第29話 反省会

「少し、言葉の使い方に気を使うべきですよ、理仁。彼女は大変混乱していました」
 優雅な所作でカップを手に取り紅茶をすすって、ベアトリクスはそう言った。
 理仁は叱られた子犬のようにしょぼんと、「反省している……」と答えた。
「無事であるというのに、最初に『見つけられなかった』というのは不適切でしょう。貴方は昔から誤解を招きがちでしたが、直りませんね」
「説明が下手だと、アンジュにも言われた。気をつけようと思う」
「何度目でしょうね、貴方がそうやって反省するのは」
「……」
 理仁は黙り込んだ。ぐうの音も出ない。
 ベアトリクスはカップをソーサーに戻すと「ふふっ」と笑って、「今更、お説教くらいでどうにかなるものでもありませんね。貴方のその子どものような叙述力は」とこの話をおしまいにした。
 理仁は、事件が解決したことの報告と、協力してくれたことへの礼を述べに、ベアトリクスに会いに来ていた。
 今回は柳井恭一も、ベアトリクスの後ろに控えている。
「ミーナは立ち上がり、アンジュも救われた。約束は果たせたのですね」
「ああ」
「だというのに、浮かない顔をしていますね」
 ベアトリクスはなんでもないことのように続けた。
 理仁は少し考え込んだあと、差し出されたティーカップを見ながら、言葉をこぼした。
「……アニルは、どうなったのかと思って」
「彼は情報の海の狭間(はざま)に堕とされました。存在を否定され、そこには居られなくなったのです。再び現れることはないでしょう」
 理仁も知っていた。聖も同意見だった。

『領域の支配者に立てつくってのは、つまりは異分子と判断されるってことだ。領主に刃向かったんだから当然処刑だよな、それが秩序を守るためのルールで、人道とか倫理とか無視すれば、異分子を排除することが秩序維持のためには一番効率的なんだから。それでも、そいつが領主より強くて、逆に領主の首を討ち取ることができたんなら、一発逆転、支配権を奪取して助かったかもしれねぇ。しかし、純粋な電子上の存在であるアンジュと、電子上に仮想的に形作られていただけのアニルでは、存在の重さが違ったんだ。結果、アニルが負けて、消去(処刑)された。そして、C.C.は現実の肉体と、電子上の仮想人格を行き来させるものだった。仮想人格が突然消去され、C.C.がそれを反映させたために、現実の意識も消去されてしまった。今のアニルは抜け殻だ。医学の力をもってしても助かる見込みはねぇ』

