第7話 綺麗

 ほたるは、素っ気ない風に見えるけど、親切だし、裏表がない。
 美鈴は、意外と芯の強い性格で、根っからのお人好し。
 このふたりが他人の悪口とか言ってるところなんて、見たこともないし、想像もできない。ふたりとも、悪意とは無縁な気がする。
 こんなに綺麗な子たちがいるんだって、ビックリしたもん。

 でもね、他の子たちは、みんな嘘つきで卑怯者なの。
 聞こえてるもん。休み時間、トイレに行ってて教室にいない友達の悪口とか。それでけらけら笑ってる、耳障りな声たち。
 聞こえちゃうんだもん。あたしの髪と目が変な色だとか、髪を染めている子は不良だとか、日本語わからないから平気だろとか言ってるの。わかるもん。日本語たくさん勉強したもん。髪の色はママともパパとも違うけど、綺麗だねって褒めてくれたもん。変な色じゃないもん。

 美鈴も、あたしと同じ。見えない悪意と戦ってるの。お姉ちゃんが ”白雪姫” っていう、とんでもない冷血女で、みんなが怖がって、代わりに妹の美鈴に強く当たるの。美鈴は自分の力で三等にまでなったのに。白雪姫が贔屓したんじゃない、というか、白雪姫は美鈴のことバカにしてるんだから。
 でも、美鈴はなにも言わない。文句も泣き言も言わない。強いんだ。だからあたしも負けない。美鈴と一緒に戦うんだ。

 ほたるを悪くいう子なんてひとりもいない。ほたるはすごいから。勉強も運動も一番だから。本当なら、クラスの人気者になってもおかしくなかったんだよ。
 でもね、ほたるはクラスの子たちに流されなかった。それどころか、ほたるはあたしの味方になってくれたんだ。あたしの髪を変だって言った男の子に、『エデンは、生まれた時からああいう髪の色なんです。わたしも、生まれた時から白い髪です。変ではありません』って。その男の子、口を開けて、バカみたいな顔してた。ほたるの言葉は嬉しかったし、なんか、胸がスッとしちゃった。

 みんな、こそこそ陰口を言い合って、笑い合ってる。汚い。醜い。近寄らないで。
 あたしたちはあんたたちなんかに負けない。取り合う必要もない。
 ふたりと一緒にいると落ち着く。ふたりとも、友達のことを悪く言ったりしない。絶対にしない。天地がひっくり返ったってありえない。
 友達は、ほたると美鈴がいればいい。

 ……それなのに、ほたるとしばらく会えないことになった。
 一緒にアメリカに行こうって、言ったのに。ほたるの成績なら留学のための奨学金だってもらえるはずだったし、美鈴もなんとか白雪姫の承諾をもらってきた。あたしは、奨学金は辞退しても良かったんだ。パパも、『本国に帰るだけなんだから、お金のことは気にするな』って言ってくれてたから。でも、アメリカはほたるにとって、あんまり魅力的じゃなかったのかな。先生から話は聞いていたはずだけど、断っちゃったらしい。
 それを聞いて、教室でほたると大げんかして、泣きながら寮の部屋に戻って、しばらく口をきかなくて、次に喋ったのは見送りの空港だった。一緒にいられる時間を無駄にしちゃったんだって、ようやく気付いたあたしは、自分の馬鹿さ加減とお別れの寂しさで、泣きながらほたるに謝った。留学に行かないのはほたるの都合で、あたしがとやかく言うことじゃなかったし、口をきかなかったのも全面的にあたしが悪かったのに、ほたるは怒ってなかった。メールもするし、時間があったらテレビ電話もあるからって、あたしたちを送り出してくれた。
 ほたるは、メールは欠かさずに送ってくれた。時差があるし、ほたるは準二等の捜査隊員で忙しいから、テレビ電話はなかなか難しかったけど。あたしにも美鈴にも、日本での出来事を教えてくれた。その気持ちが嬉しかったし、美鈴にとっては心強くもあったんじゃないかと思う。

