第20話 最適解

 桜の手によってラックの下から救い出されたミーナは、ぴくりともせずただ真っ直ぐに、動かなくなった人形を見つめていた。その様子は、彼女自身が、心を失って人形になってしまったかのようだった。
 侵入者たちを追い払った理仁と十兵衛は、桜とともに聖に状況報告を行っている。誰もミーナに声をかけることはしなかった。不注意からアンジュに無理をさせた後ろめたさもあったが、ミーナの背中が彼らの慰めを拒んでいたというのが大きかった。
 理仁がミーナの無事とアンジュが動かないことを伝えたあと、聖は少し考えてから理仁に訊ねた。

『アンジュがどこに行ったか、お前には見当がついてるんだろ、理仁』

 ――アンジュがどこに行ったか――

 ミーナの耳には、その言葉が、ミーナの手の届かないどこか遠くで聞こえたような気がした。

「ああ、見当はついている。あの『小さな部屋』だ。五回目までのアンジュはそこで最期を迎えている」

 ――最期を迎えている――

 わたしのせいで。

『お前なら行けるんだな?』
「ああ。アンジュを助けるのがオレの約束だ」

 ――アンジュを助ける……?――

 ぼうっとした頭で、面を黒髪の男に向ける。
 理仁は桜と十兵衛に向き直って言った。
「オレはアンジュを助けに行く。DILのことは貴方達に任せていいか?」
「当たり前でしょ、さっさと行きなさいよ。理仁しか行けない場所なんだから」
「ぜーったいにアンジュさんを助けてきてくださいね!」
 仲間達の言葉に小さく微笑んで、理仁は、すうと目を閉じた。
 そのまま倒れ込みそうになる彼を、桜が危なげなく抱きとめて、床にそっと横たえる。
 スピーカーの向こうの聖が問いかける。『行ったか?』
「行ったみたい」桜が答えた。

 ――アンジュは、助かる、の……?――

 ミーナは、心臓に近い熱い部分が締め付けられるような感覚を覚えた。

 桜がスピーカーに向き直る。
「アンジュちゃんの件は理仁に任せるとして、こっちの問題はDILとアニルよね。聖、手はないの?」
『C.C.の仕組みはよくわからねぇが、お前らのいる棟の一室で数十分前からやたらと電力使ってる妙な部屋がある。電力使い続けてるってことは、C.C.は人間の意識を完全にサイバー空間に移転ないし再現するものではなくて、一定時間ごとに肉体……というか脳と交信してサイバー空間上に意識があるように表現していると考えるのが妥当だと思うんだが……』
「そういう細かいことはいいから、具体的にどうすればいいの?」
『つまりだな、アニルの本体を叩けば交信が途切れて、DILを操ってるサイバー空間上のアニルは消滅する……かもしれない』
「んー、やってみなきゃわかんないって感じ?」
『そんな感じだ。桜、お前ひとっ走りしてアニルを叩き起こして来い』
 緊急事態にもかかわらず随分軽い調子でそう言った聖は、『場所はここ』とスクリーン上に地図を広げる。桜はそれをちらりと見て、言った。
「B150号室、『アルシャド研究室』、ね。ま、地図よりは〈害悪の告知〉に頼った方が早いんだけど。アニルの気色悪い悪意がさっきから収まんないの」
 吐き捨てるようにそう言って、桜は部屋を飛び出していった。
 聖は残された十兵衛に、『お前はそこで理仁とミーナの身の安全確保な』と命じる。十兵衛はこくりと頷いた。
 ミーナは、ぐわんぐわんと重たい頭を抱え込んで、(もう、全部なくなってよ)と自棄っぱちに考えた。