 理仁にもわかっていた。だから、彼が聞きたかったのはそういうことではなかった。
 アニルが最後に、理仁に向かって手を伸ばしたことが忘れられないのだ。
「彼は、最後に助けを求めていた。助けられるものなら……」
「理仁、考えなしに動くのは危険ですよ」
 ベアトリクスは、ぺしゃりと理仁の言葉を遮った。
 ティーカップから視線を外し、ベアトリクスを見る。ベアトリクスはさらさらと言葉を紡ぐ。
「アンジュとミーナを救った貴方が、彼女らを苦しめ続けたアニルまで救おうというのですか? それはアンジュとミーナに対して余りに薄情ではありませんか?」
「しかし、彼は……」
「理仁。人を救うということには、責任を伴います。アニルを救ったとして、貴方は彼が生きていくことに責任を持てますか? 生きていればどうにかなる、そんなのことを言う人もいますが、それは他人だから言えることであって、実際に生きていくのは助けられたアニルなのですよ。生きていればどうにかなる、ではありません。貴方がどうにかしてあげられますか? 罪人として刑罰を受け、地位を失い、世間から非難され続ける。それでも生きろと言い続けられますか? それとも、刑罰を逃れさせるために匿いますか? あるいは、刑罰を軽くするために、事実を公表してウィルスの作成者であるミーナに責任を押し付けますか? そもそも、プライドの高い彼が、社会的名誉を失い、それだけではありません、罪人という社会的汚名を背負って、それでも生きていけると思いますか? 私にはとてもそうは思えません。彼は耐えきれず、いずれ消えることを望むようになるでしょう」
「……」
 理仁には答えられなかった。それが答えだった。
「『人助けでもしてみてはどうか』、貴方にそう言ったのは確かに私です。けれど、それは誰でも彼でも救えという意味ではないのですよ」
 そこまで言うと、ベアトリクスは舌を潤わせるために、紅茶を一口、口に含んだ。
 沈黙が降りた空間で、理仁は絞り出すように言った。
「……アニルは、オレに似ていると思ったんだ」
 ベアトリクスは興味深そうにそれを聞いていた。理仁はぽつりぽつりと続ける。
「オレも、なにも持っていなかった。独りぼっちだと思っていた。生きている心地がしなかった。オレを繋ぎ止めてくれたのは、貴女がくれた『人助けでもしてみてはどうか』、その言葉だけだ。オレも、アニルのようになっていたかもしれない。全部壊して、やり直したいと、思ってしまっていたかもしれない」
「過去の話と、仮定の話ばかりですね。現に今の貴方はなにも持っていませんか? この世界に独りですか? 生きている心地はしませんか? やり直したいと思いますか?」
「わかっているんだ、今のオレには桜や、十兵衛や、聖がいる。みんな、貴女の言葉を信じた結果、出会えた仲間だ。オレは救われた側にいる。だから、どこかの分岐で道を違えたアニルを、救いたいと思ってしまったんだ」
 理仁にも、どこに分岐点があったのか、わからない。理仁はベアトリクスの言葉を信じて進んできただけだ。よく言えば『迷いなく』、悪く言えば『考えることなく』、進んできた。
「オレには無理だったが、貴女ならば、アニルを救う言葉を、与えることができたかもしれないな」
「御断りです。いくら全知全能とされる私でも、誰でも彼でも救えると思ってはいませんし、そこまで傲慢ではありません。それに言ったでしょう、誰かを救うということは責任を伴うのだと。私は、私自身と、ほんの数名の大切な友人の人生を少しばかりお手伝いするだけで精一杯なのです」
「……すまない……」
「わかって頂ければ良いのです」
 ベアトリクスは微笑んだ。
「貴方は、貴方を大切にしてくれる、貴方の大切な人に尽くすべきだと思いますよ」
 理仁は頷いて、「では、そろそろ」と席を立った。
「ありがとう、ベアトリクス。桜たちが待っているから、戻らなければ」
「おや、貴方のその手にあるのは御土産でしたか」
 ベアトリクスは、この異空間では異彩を放っている、スーパーのロゴが入ったレジ袋を指して言った。
 理仁は、「『お疲れさま会』に必要なんだ」と至極真面目な顔で答えた。
「それでは、早く戻って差し上げなさい。冷えている方が美味しいでしょうから」
 ベアトリクスがにっこりと笑うと、理仁はひとつ頭を下げて、背を向けた。そんな彼の背中に、ベアトリクスは思い出したように「そうそう」と声を投げて引き止める。
 振り返った理仁に、ベアトリクスは微笑みを浮かべたまま、訊ねた。
「幸せには、なれそうですか?」
 彼女と会うときには必ず聞かれる、お決まりの質問だった。
 理仁は少し考えて、
「まだ、よくわからない」
 お決まりの質問に、結局お決まりの答えを返した。
「そうですか。また会うときまでの宿題ですね」
 ベアトリクスは小さく手を振った。これで今度こそ、お別れだった。
 もう一度頭を下げて去っていった理仁の背中が空間に消えていく。
 黙り込む柳井に、ベアトリクスは語りかける。
「彼をどう思いますか? 別に怒りませんから、どうぞ正直に答えてください」
 柳井は突然の問いかけに、内心で驚いていたが、少し考えて答える。
「……失礼を承知で申し上げますが、年齢の割に幼い印象を受けました」
 ベアトリクスはくすくすと笑う。柳井は、なにかおかしなことを言ったかと焦った。主人はすぐに説明した。
「笑ってしまって申し訳ありません、ただ、その通りだと思ったのです。彼は幼いままなのですよ。九十年以上生きているというのに全く変わらないのです」

 ――あの酔狂な危険思想教団に招かれ、彼らと初めて会ったときのことを思い出す。
 つまらなさそうに教祖の訓辞を聞いていた、二人の若者。
 一人は白い髪をうなじでまとめた、碧い瞳の青年。
 もう一人が、長い黒髪を背中に流した、暗い金色の瞳の青年、理仁。
 彼らが新しい同胞かと、嬉しく思った。
 やがて教団にSLWの捜査の手が伸び、三人の結晶型異能者たちは逃げ出した。逃げる足のなかったベアトリクスを抱えて飛び出してくれたのが、理仁だった。
 安全なところまで逃げて、しかし行動を共にすることは危険だと判断し別れることにしたとき、理仁は訊ねた。
『幸せになっても、いいと思うか?』
 ベアトリクスは迷わず頷いた。
『勿論です。すべての人間は幸せになる権利を持っています。たとえ罪人であっても』
『でも、どうすればいいのかわからないんだ』
 ベアトリクスは気づいていた。彼に欠けているものに。
 だから、ヒントを与えてみることにした。彼ならばいつか気づくと信じて。
『そうですね。貴方の場合であれば、人助けでもしてみれば、なにか気づきを得ることができるのではありませんか?』
『人助け?』
『はい。困っている人、救いを求めている人を助けるのです。貴方の能力、《Gesetzgeber》(立法者)があれば、大抵のことは解決できるでしょう。私も、会いに来てくだされば、できる限りのお手伝いはしますよ』
 戸惑う彼に、ベアトリクスは微笑んだ。

