第22話 もう一度だけ

 あーあ、馬鹿だなぁと、自嘲する。
 今さら気づいても遅いのに。もう、あの子を望む資格なんてないのに。
 どうせあの子が戻ってこないのなら、このまま全部消して、逃げちゃえばよかったのに。頭の片隅で数分前までの自分の影が勿体なさそうにため息をつく。この影はおそらく消えない。自分はサクラの側の人間ではない。自分を、父を苦しめたすべてが、マツバラの話を聞いた今でも、やっぱり憎くて、許せない。自分はこれからも、影とともに生きていくのだろう。
 でも、影に翻弄される自分を見ている女の子がいた。ずっと昔、まだ姿形のなかったあの子と出会って、毎日飽きることなくおしゃべりして喜んでいた、コンピュータが大好きな幼い女の子。彼女が、だめだよ、と自分を見つめていた。
『あの子が生まれてきてくれたこの世界は、本当にあなたが思っているほど希望がない?』
 そんなわけないよね、と微笑む女の子に、謝りたかった。


 ずっと忘れていてごめんなさい。
 二度と、見失ったりしないから。

 この機に乗じて、犯罪事実すべてをアニルになすりつけてやればこれ以上ない意趣返しになっただろう。国が、世界が混乱に陥るのを眺めて満足したあとさっさと死んで終えば、十六年という時間と血の滲むような努力が結実したといえる、演出的には最高のメリーバッドエンドになったかもしれない。ミーナが本当にひとりだったなら、第一の選択肢に挙がっていたはずだ。
 それなのに。最後の最後で、あの子が笑ったから。
 ずっと見守っていてくれた、いつも明るい方へと手を引っ張って連れ出してくれた、愛されていた、愛していた、一番の友達が願ってくれるなら。生きて応えなければと、本気で思った。
 父を殺し自分たちを迫害したこの世界は、確かにろくでもなかったけれど。
 あの子が生まれてきてくれたこの世界に、あの子が確かにいたこの世界に、もう一度だけ、期待しようと思えた。

   ********

 ミーナはDILが停止したのを確認して、ふうと息を吐いた。
 十兵衛が恐々といった様子で近づいて、「あの、DILを止めてくれたんですか……?」とミーナを見上げた。
 ミーナは十兵衛の問いに頷いて、別の場所で様子を見ているはずの聖に向かって「ここでできることはやったわ」と伝えた。スピーカーから聖の声が響く。『心に住む者、か。ちなみに、後半の数字はなんだ?』
「アンジュの元になったプログラムの大きさ。バイト表記だったからバカみたいに大きな数字になっちゃったけど」
『……いや、それって九〇年代だよな? 普通に六十六メガあるんだが…… お前の親父さん、プライベートでなに作ってんだ……?』
「作業してなきゃ落ち着かない仕事人間だったから。仕事が片付いちゃって、なんでもいいから作りたかったんじゃない? ……まあ、個人的に作ったにしては大作すぎる気もするけど」
 『解せない……』などとぶつぶつ呟く聖のことはお構いなしに、「そんなことより」とミーナが仕切り直した。
「DILは止めることができたけれど、C.C.がまだ動いているんでしょう? アニルが気づいたら厄介よ」
「C.C.って、アネキがアニルを叩き起こしに行ったあれですよね。アネキの脚ならそろそろ着いてもよさそうなんですけど……」
 十兵衛がドアの方を見たそのタイミングで、聖が『ちょっと待った、ちょうどよく桜から着信あった』と通話に出る。桜の声は聞こえなかったが、聖の応答はスピーカー越しにミーナと十兵衛にも聞こえた。
『あ? ……火事? いやお前、それはアニルが時間稼ぎに…… え、マジで火? 焦げた? ……あ、マジだ。ヤベェな……』
 飛び出してくる単語がそもそも穏やかでない。
 ミーナが素早く画面を切り替えて火災探知システムにアクセスする。
 十兵衛たちのいる地下フロアの北側が赤色で表示されている。十兵衛は、おそらく赤色の表示が火の回っている箇所なのだろうと頭の冷静な部分で考えていたが、頭の残りの部分は経験したことのない地下火災にパニックになりかけていた。
「……ジュウベエとかいったわね。そこで寝てる魔王だかなんだかを移動させる準備をして。早くしないと火に呑まれるわよ」
 十兵衛はミーナの指示にはっと我に返り、理仁に駆け寄った。
 ミーナと聖がやり取りしているのを背後に聞きながら、理仁を羽でそっと包む。行動はいつも通り落ち着いていたが、どうにもぼんやりとしてうまく回らない頭のなかで、自分たちのことよりも、一人駆け出していった仲間の少女の安否はどうなっているのか、不安がぐるぐると渦を巻いていた。