 ただ一つ、気になったのは、あたしたちと入れ替わりで転入してきた男の子のこと。あたしの時と同じように、ほたるが転入生のお世話係になるのは、自然な流れだと思ったけど。なんか、……気に食わなかった。
 悪い子だったらどうしよう。ほたるは『普通の子』だってメールに書いてた。でも、ほたるはちょっと世間離れところがあるから、安心はできない。本当はその子は悪い子で、ほたるが騙されてるのかもしれない。渡米したばかりの頃から、心配で帰りたくなった。
 ほたるはたまに、メールに『佐倉さん』のことを書いた。

From:Hotaru 
Title:ふたりに相談
『佐倉さんは転入したばかりで、授業についてこれるか心配。なにかお手伝いできることはあるかしら』

 ……別に放っとけばいいじゃん。

From:Misuzu 
Title:Re ふたりに相談
『ほたるがいるだけでも心強いと思うけど……』

 そうよ、甘えさせちゃダメ!

From:Hotaru
Title:Re:Re ふたりに相談
『中学の時のプリントをまとめてみたけど、これを渡すだけじゃ不親切よね』

 じゅーぶん親切だと思いますけど⁉

From:Misuzu 
Title:Re:Re:Re ふたりに相談
『ほたるに時間があるなら、家庭教師をしてあげるのもいいと思う』

 ちょっと美鈴! なに言い出してんの!

From:Hotaru
Title:Re:Re:Re:Re ふたりに相談
『佐倉さんに直接提案してみたわ。放課後に補講をしてくれると助かるって。美鈴の言った通りね。ありがとう』

From:Misuzu 
Title:Re:Re:Re:Re:Re ふたりに相談
『ほたるは教えるのが上手だから。これをきっかけに仲良くなれたらいいね』

 ……

 ……ちぇっ……

From:Eden
Title:Re:Re:Re:Re:Re:Re ふたりに相談
『ほたる、任務もあるんだから。佐倉さんのために無理しすぎないようにね!』

From:Hotaru
Title:Re:Re:Re:Re:Re:Re ふたりに相談
『ありがとう、エデン。大丈夫よ。自分の能力は把握しているつもりだから』

 ……

 留学、早く終わらないかなぁ……

  

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

  

 須藤隊長は片付けが苦手だ。
 彼の部屋に行くと、デスクの上には時期によって標高は異なるものの書類が山のように積み重なっている。いつだったか、一度、雪崩が起きそうになった時はさすがに見過ごせず、たまたま部屋に来ていた美鈴たち後輩三名と隼人に指示しながら片付けをしたっけと、順番待ちをしていた美雪は昨年だか一昨年だかの出来事を思い出していた。あの堆い書類の山脈にもきっと須藤なりの優先順位だとか重要度だとかがあるはずで、だから美雪がそれに手をつけたのは、物理的危険が逼迫していたあの日の一度きりだ。
 どうしてそんなことを思い出していたのかというと、先客がその時と同じ、髪の先に行くほど緩いウェーブのかかった金糸を飾り羽みたいに揺らしながら猫を前にした雛鳥のような声で叫んでいる、妹と同い年の後輩だったからで。

 急ぎの連絡ではないから、美雪はエデンの用事が済むのを待っていた。かれこれ二〇分は、部屋の隅で須藤の手が空くのを待っていた。先刻からエデンが喚き散らしている内容がただの不平不満だったなら、さっさと押しのけて須藤に書類を手渡し、ついでにエデンの耳を引っ張って部屋から強制退去させるのも辞さないつもりであったが、どうやらエデンが持参したこの案件は、須藤が抱え込んでいる例の少年の問題にも関係しているらしかったので、美雪はときどき腕時計に目をやりつつ、定時までの残り十五分が満了するまでは、このまま待機を続けることにした。

  

   ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃ ❃

  

