〈DIL〉を、ミーナが自分から止めるとは考えにくい。彼女が、国家に対してもアニルに対するのと同等の憎しみを抱いていることは、長年彼女の性格を観察してきたアニルにしてみれば明らかだった。しかし。
「ミーナは情に流されやすい……」
 強情で、滅多なことでは自分の意志を曲げない。しかし、仲間と認めた相手に請われれば、躊躇ってしまう。そして、ミーナが唯一仲間と認めている存在(アンジュ)は、檻の中に閉じ込めたとはいえまだ「生きて」いる。もし、品評会に乱入した〈魔王陛下〉たちがアンジュとミーナを接触させたら。
「さっさと破壊しておくべきだったか……」
 失策だったと、後悔しても遅い。ミーナが接触する前に、〈あの〉アンジュを破壊しなければ。
 ともかく態勢を立て直さなければと、前を向いたとき、白いスーツが角を曲がるのが目に入った。
「№1!」
 光明を得たとばかりに駆け出して、その白い影を追う。
 スーツの肩に手をかけると、仮面をつけた青年は「おや」とさして驚いた風でもなく振り返った。
「これはこれは、アニル先生。どうかなさいましたか?」
「№1! どうかお力を貸してください!」
 自分より二回りも年下の青年にすがりついて助けを請うアニルの姿は、常の彼であれば恥辱に身が震えるはずのものであったが、彼は息も絶え絶えに№1の前に膝をついた。
「敵の侵攻が予想以上でした、このままでは私の計画が潰されるかもしれない、どうか、どうかお力添えを……」
「申し訳ありませんが、お力にはなれません」
 №1は常時と変わらず、人の良さそうな笑みを浮かべながら、アニルにとって絶望的な答えを返した。№1のスーツを掴むアニルの手が震えた。
「どうしてです、先ほどは協力してくださると……!」
「事情が変わったと言えば納得していただけますか?」
 微笑みを絶やさない№1に、アニルはわずかな希望すら打ち砕かれたことを理解した。そしてその絶望は、激昂となって№1にぶつけられようとした。
「この……ッ!! 人が下手に出ればいい気になって……ッ!!」
 勢いよく立ち上がり、その仕立てのよいスーツの首元に掴みかかろうとしたとき、№1の背後で身を潜めていた小さな影が素早くアニルの腕を掴む。影はアニルの腕をそのまま後ろ手に捻り上げて、アニルの身体をリノリウムの床に磔にする。
「なにッ…… 痛ッ!?」
 アニルがちらりと目をやると、№1の側に控えていた白いパンツドレスの少女が、年頃の娘とは思えない力で彼を押さえつけていた。
「あまり抵抗しない方がいいですよ。彼女には古今東西の武術を仕込んであります。貴方一人くらい徒手空拳であっても捻り殺すことは容易い」
 さらりと物騒な台詞を吐くと、№1は乱れたスーツを整える。
「事情が変わった、と言って納得していただけないのであればご説明しましょう。すなわち、我々は貴方の本性を知ってしまった。共に研究所を築いた仲間を裏切り死に至らしめ、その娘を利用して兵器を作らせ、あまつさえその兵器をあたかも自らの力で作り上げたかのように利用する。
 ……あまりにも姑息だ。そんな男に、私の大切な部下達を武力として貸すことなどできましょうか。組織の首領として、私には部下達の安全を確保する義務がある」
 アニルは顔を床に押し付けられながらも、血走った目をひん剥き№1を見上げる。少女はゆっくりとアニルの肺から空気を奪うように力を込める。残された空気に激情を乗せて、アニルは言葉を絞り出した。
「この……ッ、悪党が、なにを偉そうに……!!」
「我々悪党も悪党なりに、信義誠実の道理を遵守したいと考えているのですよ。裏でも表でも関係ない、ビジネスの世界は信頼関係を基礎に成り立っているのです」
 アニルにはもう、言葉を発する気力も残されてはいなかった。
 そこで№1は「おっと」と、思い出したように言葉を続ける。
「最後にひとつだけ。先ほどは質問に答えていなかったので、今、お答えしましょう。異能者集団〈ノアの箱舟〉のことです。
 ……タウフィックレベルの傭兵には『義賊』程度としか認識できないでしょう。たしかに彼らの行っていることは義賊のそれに近い。しかし、その行動原理は義賊からは程遠い。強力すぎる異能を抱え、社会からはみ出した異能者の成れの果て。力を持て余した十三人の異能者たちを中心に、自らの存在意義を求めて集結した、あくまでも『自分たちのため』の集合体なのです。ただ、統率を図る手段として繰り返す破壊と略奪が、結果として社会悪を正すことに繋がっているというだけのこと。彼らは自分たちのために戦う。――だから、強い。
 どうしてこんなにも彼らを知っているのか、という顔をしていますね。簡単な話です。私の部下が、かつて〈ノアの箱舟〉の〈魔王陛下〉と戦場を共にしたことがあるのですよ。その部下からもたらされた情報です。貴方も聞いたことくらいならあるでしょう。結晶型能力者、〈緋の心臓〉と〈碧の瞳〉。〈ノアの箱舟〉で〈魔王陛下〉を名乗る男こそ、世界の至宝とも言われる〈緋の心臓〉所有者(ホルダー)なのです」


