第26話 処刑

 幼い頃から仮面を被って生きてきた。
 ニコニコと笑顔を振りまいて、実に『子どもらしい』子どもを演じてきた。
 その方が楽だと知っていたから。
 職人だった父は、息子のアニルから見てもひどく頑固で融通がきかなくて、大事な客に対しても愛想笑い一つ浮かべたことがなくて、母は父をフォローして忙しく立ち回っていた。しかし当の父はといえば、そんな母の負担など知ったことかとばかりに、態度を改めることはなかった。アニルは幼い時分から、母に苦労をかけてばかりの父を軽蔑して、反面教師としてきた。
 いつも笑っているアニルを、母も先生も『かわいらしい』と言った。大抵の子どもとは仲良くやっていた。他の保護者からの評判も悪くなかった。万事うまくいくと思っていた。

 父とは滅多に話さなかったが、父との会話で、とても印象に残っていることがひとつある。
 ある日、母がなぜだったかいなかったとき、父に言われたのだ。
『お前の笑顔は胡散臭い』
 驚いた。父は仕事ばかりで、自分に興味などないと思っていたから。
 そのあと、腹が立ってきた。その棘のある言い方はどうなのか、撤回しろと、私が気に入らないならはっきり言ったらどうだと言い返した。当時の常識からすると、父に食ってかかるなんて体罰ものだっただろう。それでも、自分の笑顔を否定する人間は許せなかった。
 父は怒らなかった。それどころかたじろいだように、『言い方が悪かった』と訂正した。
『計算して生きるのは窮屈だろう。お前の笑顔には窮屈さが滲み出ていて、見ていて可哀想だ』
 言い直されても同じことだと思ったし、やはり怒りは収まらなかった。
 もう口は聞かないと、そっぽを向いたアニルの背中に、父は言った。
『お前の笑顔が、見たいだけなんだ』

 後にも先にも、『お前の笑顔が見たい』なんて言ってくれたのは、父だけだった。
 そんな父は、アニルが八歳のときに流行病で死んだ。

 その頃からだ。外界と切り離されたような不安で眠れなくなったのは。
 孤独に怯えて、苦痛も不満も怒りも悲しみも、全てひっくるめて笑顔の下に隠した。
 人々は親しげに振る舞うアニルに、最初は好意的に接してくれたが、どこかでアニルの必死さを感じ取ったのだろう、面倒事はごめんだとばかりにそれ以上近づいてくることはしなかった。
 妻でさえ、娶って数年が経っても、どこか他人行儀に振る舞っているように感じられた。いつしか頻繁に家を空けるようになり、やがて自宅に寄り付かなくなった。
 母は老衰で亡くなった。立派に成長したアニルに看取られながら、満足そうに笑って逝った。彼女は優しい母だったが、アニルの内面に踏み込んでくることは最期までなかった。
 大学のゼミで知り合ったアルシャドとは、うまくやっていけそうな気がしていた。けれど彼はいつの間にかアニルには掴めなかった色々なものを掴んで、どんどん先を歩いて行った。悔しくて寂しくて恨めしくて、なんとしてでも取り戻そうとして、結局、自分の手で、手の届かないところへと追いやってしまったしまった。

 誰も近づいてこない。みんな離れていく。
 愛想笑いすらしなかった父は、苦労をかけさせた母にそれでも愛されていて、常連客から信頼されていたのに。
 ろくにおべっかも言えなかったアルシャドは、当たり前のように色々なものを手に入れて、どんどん先に進んで行ったのに。
 いつも笑っていたアニルには、妻も、母も、教授も同輩も、上司も部下も、誰も近づいてこなかった。なにも掴むことができなかった。

 この笑顔が原因だと気付いた頃には、瘡蓋と一緒に凝固してしまったガーゼのように皮膚にこびりついて、無理やり剥がそうとすると痛くて、傷が開いてしまいそうで怖くて、結局自力では剥がせなかった。
 あのとき、父が望んだように心から笑っていれば、なにか変わっていたのだろうか。アニルもふと思いついたことがあるが、すぐに考えるのをやめた。人生のほとんどを仮面を被って生きてきた今になってはそんなことは考えるだけ無駄だと思ったし、父も自分を置いて逝った一人には違いなくて、その点だけを見ればその他大勢と変わりない、憎しみの対象だった。
 自分をこんな風にしたすべてが忌々しかった。
 他人のせいにしなければ、自己嫌悪に陥って生きていけなかったのだ。
 自分は悪くないと言い聞かせて、でも、やっぱり孤独なことには違いなくて。