 美雪は他人に口出しをしない。
 もちろん、自分が指導者の立場にある場合は話が別である。亨に対するハイスクールでの指導も捜査班での監督も、須藤が依頼したことだから、亨の行動には必要最低限のコメントをつける。だが、それ以外の場面で、美雪が他人の行動に口を挟むなど、少なくとも須藤は一つの例外を除いて見たことがない。……その一つの例外というのは小野ほたるのことで、ほたるが須藤に対して『休め』だとか『休憩は大事』だとか労わることに矢鱈と辛辣なのだが、これも「ほたるが須藤のやることに口を挟んだ」という事実に突っかかっているので、根本の理念は変わらないのかもしれない。
 美雪本人もあれこれと口出しされるのを好まないし、それ以上に他人に介入することを嫌う性格だ。誰にでも本人なりの意思決定の過程があって、それらに──たとえ正論であっても──口出しする特権なんてものは、神様だって持ち得ないし、与えるつもりもない。よく言えば、相手の自由意思に基づく行動を最大限尊重する。須藤は美雪のそんなスタイルを好ましく思う。
 ただ、今ばかりは、目の前の金糸雀みたいな少女が怒り狂っているのを宥めるのに力を貸してはもらえないかと、須藤は部屋の隅でここ二〇分ほど待機してくれている部下にちらちらと視線をやって、情けないSOSを送り続けていた。

「なんで異能どころかタイプまで機密なんですか⁉ そんな得体の知れない馬の骨をほたるの近くに置いとくとか論外です‼ あたしと美鈴が戻ってきたんだからアイツ要らないでしょ‼」
「いやー、ね? 数は多いほうが安心だろ? トオルも経験浅い割に結構やり手だから……」

 須藤自身も、美雪にSOSを発信する前に自分の手際の悪さを今一度省みるべきだろう。一つ、亨の情報を開示できないなら、いっそ『不明』ということにしておけばよかった。須藤だけでなく、エデンが最も信頼している友人、ほたるですら亨の異能について口止めされているのである。エデンの不信が深まるのも当然のことだ。二つ、亨にほたるの身辺警護という「特命」を与えたことを、同じく特命を与えていたエデンたちに伝えておくべきだった。エデンにしてみれば自分たちが不在の間に正体不明の少年が任務を代行していたということで、つまりは知らぬ間にお払い箱にされていたと受け取られても仕方のない話で。
 一応、須藤側の言い分もまとめておく。日本支部で亨の異能を詮索する人間は、春から現在にかけてほとんどいなかった。軽井沢の一件で注目を集めた時期も確かにあったが、流行はすぐに別のところへ移った。支部内には常に新しい異能犯罪者の捜査情報が飛び交っていて、一ハイスクール生に過ぎない少年の異能なんかにこだわっている暇人はいないのである。加えて、ほたるの身辺警護についても、須藤の頭の中では、少々特殊ではあったが、日頃から部下に与えている任務の一つに過ぎなかった。それに須藤の捜査隊員時代の経験からすれば、自身の不在の間に誰かが代わって任務を続行してくれたのであれば有難く思うことはあっても不満に思うことなんてなかった。
 けれど、そんな事情は結局のところ言い訳に過ぎない。日本支部内で亨に再び好奇の視線が向けられるきっかけなんてものはいつだって生じ得たのだし、ハイスクールで亨の異能を詮索する生徒がいなかったのは、亨本人がのらりくらりとうまく誤魔化してくれていたからである。しばしの平穏は簡単に崩れうるもので、須藤は現状に甘えていた。そして、ほたるの警護を隊員として以上に「親友として」請け負っていたエデンが、亨を「ただの任務の代行者として」認めてくれるだなんて、期待する方が間違っていたのである。