   ********

 №1を無事に外へと連れ出した風音は、迎えの車内に乗り込むと、虚ろな右目で戦場の様子を眺めていた。
 人形の少女の残骸を前に打ちひしがれる女性。
 ミーナの意識を読み取ろうとしたが、彼女の意識に上っては消えるのは悲しみと嘆きと怒りと寂しさと…… 名宛人のいない憎しみと。
「『時代の寵児』とやらの様子はどうですか、風音?」
 №1はくすくすと笑いながら端末を弄る。彼の意識はすでに次の仕事に向かっている。目の前で十六年にわたる復讐劇が起きた後だというのに、この男の神経はどうなっているのかと風音は純粋に不思議に思った。
「ミーナの意識ははっきりしていません。アンジュを失って茫然自失といったところです。そんなに大事なら離さなければよかったのに、変な女性(ひと)です」
「そうですねぇ。彼女は選択を誤ったのですね。復讐を選んで、共に育った姉妹のような友人を切り捨てた。まあ、可哀想ですが自業自得ですね」
 風音も大筋では同じ意見だったので「はい」と呟くように答えた。
 風音は考える。名宛人のいない憎しみ、これは一体何なのだろう。
 ――彼女の身近にも、こういう憎しみに囚われている仲間がいる。
 ふっ、と意識が自動車のドアの向こうに向く。その「仲間」が任務を終えて戻って来たのだ。礼儀もへったくれもなく乱暴に開け放たれたドアから顔をのぞかせたのは、取引証拠の隠滅のために№1が放ったユーリだった。
「終わったぜぇ、リーダーさんよ」
 にやりと口角を釣り上げるユーリに、№1はふわりと微笑むが、その隣の風音は、きっ、と彼を睨みつける。
「遅いです、懐刀(ダガー)。〈緋の心臓〉と遊んでいなければ、もっと早く離脱できたものを……」
「五月蝿ぇよ、千里眼(クレアヴォイアンス)。普通アイツがいたら殺すだろ」
「貴方たち、死なないんでしょう? 不毛ですね」
 風音はぴしゃりと言い放ったので、ユーリは最後に「なり損ないが偉そうに」と吐き捨てるように呟いて、車内に乗り込んだ。運転手がなにも言わずに自動車を動かし始める。
 №1は興味深そうにユーリに訊ねた。
「〈緋の心臓〉と遊んだのですか。どうですか、彼の調子は?」
「いつも通り、ムカつく奴だった」
 ユーリはそれ以上はなにも言わなかった。風音は(今ので№1の質問に答えたことになるの?)と不思議に思ったが、№1は特になにも言わなかったので風音も黙っていた。
 〈緋の心臓〉と遭遇することは滅多にない。彼は数年前から〈ノアの箱船〉に守られていて、彼らはビッグ4と鉢合わせないように細心の注意を払っているし、ビッグ4も彼らとの関わり合いを極力避けているからだ。両者の間では〈緋の心臓〉と〈碧の瞳〉という二人の結晶所有者が抑止力となっている。戦いを始めればどちらかが勝ったとしても残った組織の弱体化は必至。彼らの思想は№1のそれとは全く異なるが、№1の中では、今、相手を潰そうとするのは得策ではないと判断されているらしい。……そうは言っても、いずれは対峙せねばならない相手なのだろうが。
 かかる組織の思惑もあって、風音の記憶する限りでは、前回ビッグ4が〈緋の心臓〉と出会ったのは五年前の事件の渦中だった。そういえば、その時もなぜか、この二人の結晶所有者たちは突拍子もなく殺し合いを始めたのだった。幼かった風音は№1の隣でその様子を眺めていたが、№1の命令が頭に届いていないかのようにユーリは暴れ狂っていた。風音は不思議だった。どうして〈緋の心臓〉をここまで毛嫌いするのか気になって、右目でそっとユーリの心を見つめた。そのときの彼女は幼くて、完全に理解することはできなかったが、今ではなんとなくだがわかったような気がする。

 二人の間に、特に何かあったというわけではない。
 ただ、お互いにお互いが気にくわない。
 というか、そもそも、

 誰も彼もが気にくわない。

 なにも好きなものがないから、あるいは、好きなものが見つからないから、なにもかもが気にくわないのだ。
 世界のなにもかもが気に食わなくて、だから、なにもかもが憎くてしょうがないのだ。
 そしてそれは、〈碧の瞳〉も〈緋の心臓〉も、今回の件でいえば〈時代の寵児〉も――たぶん〈彼〉も―――、同じだ。
 名宛人のない憎しみに縋らずにはいられない。生きていけない。
 そうしてなにもかもを敵に回して、全部ぶちのめして、ぐちゃぐちゃにして、なぎ払って、掴み取った新しいまっさらな世界で、今度こそ好きなものに囲まれてみたい。
 砂場でお城を作ろうとしても思い通りにならないと癇癪を起こして他の子どもの砂山まで壊して回る、自分勝手な幼稚園児みたいな発想だ、けれど、現にミーナは本気でサイバーテロを実行しようとしている。彼女はそのためだけに生きてきた。

(「敵」がいなければ生きていけないなんて)

 風音は思った。
 そうやって生きてきた人たちを否定するつもりはないけれど。
 敵を作って憎むことが、彼らにとって最適解だったのだろうけれど。
 それでも、そうやって憎しみに心を灼かれ続ける生き方はやはり、苦しいのではないか。

(面倒臭い人たちだわ)