 ――それから数年。彼はまだベアトリクスの真意に気づいてはいないらしいが、それなりに幸せそうなので、今はそれでいいとベアトリクスは思う。数十年かけて積み重ねられた彼の深層にある意識は、たった数年で簡単に変えられるものではないだろう。それに、今のところ幸せそうな彼を取り囲む世界が、彼の中のなにかを変えてくれるかもしれない。
「彼は、まだ、幸せになる方法を探している真最中なのです」
「幸せになる方法、ですか」
「貴方にはわかりますか? ヘル・ヤナイ」
 問いかけると、柳井は難しい表情で考える。
 学術書、新聞のコラム、エッセイ、小説、ドラマ、映画、「幸せ」を扱うものは数え切れない。
「承認、自己実現、富、友情、貢献、平和、勇気、愛、……思い当たるのはこの辺りです」
「よくお勉強なさっている、という印象です」
「本をなぞっているだけ、ということでしょうか?」
「ああ! どうかお気を悪くしないでください。私が気にしているのは貴方が本当に幸せかどうか、であって、知識があるかどうかではないのです。誰に教えられるまでもなく真理に辿り着き実現してしまう人間もいるでしょうし、真理を示されたところで実現できない人間もいるでしょう。彼(理仁)にしてもそうです、私の用意した答えにたどり着いたとして、それを実現できるかどうかは彼次第です」
「寒凪様、私は幸せだと思われますか?」
「お見受けする限り、未だ私の信じる真理には至っていらっしゃらない」
「寒凪様は今、幸せですか?」
「ええ。とても」
 寒凪は柳井に微笑んで見せた。少女のような姿の彼女が、数百年生きてきたこれまで、どれほど迫害を受け、どれほど逃げ惑ったか、柳井は知っている。SLWから逃れるためこうして地下に潜り自由を失った彼女は、それでも幸せだと微笑む。柳井には、彼女の言う真理がなにを指すのか、わかりそうになかった。
「では、貴方にも宿題ですね」
 寒凪はそう言うと、もう一度紅茶を口に含んで、「美味しい」と満足げに呟いた。

   ********

 ビニール袋を下げて洗面室から出てきた理仁を、すれ違った乗客は不思議そうに見たが、すぐに興味を失ったように視線を外した。理仁が向かうのは二等車両の『012』のプレートが掲げられた部屋。廊下にいても、喚き散らす少女と青年の声が聞こえている。扉を開けると、友人たちは『反省会』を行っている最中だった。

 まずは十兵衛から。
「オレは、おばあさんに会ったとき、好き勝手言い過ぎて怒らせちゃった。それと、研究室で動揺して、聖さんに迷惑かけた。最後は、車の中で気が緩んで寝ちゃった。これが反省点」
「おばーちゃんのアレは逆ギレでしょ? 銃ぶっ放されてよく無事で帰ってきたもんだと思うわ。あと、寝るのも大事。あんたよく働いたもん」
「迷惑だとも思ってねぇよ、ちょっと困ったけど。場数踏んで度胸据えりゃお前は立派な精神的支柱になりうる」

 次は、聖。
「俺はテンパったりピリピリしたり、ちょっと余裕なかったな。最後にアンジュの動きを読めなかったことも、油断していた」
「テンパったのはともかくピリピリしたのはそれだけの状況だったってことでしょ。まあちょっと怖かったけど」
「アンジュさんに関しては、ミーナさんにも読めなかったんですから回避することは難しかったでしょう。魔王様のピンチだったんですからそっちに気をとられるのも当然だったんじゃないかと」