「それだけじゃないです、佐倉のヤツ、ほたるを外に遊びに連れ出そうとしてるんですよ! ほたるが狙われるかもしれないってのに危機管理能力ゼロじゃないですか!」
「連れ出すって言ったって都内でハイキングだろ? 健全でいいと思うけどなぁ…… あ、心配なら誰か隊員をつけようか?」
「そうじゃなくて……っ!」
 エデンは、なにを言いたいのか、自分でも言語化できなかったらしい。唇を噛み締めて、手を真っ白になるまで握り込んで、ふるふると肩を震わせていた。
 やがて、納得はしていないだろうがわめき散らすのにも疲れたらしく、「もういいです!」と雑に会釈をしてから、ずかずか部屋を出て行った。部屋の隅で待機していた美雪を睨みつけることも忘れずに。
「……ミユキ、待たせてすまんな」
「いいえ。お疲れさまでした」
 美雪は先ほどまでエデンが喚き散らしていた場所に立つ。脇に抱えたファイルから報告書を取り出すと、須藤に手渡した。
「先日の常習窃盗犯、起訴相当と判断されました」
「ま、そうだよなぁ……」
 パラパラと書類に不備がないことを確認して、須藤はそれを山のてっぺんに積んだ。
 常であれば、美雪はすぐに踵を返して自身の仕事に戻るのであるが、今日はすこしばかり違った。じいと、須藤の顔を真ん前から見つめている。
 しばらく無言でにらめっこを続けていたが、須藤の方がふうと息を吐いて降参した。
「……やっぱ俺、トップには向いてないんだよなぁ……」
 常々思っていたことを打ち明ける。
 たまに、……というか時々、……むしろ、しょっちゅう。
 こんな些細な問題を回避できなかった自分の不甲斐なさを思い知らされる。目の前の優秀な部下なら、きっと須藤が凹んでいるのを察したように、部下の心の機微にまできめ細やかな配慮ができるのではないかと思う。
 美雪はほんの少しだけ表情を歪ませて、ドアの方に目をやった。壊れるんじゃないかと変な心配をしたくらいに力強く閉ざされたドアの向こうに、エデンはまだいるのだろうか。余計なことを喋って、感度の良すぎる彼女の鼓膜に声が届くようなことがあったら再び炎上案件だろう。
「先ほどの件は、公私の分別がついていないマクレガー三等の我儘です」
 しかし美雪は、エデンがドアの向こうにいようがいまいが知ったことかと言い切った。「三人揃っていなければなにもできないのかしら」
「いや、エデンのそういうところも含めて、先代ならうまく立ち回れたんだろうなぁ、と思うと……」
 ぽりぽりと頭を掻いて、つい愚痴っぽく漏らしてしまう。
 先代の第一捜査隊隊長は、人心の掌握に長けた、人形遣いみたいな人物だった。あらゆる人間の心理を突いて、自分の思うがままにことを進める天才だった。そんな先代に、須藤は常々笑われていた。
『お前は人誑しのくせに、人心の掌握はからっきしだなぁ!』
 人誑しとは如何なものかと思うが、確かに須藤は昔から、人に好かれやすい性質だった。好かれやすく、嫌われることがあまりない。須藤が頼めば大抵の人間はそれを快く引き受けてくれる。……そんな性質が災いして、他人の心理に働きかけるだなんて芸当は、隊長の任を背負うことになるまで考えたこともなかったのである。随分平和に生きてきたものだと今になって思う。
 美雪は呆れたように息を吐いて、しかし淡々と続けた。
「今の我々の隊長は須藤隊長、貴方です。隊長は、先代とは確かにタイプが違いますが、須藤隊長だからこそお慕いしている隊員も確かにいます。私も隼人もそうです」
 須藤は気恥ずかしさから苦笑した。そういえば、先代から後継に指名された時も、言われたのだった。
『操り人形ではない、本当の同士を集めるために、お前みたいな不器用なヤツを選んだんだ』
 すべては、来たるべき最後の戦いのために。
「ありがとな、ミユキ。ま、エデンには改めて話をするよ」
 須藤の顔にかかっていた影が消えたことを見て取ると、美雪は最敬礼をして退室した。
 その隙のない後ろ姿を、須藤は感心して見送る。
 先代の声が、再び脳裏に響く。

『アイツは仲間を作るのは苦手だろう。なんでも一人で出来ちまうから。だから、お前の代でできるだけ多くのシンパを集めろ。そうして出来上がった戦力を、最後はアイツに委ねるんだ。アイツのカリスマがあれば、仲間は自然ついてくる。
 ミユキと、新しい同士たちを。第一捜査隊をお前に託すぞ。トシアキ』

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