   ********

 ふわふわとした浮遊感の中、アンジュが目を覚ますと、そこは以前に来たのと同じ、小さな部屋だった。
 ただ、以前とは違って、そこにはデスクとパソコンはなく、テーブルとその上のフロッピーディスクが残されていただけだった。――パソコンの方は、もう役目を――今回のアンジュに自分たちの遺志を伝えるという役目を――無事に果たしたから消えたということだろうと、アンジュは思った。
「ミーナ、大丈夫かな……?」
 結局、またひとりにさせてしまった。アンジュ自身が限界だったのもあるが、そうなる前に、もう少し早く行動を起こせなかったのかと後悔する。
「大丈夫だ、ミーナは無事だ」
 不意に疑問への答えを投げかけられて、アンジュは声がした方に勢いよく顔を向けた。
 魔王陛下・四条理仁がそこにいた。
 アンジュは、ほっ、と胸をなでおろす。
「よかった。魔王さま、ミーナを守ってくれてありがとう」
「ミーナを守ったのは貴女だ、アンジュ。オレたちこそ、貴女に謝罪せねばならない。先ほどの襲撃はオレたちが注意していれば防げたはずだった」
 目を伏せた彼の睫毛で、目元に影ができて、金色の瞳が隠された。その金色の瞳を見たくて、アンジュはぶんぶんと首を振って、努めて明るく笑った。
「そんなことないよ、魔王さまたちがあいつらを追い払ってくれなかったら、ミーナ、殺されてたかもしれない。アニルの刺客だよね、あいつら。本当、やることがぜーんぶ姑息なんだよ、アニルって!」
 理仁はふっと顔を上げた。「貴女は優しいな」その声は優しくて、けれどどこか寂しげで。どうしたんだろう、と、アンジュは不思議に思った。
 しかし、理仁はすぐに表情を切り替えて、「これからの貴女の話をしよう」と切り出した。
「おそらく今回の貴女も限界が近い。ミーナや聖は、貴女に『穴』があるから、それが貴女を不完全ならしめて消滅へと導いているのだと言っていた。アンジュ、『穴』を埋めるコードの手がかりはないか?」
 アンジュは「うーん……?」と首をひねった。
 手がかりになりそうなものなら、ある。
「あのね、魔王さま。向こうにあったパソコンは消えちゃったけど、こっちのテーブルとフロッピーはまだ残ってるでしょ? だからたぶん、これがなにかの手がかりになると思うんだけど、わたし、このフロッピーに触れないの」
 理仁はテーブルと、その上のフロッピーディスクを見た。そして頷く。
「……そのディスクからは、アルシャドの愛情を感じる。娘たちを慈しみ、守りたいと願う父親の思いだ」
「……そういうことまでわかっちゃうの? 魔王さまは不思議だね」
「今なら、触れるんじゃないか?」
 理仁はアンジュに向き直って、言った。
 アンジュは首をかしげた。「だって、この前は触れなかったし……」
「今の貴女は、ミーナに縋るだけではない、彼女を守りたいと心から願っている。そのディスクも、今の貴女なら受け入れてくれると思う」
 彼の言葉には理論的な根拠はほとんどなかったけれど。そういうものなのか、と、アンジュは妙に納得した。
 テーブルの上のフロッピーディスクに手を伸ばす。

(わたしはもう限界だけど、今度こそミーナを守りたいの)
(すべて終わったら、わたしは本当に消えてもいい、だから、)
(お願い、お父さま。貴方の代わりに、わたしがミーナを守るから)

 ――なんの抵抗もなく、アンジュの手はディスクに届いた。
 その瞬間、空間に浮かび上がるのは窓とキーボード。
 窓には『PASSWORD』と表示されている。

 予想外の出来事に目を白黒させていたアンジュを、理仁の落ち着いた低い声が冷静に呼び戻す。
「アンジュ、ディスクに手は届いたな。パスワードに心当たりは?」
「え、あ、そっか…… パスワード、か……」
 考える。父ならどんな言葉を選ぶか。
 パスワードといえば、大文字と小文字と数字と記号を組み合わせて、容易には推測できないような、けれど、絶対に忘れないものを選ぶはず。誕生日は安直すぎるとしても、結婚記念日とか、子どもの名前の頭文字とか、好きな言葉とか、そういうもの。

 父なら、なにを選ぶか。父の、大切なものは。

 ――そんなもの、ひとつしかないじゃないか。

 キーボードに手を伸ばそうとしたとき、空間が歪んだ。
 何者かが空間そのものに圧力をかけているかのように。
 アンジュは理仁に向かって叫んだ。
「魔王さま、これって……!」
「……アニルだ」
 理仁が答えた瞬間、部屋の壁が不自然にゆがんで、そこから白衣をまとった禍々しい存在が現れた。

「アンジュさん、探しましたよ……」

 引きつったように嗤うその男は、アンジュをひたと見つめて、満足そうにそう言った。

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