 最後は桜。
「火の中突っ込んでいったりしてごめんなさいでした」
「まったくだぜお前。なんで諸悪の根源助けようと思うんだよ? いや、俺だって積極的に殺せなんて言わねぇけど、自分を危険に曝してまで助けようとは思わねぇよ。お前ほんと理解不能」
「すっごく心配したんだから。アネキはもう少し自分を大事にしてって切実に思うし、冷静に振舞ってるけど聖さんもオレもすごく怒ってるんだからね。一呼吸置いて考える、友恵さんもいつも言ってるでしょ」
「ちょっと待ってよ‼ まあ怒られて当然だけど、それは認めるけど、それにしたって二人ともアタシに厳しすぎない⁉ じゃあ理仁はどうなのよ、アイツ無抵抗に撃たれまくってたんでしょ‼ 最後にはアニルに同情したって言うじゃんアイツだってバカじゃん‼ 区別の理由の説明を求める‼」
「お前は時々スイッチ入ってちゃんと考えて行動することあるし、入らなくても第六感だか野生の勘だかなんかで結局一番正しいルート選んだりできるから、なんかやればできるんじゃないかって思う。よって怒る。理仁はそういう期待可能性がない。よって怒っても無駄。以上」
「アネキは頑張ればできる気がするけど、魔王様は九十年生きてあの調子じゃ今さら変わらないと思う。以上」
「二人とも理仁に甘くない⁉」
「お前が言うな」
「アネキには言われたくないなぁ」
 桜はしょんぼりと視線を落として、ブーツの先をなんとなく見つめた。
「ごめんってば。もう突っ走ったりしないから、怒るのもうやめてよ……」
 よっぽど気落ちしているらしい桜を見た十兵衛と聖は、一瞬視線を交わした。そして、十兵衛が先に口を開いた。
「まあ、オレはその言葉を信じて今回は引くけど、一番怒らせて困らせて気苦労かけさせた相手は聖さんだし、聖さん次第なんじゃないですか?」
 聖は銀髪をガシガシと掻いて、仕方ないといった様子で、「……あー、今後はもう少し周りの人間の気持ちとか考えること。それでもお前は突っ走ることもあるだろうけど、周りを無視しないこと。そうやって自分だけじゃない、周りも傷つけてんだからな。俺も傷ついたんだからな。十兵衛だって傷ついたんだからな」そう言ったあと、「俺からは以上!」と、真面目にお説教じみたことを言ってしまった照れ隠しのように無理矢理締めくくった。
 桜は顔を上げなかった。ブーツの先に視線を落としたまま、「……ごめん」とぽつりと呟いた。

「……」
 理仁本人もその場で聞いていたのだが、それは彼らも気づいていたはずなのだが、理仁はこれ以上ないくらいけちょんけちょんに貶されていた。
 ただ、理仁も貶されて当然のことをしたとなんとなく理解していたので、それについては触れないまま、「……ただいま」話の区切りがついたところで声をかけた。
 十兵衛と聖は、先ほどけちょんけちょんに貶した相手に対するものとは思えない清々しい笑顔で「おう、お遣いご苦労さん」「おかえりなさい!」と返した。桜もようやく顔を上げて、「……おかえり」と言った。
「ミーナにちゃんと伝えられただろうな」聖が訊ねる。
「ああ」説明の仕方が少々不適切だったことは言わないでおいた。
 持っていたビニール袋を差し出す。
「それと、買ってきた」
「じゃあ、今回の特別功労者の聖さんから!」
「よしよし、ちゃんと赤ラベル買ってきたな。コーラはこれじゃねぇと」
 ビニール袋から、まず聖が黒い液体の入ったペットボトルを取り出す。
 聖はビニール袋を十兵衛に手渡す。
「じゃ、次はよく頑張った十兵衛」
「わーい! オレはファンタで!」
 十兵衛はオレンジ色のペットボトルを選んだ。
 残りを桜に手渡す。
「アネキ、水とミルクティーとそーけんびちゃがあるよ!」
「……そーけんびちゃ」
 桜は少し悩んで、植物がプリントされたペットボトルを抜き取った。
 ビニール袋は一周回って理仁の手元に戻ってきた。
 理仁は少し悩んで、ミネラルウォーターを選んだ。ミルクティーはそのうち誰かが飲むだろう。
 流れで聖が乾杯の挨拶を述べる。
「それでは、今回も理仁のワガママに付き合わされたわけだが、こうして全員無事に事件は解決し、仲間も増えたということで、……お疲れさんっしたーっ!」
「お疲れさまでーす!」
「お疲れさまー」
「……お疲れさま」

