第5話 アイツ

 昼。食堂の真ん中のテーブルにて。
 SLWハイスクール一年一組、出席番号四二番。山本平蔵はにこにこと憎めない笑顔を浮かべる友人に、どう切り出すべきか迷っていた。隣でハムカツをつついていた、出席番号三八番、村上陽一もおそらく同じ心境であったろう。平蔵少年は、話題を逸らすにはどうすればいいか考えた末、どうしようもない気がしてきて、溜め息を味噌汁と一緒に飲み込んだ。
「小野さんと話してたんだけどさ、今度みんなで、どっか遊びに行こうよ」
 ここまでは平蔵も陽一も歓迎した。ずっと同じクラスにいながらろくに喋ったことのない謎の美少女・小野ほたると、転入生とお世話係という縁で繋がった新しいクラスメート、佐倉亨。彼はごくごく平凡で、しかしエレメンタリー時代から形成された平蔵たちのグループになんの抵抗もなく受け入れられた、人懐っこく、憎めない性格の少年だった。そんな亨の提案なら、そして謎多き小野ほたると話せるかもしれない機会なら、二つ返事でオーケーするところである。
 問題は、付け加えられた一文。
「小野さんも、マクレガーさんと鏑木さんを誘ってみてくれるって」
 もっと抽出すると、この一文節。

 “マクレガーさんと”

「いやいやいやいや佐倉、お前マクレガーにすげー睨まれてるじゃん。なんで一緒に遊ぼうって話になるのかオレたちついて行けてない」
「んー、喋る機会があればどうにかなるんじゃないかなって思って」
 亨はマイペースに茄子の煮浸しを味わっている。高校生の割に渋いおかずをチョイスするのがこの佐倉亨という少年のちょっと気になるところである。
 いやいやいやいや、そんなことはどうでもいい。
「鏑木はともかく、マクレガーか……」平蔵は曖昧に、乗り気でないことを告げる。
「ちょーっとハードル高いな……」陽一も同様に、苦笑でごまかしながらこの話を終わらせようとしていた。
 そんな二人の心境など知ったことかとばかりに、亨は首を傾げて、核心に迫ってくる。
「二人とも、マクレガーさんとなんかあったの?」
「……いや」
「……そういうわけじゃないんだけどさ」
 ああ、この少年は誰かを疎ましく思うことなく生きてきたんだろうなと、平蔵は太陽みたいに眩しいものを見た気持ちになった。視界が真っ白になって、直後に若干目の奥が痛くなる、あの感じ。
 陽一が言い出さないので、平蔵が仕方なく話を続ける。
「マクレガーの奴、昔っから小野さんと鏑木に引っ付いてさ。誰かが小野さんたちに近づこうものなら片っ端から邪魔してきたんだよ。おかげで小野さんも鏑木も、友達少ないの。誰も近づけねぇんだもん」
 同学年の間では有名な話である。優等生に金魚のフンみたいについてまわる、ちっぽけなくせに負けん気の強い、番犬みたいな女子生徒。SLWジュニア隊員としてそれなりの実績がある分、クラスメートたちも容易に口答えできない。なんとも面倒臭い存在、それがエデン・マクレガーの立ち位置だった。
「鏑木はまあ、小野さんほどガードされてるわけでもないけど、姉ちゃんがあの”白雪姫”だからさ……」
 “白雪姫”。SLW第一捜査隊準一等隊員、恩田美雪を指す呼び名は、ジュニアを含め日本支部のほとんどの人間に知られている。『雪のように冷たい女性』、それを皮肉って付けられた渾名。女性を ”世界で一番美しいお姫様” の名で呼べば愛称どころか尊称だろう、まさか侮蔑の意が込められているとは思わない。なかなか頭の回る名付け親だったのかもしれないと、顔も知らない言い出しっぺに平蔵は拍手を贈りたくなる。
 総合すると、ほたるたちはエデンに完全ガードされているせいで、加えて美鈴は姉の存在が大きすぎて、クラスメートも容易に近づけない。
 一応クラスの交友事情を説明してみた平蔵と陽一であったが、亨が納得しないことも予測できていた。
「なにそれ。マクレガーさんは確かにとっつきにくいけど、そんなの小野さんとも鏑木さんとも関係ないじゃん。少なくとも二人はいい子だよ。小野さんだって乗ってくれたんだし」
 そう、そう。この天真爛漫さが亨の魅力であり困ったところなのである。平蔵は何度目かの溜め息を白飯と一緒に飲み込んだ。
アイツマクレガーがなぁ……」
 ぼそり、漏らしてしまう。自分が今、亨の目にどう映っているかくらい、平蔵にもわかっていた。嫌いな相手をなんとなく排除したがる小学生みたいなガキっぽさが、高校生になってもまだ残っている。高校生になった今では、「なんとなく」ではなく「意識的に」、クラスの大半と無言で示し合わせてエデンを避けようとしているのだからさらに醜悪だ。こんな汚い姿、亨に見せたくなかったのに。この場にいないエデンがいつにも増して憎らしかった。
「……」
 亨が黙り込む。あまりの幼稚さを見て失望しただろうか、平蔵は陽一を肘でつついて、(なにか言えよ)と視線で訴えるが、平蔵と同じく陽一も、気まずさから口をへの字に閉ざしたままだ。
 食堂の真ん中に、不自然な沈黙が下りた。
 テーブルの下で沈黙の妖精たちが大行進していったあと、亨が半眼で平蔵たちを睨みながら(もともと丸っこい目なのでそれほど怖くはないが)、ぼそりと口を開いた。