 ならばすべてやり直せばいい。

 悪魔が囁いた。これ以上ない名案だと思った。
 どうせなにもかもが気にくわないのだ、壊したってなんの未練もない。
 問題は方法だ、なにを使う?
 妙案が思い浮かばず悶々と暮らしていた、そこに現れたのが、アニルへの復讐に人生の半分以上を捧げた、アルシャドの娘、ミーナだった。天の導き合わせだと、胸が上下するのを感じた。父と同じく天才的な技術力を持っていた彼女を、利用しない手はないと思った。
 ミーナもまた、アニルだけではない、社会に対して憎しみを抱いて、それに縋って生きてきたのだと、アニルは気づいていた。ミーナがアニルや警察を憎むのは当然のことだったし、その点はアニルと違っていたが、大したことではないと思った。非力な自分が認められなかった、敵がいなければ生きて来れなかった、その点で二人は共通していたのだから。そして、復讐のために知識を、力を蓄えてきたミーナは、アニルの目には、諧謔や冗談ではなく本当に、女神のように光輝いて映った。憎しみとともに生きてきた自分が肯定されたような気がした。彼女とであれば、新しい世界をともに歩めるのではないかと夢を見た。

 それなのに、今はそのミーナまでもが、自分に楯突こうとしている。
 嫌な予感はしていた。ミーナをどこかへと連れ去ってしまえる、そんな力を持った電子の少女がいた。所詮は作り物、そう思おうとしたが、アンジュの前で笑うミーナを見るにつけ、危険な存在だという確信は強まっていった。アンジュが彼の目的のプログラムでなければ、危険な芽を詰むように、あらかじめ排除していたことだろう。現に今回も幽閉していた。脱出したと聞いたときは『アンジュを壊せ』と部下に命じて襲撃させた。機械の身体は壊れたはずだ。けれど、ミーナは『あちら側』に行ってしまった。壊れてもまだ、アンジュはミーナを連れ去る力を持っていたのだ。

 憎い  憎い 憎い 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……!!

 まだ奪うのか。なにも持っていない私から、希望(ミーナ)まで奪おうというのか。

 いや、アンジュ一人では、これほど彼女に都合よく事は動かなかったはずだ。
 通りすがりのくせに、なにも知らないくせに、横から首を突っ込んできた魔王陛下たち。奴らのせいですべてが台無しになった。
 一矢報いなければ気が済まない。

 ――目の前には、血で滲んだ床に転がる、魔王の太刀。

 考える前に身体が動いていた。
 アニルは駆け出してそれを掴むと、膝をついて頭を垂れる魔王に斬りかかった。

   ********

 アニルが動いたことに気づき、理仁は傍にいたアンジュを左腕に抱えて逃げようとした。最初に撃たれた左肩がうまく動かせず、アンジュを下敷きに不恰好に倒れ込んだが、アニルが扱うには重かったのだろう、彼の振るった刃は理仁を追いきれず虚空を切って、カツンと音を立てて床上で静止した。
 どこからかいつになく必死な聖の声が響く。
『理仁お前なんでそんなボロボロなんだよ! アニル一人吹っ飛ばすくらい余裕だろ! 歴戦の猛者の魔王陛下だろうが!』
「いや…… やはり練習を重ねなければ何事もうまくいかないものだ……」
『なに言ってんのかサッパリなんだが。……まあその話はいい、そいつから刀取り上げて拘束できるか?』
「やってみるが、アンジュにまで気を回せるか…… アンジュだけでもどこか別の場所へ……」
『ああ。アンジュ、ここまでありがとな。こっからは理仁に任せて避難してくれ。重傷に見えるが案外そいつ丈夫だからまだ五ラウンドくらいはいけるはずだ』
「得物なしで五ラウンドは無理だと思うが……」
『わーってるよ大見得切ってんだアホ! アンジュいい子だからそんなボロボロなお前見たら置いて行きづらくなるだろ気ぃ使え!』
「大丈夫だアンジュ、なんならあと二場所くらいいける」
「ウソだよね!? 魔王さまウソつくの下手過ぎない!?」
 アンジュは思わずツッコんだ。冗談ではなく、左肩は明らかにうまく動かせていなかったし、黒い衣装では目立たないがよく見ると胴も脚も、あちらこちらに血がにじんでいて、現実の身体ではないのに錆のような匂いがした。
 その姿が、ぼうっと空間に溶け込んで、半透明になった。
『ふぇっ?』
『悪いなアンジュ、無理矢理だが避難してもらった。そこは俺の用意した別の領域だ。うちの理仁を信じて待っていてくれ』
『だって魔王さま、こんなにボロボロなのに!』
 言い募るアンジュには構わず、聖は理仁に向かって確認するように訊ねた。
『行けるな、理仁?』
「ありがとう、聖」
 礼を述べたあと、理仁は迫り来る危険を察し、身を起こして片膝立ちのまま振り返る。振り返ったところにアニルが振り下ろした太刀を、もう使えないと諦めた左腕で受け止めると、身を乗り出してアニルの腕を右手で掴み軽い身体を自分の側に引きずり込む。無理矢理な体勢だったが左膝を軸に右脚でアニルの横腹を蹴り飛ばし、反動を使って立ち上がった。乱暴な戦い方だという自覚は理仁にもあったが、どうしても不死の肉体に頼った体術が身に染み込んでしまっていた。
 対するアニルは床に叩きつけられ、力の差を思い知らされたはずだったが、呻きながらも太刀を支えに立ち上がろうとしていた。その執念に理仁は息を呑む。
 同時に理仁は、彼の無念を、怒りを、悲しみを、理解できるような気がしていた。納得はできないしするつもりもなかった、彼は間違いなく間違っていた。それでも、なにも持っていなかったアニルがようやく掴みかけたものを――それは破滅への途でしかなかったが、彼にとっては希望だったのだ――、横から突然現れた理仁が、誰かに権限を与えられたわけでもなく奪い去ろうとしている。
 手負いの獅子のようなアニルの顔が、理仁には泣いているように見えた。
 彼が救われる途はないのか、理仁は考えてしまった。
 理仁の意識は一瞬とはいえ別のところにあった。だから、太刀を構えなおして突進してくるアニルと自分の間に、