『みなさん、ありがとうございました! これからよろしくお願いしまーす!』

 聖の端末から、元気な少女の声が響く。
 電子の海を彷徨っていた理仁を見つけ出し、聖のもとまで送り届けてくれた少女、アンジュが。自分で用意した電子のチャイを乾杯するように持ち上げて、幸せそうに笑っていた。
 十兵衛がペットボトルに口をつける前に、端末を見て心底不思議そうに首をかしげる。
「アンジュさんって、コンピュータの中ならなんでもできるんですね。そうやって飲み物作ったり」
『そうだね、意外と便利かも!』
「順応性高すぎだろ……」聖が呆れたように呟く。「ま、身体を失ったと悲観的になるよりゃよっぽどいいか」
「それに、アンジュさんは人工知能ですけど、イメージ通りというか、イメージと違うというか。うまく言えないですけど」
 十兵衛が一見矛盾したことを、うまく表現できずにもどかしそうに言う。
 聖は十兵衛がなにを言いたいのかわかった。
「ああ、アンジュはまさしくジャパニーズ・アニメに出てくる人型ロボットやらタヌキ型ロボットのように、感情も人間そのものだ。だが、今の時代で実現している人工知能と呼ばれるようなシロモノは、どうしてもロボット臭さが出てしまう。アンジュにはそれがないから、十兵衛も不思議なんだよな」
「そうです、そう言いたかったんです!」
 十兵衛は大きく頷いた。
 聖は膝に肘をついて考え込む。
「俺も不思議だぜ、ウィルスの部分はミーナが付け足したもので、人工知能の部分は九〇年代に父親が作ったものをそのまま流用してるんだろ? なのに、まったくロボット臭さがない。どういうこった」
『お父さまがすごかったってことじゃない?』
「すごいなんてもんじゃねぇよ、ありえねぇんだよ!」
 理仁はその様子を眺めていたが、ある可能性に思い至り口を開いた。
「……ひょっとすると、本当に、霊的な存在なのかもしれない」
「あ?」
『わたし、霊子の異能者じゃないよ?』
 聖とアンジュが同時に理仁を見たので、理仁は一瞬言葉に詰まった。
「ああ、そういうつもりで言ったのではなくて……」
「……付喪神、ってこと?」
 桜が理仁に助け舟を出す。聖とアンジュの視線が桜に移る。
『ツクモガミ?』
「アニミズムを根底にした日本の信仰みたいなもんだったか。百年経ったら器物に霊が宿る、みたいな俗信」
 聖は面白くもなさそうに言った。聖はそういうオカルトじみたことは信じない。桜が反発するように言う。
「ありえない話じゃないでしょ。っていうか、アタシの〈蠍姫〉だってご先祖さんの恨みの塊だし、アタシ以外が触ったらみんな発狂するじゃん。あんた昔面白半分に〈蠍姫〉に触って半日目を覚まさなかったこと忘れたの?」
「それはたまたま俺の体調が悪かったんだよ! 俺はそんな非科学的なものは信じねぇぞ!」
『えっと、それでつまり、わたしとそのツクモガミはどういう関係になるの?』
 話が脱線していくのを、アンジュは戸惑いながら見つめていた。
 理仁がそれに答える。
「つまり、貴女を長年愛し続けた人の思いが、貴女に霊性を与えたのではないか、貴女の心は確かに存在するのではないかと、オレは思う。聖は納得してくれないが」
『わたしを愛し続けた人の思い?』
「貴女を作ったアルシャド、友人のミーナ…… 彼らの思いが、貴女をただのプログラムではない、魂を持った存在へと転化させたのではないかと、ふと思った」
『……なるほど、ちょっとわかったかも』
 そうだといいなと、アンジュは独り言ちた。
 聖も、微笑みを浮かべる彼女を前に、反論を引っ込めた。
 アンジュの前髪には、銀色の花の髪飾りが光っている。
「ところでアンジュちゃん、その花の名前、覚えた?」
『うん! ワスレナイクサ!』
「惜しい、勿忘草(ワスレナグサ)、ね」


 ――小ぶりでかわいらしい、愛おしさを感じさせるその花の名前は、勿忘草というらしい。
 花言葉は”Forget Me Not”、『わたしを忘れないで』。
 それを桜に教えてもらったとき、もう会えない親友に、伝えたいと思った。
 『ずっと友達だ』と。押し花の栞にそう書いた。
 一緒に生きて行きたいけれど、それは叶わない。だからせめて、この世界のどこかで生きていく親友に、あなたを愛したわたしがいたことを、あなたを愛するわたしがいることを、どうか忘れないで、と――


 四人の異能者と電子の少女を乗せた電車が、東へ向けて走っていく。
 二〇一四年四月中旬、車窓から暖かい光が差し込む、ある春の日のことだった。

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