「ふたりとも、俺の顔に泥を塗る気?」

「……」
「……」
 そう来たか。笑い飛ばそうとしたが、顔が引きつったまま動かない。隣の陽一もなにかを察知したらしい、不用意なことは言わなかった。
 亨はわざとらしく溜め息をついて、食事を再開する。
「小野さんに『山本と村上も誘う』って大口叩いちゃったのに。結局俺一人しか行けないとか。俺が友達に嫌われてるみたいじゃん。あー、つらっ!」
 ぽりぽり、付け合わせのたくあんを口に放り込んで咀嚼する少年の顔には、大きく『拗ねてます』と紙に書いて掲げられているように、平蔵たちには見えた。紙の下ではおそらく、ほくそ笑んでいる。
 これもまた、亨の不思議なところだった。この少年は人を動かす方法を心得ている。甘え上手というか、策士というか、……まあ、要するに厄介だ。
 陽一が平蔵を見ている。どうしよう、という目だ。どうしようもないだろ、と視線で返した。静かだったテーブルに、がやがやと食堂の騒がしさが戻ってくる。
「……わかった、行こう」
 せめてもの仕返しに、苦渋の決断であることを声音に目一杯詰め込んだ。
 それに気づいたのか、気づいていないフリをしたのか、亨の目が柔和に細められる。
「ありがと! やっぱ持つべきものは友達だなー!」
 悪意なんてこれっぽっちも感じさせない、清々しいほどの笑顔。子どもっぽい策に引っかかった平蔵たちに満足しているのか、単純に遊びに行くのが楽しみなのか。おそらく半々くらい、どちらかといえば楽しみの方が強いくらいだろう。
 平蔵の方も、“渋々” 参加するつもりだったのに、この笑顔を見たらなんだか普通に楽しみになってきた。
 そうか、楽しみなのか、俺。自分でも意外だが、アイツの存在があまりに重大に思えて躊躇っていただけで、本当は初めから乗り気だったのかもしれない。だって、亨から遊びに行こうだなんて誘ってくれたのは初めてだったのだから。
「んじゃ、週末の朝六時に女子寮前に集合!」
「朝六時⁉」
「早くね⁉」
 陽一と揃って声を上げる。対する亨は涼しい顔だ。
「ハイキングだからね。涼しいうちに出発した方が歩きやすいし」
「遊びに行くってハイキングかよ‼」
「だって映画じゃ話もできないし、買い物行くにも男女じゃ趣味が違うし、生徒だけでゲーセンはダメって校則にあるから小野さん絶対行かないだろうし、だとしたらもうアウトドアしかないだろ」
 アジフライの尾まで残さずきれいに平らげて、亨は食後の温かいほうじ茶をすすった。だからどうなんだその渋い嗜好は。
 集合時間に起きれるだろうか。寮の朝食が終わるギリギリまで布団の誘惑と戦う平蔵には、なかなかつらい時間である。オールするか、などと一瞬考えて、ハイキングの前日に眠らないのは体力的にもさすがにまずいだろうと却下した。ああ、歩きやすい靴も買っておこうか。履きなれた靴がいいのかもしれないが、動きやすい靴なんて体育用の運動靴くらいしか持っていないし、この機会に新調したい。ハイキングなんて何年ぶりだろう。
 浮かれて靴を買いたいと言ってみたら、陽一も同じ考えだったらしい、放課後に三人で靴を探しに行こうと盛り上がる。
 行くと決めてしまったら、それなりに楽しく思えてきた。最初の一歩を踏み出してしまえば、案外どこへでも行けるのかもしれない。どうせ何事もなるようにしかならないのだから、それならこの天真爛漫な策略家の友人に乗せられてみようと、屈託なく笑う亨を見てそう思った。