 「千里眼(クレアヴォイアンス)、もういいですよ」と、№1が一声かけると、アニルを押さえつけていた力がふっと消える。それでもしばらく、アニルは呼吸困難のため起き上がることができなかった。
「彼らは強いですよ。せいぜい足掻いて見せてください、アニル先生?」
 そう言い残し、№1と千里眼は振り返ることなく歩き出す。
 しばらく歩いたところで、千里眼――風音はそっと№1に囁く。
「№1、ひとつよろしいですか?」
「なんですか、風音」
 №1は仮面の下で相変わらず真意を読み取れない笑顔を風音に向ける。
 風音はその顔を見つめて続けた。
「もし、初めからアニル氏が助力を乞うていたら、一時的にでも戦力を貸し与えたのでしょう? しかし、今すぐに動かせるビッグ4の戦力では、十三人の魔術師のうちの〈魔王陛下〉に〈魔獣〉の二名、それに、魔王陛下の配下である〈騎士〉を攻略することは、懐刀(ダガー)がいるとはいえ難しいのではないかと」
「そうかもしれません。しかし、仮に助力を請われれば、私は相手が〈ノアの箱舟〉であっても、勝つつもりでいましたよ。いいえ、勝たなければならないのです」
 風音は見逃さなかった。微笑みこそ絶やさなかったが、№1の瞳に、強く、何物にも侵されることのない決意が煌めいたことを。
「あくまでも『自分たちのため』に戦う彼らの戦いに大義はない。『すべての異能者のため』に戦う我々こそが、真の正義。自己中心的な蛮族に屈することなど、あってはならない。そう、我々は負けてはならないのです」
 そして、いつもどおり穏やかな光を湛えた瞳で、№1は風音を愛おしむように見つめる。
「そのためなら、貴女も戦ってくれますね? 風音」
 風音は思わず頷いた。そして、これまで繰り返してきた通りの言葉を続ける。
「もちろんです、№1。この千里眼は貴方の理想のために使うと、ずっと前から決めています」
「ありがとう、風音」
 №1が目を細めた。
 風音は彼の視線から逃れるようにすっと前を向く。
(それでいいんだ)
 心に浮かんだ言の葉は、紡がれることなく奥底に沈んだ。

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 人形がその人影を見つけたのは、本当にただの偶然だった。
 階段の踊り場で戦う二人の異能者と、それを呆然と見つめる女性。
 その女性の横顔は、人形の記憶にある少女のそれとよく似ていた。
 だから、ゆっくりと近づいて、確かめようとした。
 人形に気づいた女性が、はっと振り返って目を見開く。
「アン、ジュ……?」
 正面から見た女性の顔は、記憶(データ)にある少女の顔と合致しなかった。
「111110110100100110010110101000110000101011110100」
 そう判断し、女性に背を向けて歩き出す。
「まって、アンジュ……!」
 人形は縋り付くように肩に手をかけられ、バランスを崩す。
 その接触を、人形は「攻撃」と判断した。
 攻撃された場合の反応を、プログラムが指示する。
「110010111100010111111110101000110100101100010110101000101000010110110010011110」
 女性の腕を、人形は最大限の力で掴んだ。
 人形の腕と女性の腕の両方から、ミシリ、と不快な音が響く。
「きゃあっ!!」
 悲鳴をあげながら腕を振りほどこうとする女性は、やはり記憶(データ)にある少女ではないと、人形は壊れゆく知覚の中で冷徹に判断した。

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