   ********

 長い廊下の突き当たりを曲がれば目的の部屋がある、そこまで到達していた桜は、はたと脚を止めた。『この先に危険がある』、彼女の異能がそう警鐘を鳴らしていた。
「次……いや、その次の角か……」
 覗き込もうとした瞬間、警鐘が一層大きな音で鳴り響いた。桜がとっさに飛び退った角から、熱く、乾燥した突風とともに火炎が唸りを上げて吹き出した。ちりちりと焦げ臭いにおいで、髪が焦げたらしいと気づく。
「はぁ!? 火は嘘だって言ってたじゃん!」
 一旦距離を取りながら通信機を引っ張り出す。
 相手が応答するまでの時間が嫌に長く感じられて、常でさえ短気な桜の苛立ちは加速度的に高まっていった。
『はいよ、どうし……』
「どうしたもこうしたもないわよ! 火! 火事! ファイヤー!」
『あ?』
「だから、もうちょっとで部屋につきそうなのに火事で通れないの!」
『火事? いやお前、それはアニルが時間稼ぎに……』
「だ!か!ら! 誰かがそのあとマジで火ぃ着けたのよ! 髪焦げたし!」
『え、マジで火? 焦げた?』
「さっきから言ってるでしょ!」
『……あ、マジだ。ヤベェな……』
 通信機の向こうでカタカタとキーボードを叩く音がする。ようやく彼も調査する気になったらしい。少々対応が遅いが話が伝わったのでよしとする。
『誰か思い当たる奴いるか?』
「ビッグ4の雇われ不死人ならさっき見たわ」
『デスヨネー』
「理仁の馬鹿…… 喧嘩するくらいならいっそ微粒子レベルに分解するとかして抹殺しときなさいよ……」
 無茶苦茶な悪態を吐き捨てると,桜はそのルートを諦めて遠回りしようと駆け出す。
 撤退するには不自然な桜の移動に気づいた聖が『おい、お前どこ行く気だ』と慌てた調子で訊ねた。
「迂回するわ」
『アホ、さっさと撤退しろ! 地下で火に囲まれるとかシャレになんねぇだろ!』
「だってこのままじゃアニルの奴が死んじゃうじゃん!」
 怒鳴り返して、沈黙が降りる。
 桜は我に返って、頭が真っ白になった。
(……怒らせた……)嫌な確信があった。
 聖がごくりと唾を飲み込む音が聞こえて、続いて、硬い声が響く。
『……そこから二番目の角曲がれ。一番目はダメだ、行き止まりになってる。B150号室に火が回るまではまだ時間があるが、戻りのルートはどうなるかわからねぇ』
 努めて平静を装っているのがわかる、なんとも表現しがたい居心地の悪さに、桜は思わず訊ねた。
「聖、怒った……?」
『怒らせたんだろバカ桜。言ったからには生きて帰って来い。オレはバカの骨なんざ拾いには行かねぇからな』
 そう言いつつも、聖は通信を切らなかった。
 付き合わせてごめん、なんて言ったらますます怒らせるに違いないから、桜は喉元まで出かかったそれを飲み込んだ。