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

 昼。校庭を臨むベンチにて。
 SLWハイスクール一年一組、出席番号三九番、サンドイッチを頬張ろうとしていたエデン・マクレガーの顔は、親友の発言で引きつっていた。
「今度、ハイキングに行きましょう。よければ二人も一緒に」
 ほたるから遊びに行こうと提案されること自体、珍しい。エデンはすぐに頷こうとしたが、付け加えられた一文で脳が凍ったように動かなくなった。
「佐倉さんと、佐倉さんのご友人にもご一緒してもらえるそうですから」
 特に、この一文節。

 “佐倉さんと”

「……っ、ハァ⁉ ホタル、あんたどうしちゃったの⁉」
「どうしたの、というのは?」
 いつものすました顔で、同じくサンドイッチの角を口に含んだほたるが小首を傾げる。さらさらの白い髪が小さく揺れた。
「朝、お話していたんです。佐倉さんもエデンや美鈴と話す機会が欲しい、って。佐倉さんは社交的ですから、すぐに打ち解けられると思うけれど、どうかしら。美鈴?」
 ほたるを挟んで反対側、お弁当をつついていた美鈴の顔を覗き込む。美鈴はこう言ってはなんだがかなりの臆病者だ、よく知りもしない男子と遊びに行くだなんてまさか、
「……いいと思う」
 頷くはずが、ない、のに。
 凍っていた脳が、今度は熱を帯びて凝固したように、機能停止した。
 今、なんて?
「美鈴までどうしたのよ! 遊びに行くって、えっと、そう、白雪姫もいい顔しないでしょ?」
 こんなところで日頃散々悪く言っている美雪を引っ張ってくるのは都合がいいにもほどがあると自覚していたが、今はなんでもいいから同意を撤回させたい。
 それなのに、美鈴は小さく首を振った。
「……佐倉さんのこと、お姉ちゃんも、話してた。期待できる新人が入った、って。私も、佐倉さんのこと、知りたい」
 姉を引き合いに出したのは逆効果だったと判明し頭を抱えたくなる。どうしてこうも思った通りにならないのか。

 どうしてアイツは、自分たちのテリトリーに侵入しようとするのか。

「恩田準一等は、佐倉さんのことを話したの?」
 ほたるが訊ねると、美鈴はこくりと頷いた。
「空港からの帰りの車で、近況を教えてもらった。恩田班に新しい子が入ったって」
 その話はエデンも聞いていた(というか、狭い車内でツンとした美雪の声はよく響いて、シャットアウトしたくてもできなかった。いわば囚われの聴衆だ)。
 今のところ行きたい派が二名、行くたくない派が一名。多数決ではエデンの負けだ。
 誰に負けたかって、それはもちろんアイツだ。
 帰国してみたらほたるの隣の席に居座っていた、底の見えない笑顔でほたると美鈴に近づいてこようとする、正体不明の男子生徒。
「エデン、行きたくないなら無理はしなくていいのよ。わたしが勝手に佐倉さんと話していただけだから」
 いつもの通り表情は薄いが、どこか心配そうなほたるの顔。違う、そういうのが欲しいんじゃない。
「置いていくとか論外‼」
「そう、なら行くのね?」
 ほたるに悪意はないと知っていても、その誘導はズルいと思った。なんでこんなにも思った通りにいかないんだろう。
 渋々、本当に渋々、まさに苦渋の決断だ。
「……わかった、行く」
「よかったわ」
 ほたるの声がどことなく弾んでいる気がして、思わず顔を背けた。
 ああ、嫌だ。自分たちの世界に今にも汚いものが入ってきそうな、恐怖も混じった嫌悪感。こんなことは今までなかった。ずっと守ってきたのに。どうして私の大好きなものを取り上げるの?
 美鈴とほたるが話をしている。話題はやっぱりハイキングのこと。靴がどうだとか、服装だとか、虫対策だとか、お弁当とか。
 味気ないサンドイッチをむさぼるように食べ進める。そう長い昼休みではないのに、小学生みたいにボールを持ち出してグラウンドでサッカーを始めた男子たちの声を、聞くともなしに聞いていた。

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