 小さな少女の影が飛び込んできたとき、彼女を兇刃から庇うことができなかった。


   ********

 唇を噛んだ魔王の横顔に、アンジュは彼の甘さを知った。
 彼は助けたいと思ってしまうのだ。考えてみれば、一年前、初めて会ったときからそうだった。助けを求める人を、無視することができない。たとえその相手が、電子上に構成された偽りの人格であっても、復讐を誓って国家を転覆させるためのウィルスを作成した犯罪者であっても、……自分に刃を向けて襲いかかろうとする、自分本位で下劣な、救いようのない咎人であっても。
 仕方ないなぁ、と思った。そんな彼に救われてしまったのだから。彼を慕う人たちも含めて、もう他人ではない、大切な人たちなのだから。

 アンジュは聖の支配権を退け、自己の領域を展開した。
 そして、彼と、彼に斬りかかろうとする男を、彼女の領域に引き込む。
 ヒントは初めてアニルの領域に移動させられたとき、アニル自身が言っていた。

『そもそも私の領域で私に害をなす武器などというものは存在できないはずなのですが』

 これはつまり、領域の支配者であれば、そこに引き込んだ人間に害されることはないということなのではないか。アニルは『存在させない』ではなく、『存在できない』と言ったのだから。
 そんなのは言葉尻を捉えただけの、もしかしたら的外れかもしれない理屈だとわかっていたが、目の前で立ち尽くす理仁を守る方法を他に思いつかなかった。
 理仁と、彼に斬りかかろうとするアニルの間に飛び込む。覚悟はしたがやはり刃物で切りつけられるのは怖かった。ぎゅっと固く目を瞑って斬撃を待つ。

 斬られた感覚はあったが痛くはなく、ただ、意識が遠のいていく。やっぱり屁理屈だったのかなと、衝動で動いたことを少しだけ反省した。けれど、理仁を守れたのなら後悔はしなくて済みそうだと思った。
 遠くの方で『アンジュ!?』と戸惑う理仁の声と、そしてどういうわけか、斬りつけられたアンジュではない別の誰かの断末魔が聞こえたような気がしたが、それが誰のものなのかよくわからないまま、眠りに落ちるようにゆったりと、アンジュの意識は薄れていった。

   ********

 たとえば、隷属する人民が、領主に害をなしたらどうなるか。
 アンジュの領域に引き込まれたアニルがしたのは、まさしくそれであった。

 理仁の目の前でアンジュの姿が弾け飛び、まるで巨大な紙風船の一点に内側から火を放ったかのように、そこから背景がじりじりと、燃えて炭になっていく。
 アニルは自分がしてしまった恐ろしい過ちに、その結末に、断末魔の叫びをあげた。彼は知っていたのだ。

 領主に害をなした人民は処刑される。

 それが、アニルやアンジュの創る『領域』での掟だった。
 アンジュの支配していた『領域』とともに、アニルも燃えて塵となり消えてゆく。
 アニルは理仁に手を伸ばした。既に刑は宣告され、救われないことはアニルにもわかっていた。それでも救いを求めずにはいられなかったのだろう。救いを求めても無駄だと、誰も救ってはくれないと、なにもかも諦めて生きてきた男が、今際の際になって手を伸ばした。
 理仁は思わずその手を取ろうとした。
 しかし、手は届かなかった。処刑人は理仁の行為を無駄だと嘲笑いながら、アニルを処刑台へと引き連れていった。

 そして、世界は燃え尽きて。
 なにもなくなったどこまでも広い空間に、理仁は一人、置き去りにされた子どものように頼る宛てもなく、ぽつんと取り残された。

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