   ********

 パン――……ッ
 
 乾いた音とともにデスクの上にあったフロッピーディスクが弾け飛ぶ。
 そばにいたアンジュはなにが起こったのかわからず、ただ恐怖で足が竦んで動けなかった。
「あれ、ピストル……? なんで、いつから持ってたの……?」
 現れた時は、なにも持っていなかった。彼は余裕ぶって腕を広げて見せたのだから確かだ。
 理仁は、戸惑うアンジュを庇うようにアニルと対峙する。
「大丈夫だ、アンジュ。気を確かに持て。どうやらオレたちは奴の領域に連れ込まれたらしい」
「りょういき……?」
「素晴らしいですねぇ。その現状把握能力、流石は〈魔王陛下〉と言うべきでしょうか。不遜な称号を掲げるものだと思っていましたが、認識を改めなくては」
 アニルはくつくつと嗤って見せた。
 理仁はそれに構うことなく、アンジュに語りかける。
「落ち着いて、自分の現在地を認識して欲しい。貴女の隠し部屋と似た様相だが、実際には全く別の場所に移動して……、いや、移動させられている。しかし相手もまだ本調子ではない。見ろ」
 理仁は腰の太刀を抜くと、デスクに向かって振り下ろした。
 アンジュは意図の読めないその行動にまず驚いたが、それよりもその結果の方に目を見開いた。斬りつけた箇所から空間が綻び始め、周囲の景色が一変したのだ。
 白い、どこまでも白い、迷路のような空間。
 研究棟の、入り組んだ白い廊下を彷彿とさせた。
「……えぇっと、つまり……?」
 確かに別の場所に移動していることはわかったが、だからどういうことなのか口頭での説明がすっ飛ばされ過ぎていて、アンジュはむしろ混乱した。
 理仁は「む……」と唸って、しばらく沈黙する。
 沈黙の妖精たちが三人ほど足元を通過した後に、アンジュは悟った。「あの、魔王さまってひょっとして、説明下手……?」
「……そうかもしれない……」若干悔しそうに、理仁は答えた。
 どうやら彼は行動で示すタイプらしいと、アンジュの中で魔王陛下の説明文に新規項目が追加された。確かに桜も十兵衛という少年も察しが良さそうだし、身近な人間には行動で理解してもらえるのだろう。加えて、聖という青年が説明役としてついているようなのでフォロワーも心強い。
 しかし、説明役はここにはいない。そして理仁と出会って間もないアンジュに彼の思考を汲み取るほどの洞察力は備わっていない。そもそもアンジュはミーナの理路整然としていてかつ平易な言葉での懇切丁寧な説明こそ『説明』だと思っているのでいきなりデスクに斬りかかられても怖いだけである。
 アンジュは深呼吸して、とにかく彼から情報を引き出すことにした。
「魔王さま、ここはわたしの部屋とは違う場所なんだから、ホントのわたしの部屋には、まだデスクもフロッピーもあるんだよね?」
「そういうことになる」
「で、アニルが今ピストル持ってるのは、ここがさっきまでのわたしの部屋じゃなくてアニルの『りょういき』だからなんだね。『りょういき』にいるときは、好きな武器を出せるし、自分好みに模様替えもできるってこと?」
「ああ、そうだ」
「そっか。話変えるね、わたしは早くわたしの部屋に帰ってパスワードを入力しなきゃいけないんだけど、そうしないとわたし消えちゃうんだけど、ここからわたしの部屋に戻るにはどうすればいい?」
「二つ手段がある。あの部屋の主である貴女が、強く望めば戻れるはずだ。もう一つの方法は、オレがあの部屋に貴女を送り届けること」
「なるほど、わたしたち二人のどちらかが頑張れば戻れるってことだね。でも、魔王さまが今すぐわたしの部屋に戻ろうとしないのには、なにか理由があるの?」
「貴女の部屋の位置がアニルに把握されている。オレがアニルを引き止めなければ、何度戻っても妨害される」
「つまり、魔王さまは引き止め役をしなきゃいけないから、戻れるかどうかはわたし次第ってこと?」
「つまり、そういうことだ」
 ……問いかければきちんと答えが返ってくるのに、どうして初めからそれを自主的に説明できないのだろう。やはり慣れていないということなのだろうかと、アンジュは練習の大切さを危機的状況下で思い知った。
「私からも一つ、質問させていただけますかな?」
 ピストルを理仁に向けたまま、アニルが口を開く。
 アンジュの身体に緊張が走った。
「この空間の装飾の変化、確かに私がまだC.C.の扱いに慣れていなかったからというのもあるでしょう。しかし、そもそも私の領域で私に害をなす武器などというものは存在できないはずなのですが、」そこまで言って、アニルは不意に試すように引き金を引いた。
 乾いた銃声が響いた瞬間、理仁が太刀を薙いだ。
 アンジュには見えなかったが、彼は迫り来る銃弾を切り捨てたのである。
 アニルは予想していたかのように「ふむ」と頷いた。
「お見事。やはり謎は深まりました。貴方がここに存在できる理由は、私やアンジュさんとはどうやら根本的に異なるようです。答えなさい、魔王陛下。貴方はどうしてここにいるのです?」
 理仁は過去に思いを馳せるように目を伏せ、語り始めた。
「……一年前、『めーる』というものを聞き知った。桜が『ねっとらじお』というものに投稿したいと言い始めたからだ。それを聞いた聖は、逆探知されでもしたら面倒だからダメだと諌めていた。それで思いついた。オレ自身が『めーる』を『ねっとらじお』の『ぱーそなりてぃー』に運べば、逆探知の恐れもなく安全なのではないかと」
「……は?」アニルは、アンジュが聞いたこともない、間の抜けた声を漏らした。アンジュも唐突に始まったアットホームなファンタジーに頭がくらくらしたし、やはり彼は説明が下手だと再確認した。
 理仁は置いてけぼりの二人に構わず(というか置いてけぼりにしている自覚がないのだとアンジュは思う)続けた。「結局、桜は『ねかふぇ』というところから『ねっとらじお』に投稿することにしたらしく、オレの出番はなかったのだが。有事の連絡手段としてオレが『めーる』を運ぶというのはどうかと聖に相談したところ、聖は興味を持ってくれたらしく『めーる』の仕組みについていろいろなことを教えてくれた。それをもとに創ったのがこの《ネット人格》。聖が命名してくれた」
 最後の一文は聖とやらのセンスを疑わせるだけのものなのでどうでもいいだろうとアンジュは判断した。
 問題はその一つ前。
「……『創った』、というのは……」アニルの表情が険しくなる。
 魔王は朗々と告げた。
「魔の立法は王の権限。《魔王陛下》は《魔法》を《立法》する。

 オレの異能は《Gesetzgeber立法者》―― 旧い友人が命名してくれた」

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