面倒くさい猫とまわりくどい小鳥のおはなし

第6話 大好きなお友だち

 

 冬、わたしはしばらく外に出ずにいた。そもそも、窓が開いていないので外に出ようにも出られなかった。
 しかし、前日の夜からの雪が積もったその日、わたしは長女の部屋のカーテンが揺れていることに気づいた。窓から明るい光が差し込んでいる。意外に思ってそれを眺めていた。
「ユキ。外出ないの?」
 ココアを片手に勉強をしていた長女が振り返る。だからどうして外に出ることが前提なのだ。そもそもわたしは室内猫なのだが。おまけに外は雪が積もって長男いわく危ないのだが。
「冬って空気が美味しいよね。冷たくってさ、なんか新鮮な感じする。冬の家の中は空気こもって嫌じゃない? 出掛けてくればいいよ。たまには気分転換になるでしょ?」
 長女はそう言って、網戸を開いた。
 わたしは気が進まなかったが、ぴょんと窓枠に飛び上がって、一応確認のため外を見た。
 窓際のプランター置き場も、屋根も、真っ白だ。
 こんなに積もった日に外に出たことはない。
 ほんの少しだけ、好奇心が勝った。
 窓の外へ一歩を踏み出す。
「気をつけてねー」いつもと同じ、長女の素っ気ない見送りの言葉。
 冷たくて、けれどなんとなく気持ちの良い空気が、久しぶりに外の世界に出るわたしを出迎えた。


 プランター置き場を伝って、屋根の上へと登る。慎重に歩いてきたので幸い滑ったりすることもなかった。
 なにをしようか考えていなかったが、雪の上で寝るわけにもいかず、わたしはじいっと、どこでもない虚空をずっと眺めていた。

「もしもし、綺麗な白猫さん?」

 わたしのお気に入りの声によく似た、可愛らしい声に、どこかで聞いた台詞で呼びかけられるまでは。
 はっと振り返ると、そこには小さな雀がいた。
 雀は小首を傾げて言葉を続ける。

「もしもし、ひょっとして白猫のユキさんでいらっしゃいますか?」

「ああ、ユキはわたしだ」
 わたしは頷いた。
 すると、雀は嬉しそうにパタパタと羽を羽ばたかせて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「やっぱり! あたくし、テンコの娘です。巣から落っこちちゃった、ドジな末っ子。覚えていらっしゃいますか?」
 わたしは驚いた。あの時のテンコの子が、ちゃんと生き延びて、一人前の雀になって、わたしと再会することになるとは。
「覚えているよ、あの時はいろいろとあったからね」
「そうですか。実は、あたくしは正直なところ、よく覚えていないのです。ただ、母が何度も繰り返して、幼いあたくしや兄姉達に語って聞かせたものですから、あなたのことはよく存じ上げているつもりでおります」
 わたしはふうんと聞いていた。テンコとはやはり少し違うが、聞いていて心地の良い、可愛らしい声だった。その声をもっと聞いていたくて、なんとはなしに訊ねた。
「テンコのやつ、わたしのことをなんて言ってたんだい。どうせ気まぐれだとか、愛想がないだとか、碌でもないことを吹き込んだんだろう」
 そう言ってから、なんだか聞いてはいけないような気がしてきた。なにせ、相手は死んでいるのだ。弁解する機会すらない相手の言葉を、娘から聞き出して、本当に良かったのだろうか。
 「いや、やっぱり聞くのはやめておこう」、そう言おうとする前に、テンコの娘は小さなくちばしを開いた。

「一目惚れだったと、申していましたよ」

 わたしは口をつぐんだ。テンコの娘は、礼儀正しいように思えたがやはりテンコの娘で、わたしがなにも言わないでいるとひとりでぺちゃくちゃと喋り始めた。
「初めて屋根の上で休んでいらっしゃるのを空から見かけたとき、綺麗な白猫さんだなと、ぜひお友達になりたいと思ったとか」
「でも、あんなに綺麗な白猫さんが、ただの小鳥を相手にしてくださるとは思わなかったから、必死で情報収集して、話題を集めて、話しかけるタイミングも見計らったとか」
「お父様はスコティッシュ・フォールドという耳の折れた品種で、お母様はチンチラ・ペルシャという毛の長い品種で、ユキさんはお母様から綺麗で輝くような白い毛を引き継いだとか」
「思っていたよりもよっぽど気位が高くていらっしゃるから、気を惹くのに必死で、それこそ無我夢中で勉強して、議論のお相手が務まるように準備して、その頃は父を誘惑するよりよっぽど大変だったとか」
「巣を作る場所を提供してくださった時には、本当に嬉しくて、群れの誰かに自慢したいけれど、良い場所があると聞いたら他の雀たちがお家に押し寄せて迷惑になるかもしれないから、自分ひとりの秘密にしたとか」
「夏の暑い日には熱中症にならないようにと身体を案じてくださって、幼いあたくしが巣から落っこちてしまった時は、母が帰ってくるまでそばで見守っていてくださって、お礼を言うと『わたしが勝手にしたことだ』と、まるで当たり前のことのようにおっしゃって、本当に優しいお方なのだと気づいたとか」

「母はいつもいつも、ユキさんを『自慢のお友だち』だと、申しておりました!」

 わたしはいっぺんにまくし立てられて、理解が追いつかなかった。一目惚れだったとか、話しかけるタイミングを見計らっただとか、聞いたこともない、あの時のテンコは気まぐれにわたしの昼寝を邪魔しに来たのだと思っていた。話し相手が務まるように勉強したとか、やたら学があると思っていたがそういうことだったのか。というか娘たちの前で「父を誘惑するよりよっぽど大変だった」なんて言ってやるな、母親なら一応父親を立ててやれ可哀想だろう。いや、そんなことより、ちゃんと覚えてたんじゃないか「スコティッシュ・フォールド」と「チンチラ・ペルシャ」って‼
 そこまで考えて、わたしは気づいた。
 そうだ、テンコは初めから、「わたし」のことを見ていた。「わたし」の名前を聞きたがっていた。両親の品種も、わたしに血統書がないことも、どうでもよかったのだ。
 そういえば、だれもわたしに血統書がないことなんて、気にしていなかった。テンコも、この家の人間たちも。気にしていたのは、わたしひとりだけだった。みんな、ただの「わたし」を好いてくれていた。なんだか、今までの自分のひねくれた面倒くさい態度がどうにも恥ずかしくなってしまう。テンコがわたしの両親の品種を覚えていない風に装っていたのも、きっと遠回しな気遣いだったのだろう。まったく、わかるわけがないだろうそんな気遣い!
 いや、きっともっと恥ずかしいのは、わたしと自分の娘がめぐり合って、娘に自分の秘密の努力や遠回しな気遣いを暴露されてしまったのを、どこかで見ているのであろうテンコの方だ。もう弁解の機会はない。隠していたまわりくどい性格が明らかになって、きっと大慌てしているはずだ。なんだか清々しい気分だなと、我ながら意地悪くも思う。
「ねえ、ユキさん。あたくし、ユキさんのお話はよくお聞きしていたのですけれど、母は母自身の話をあまりしてくれなかったのです。ユキさんから見た母のこと、ちょっとお聞かせ願えませんか?」
 テンコの娘は可愛らしく小首を傾げてそう訊ねた。わたしは笑った。
「テンコらしいな。そうだな、なにから話そうか…… その前に、場所を移さないか。陽の当たるところがいい」
 そう言って、わたしは雀の子を連れ立って歩き出す。
 白く積もった屋根の雪に、猫と雀の足跡ができた。


 わたしは猫である。
 血統書はないが、幸せな猫だ。

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