第11話 イヤホンジャック

 ほたるとともに行った山本平蔵が嗅覚強化の異能者であることは、あまりクラスメートと関わることのない美鈴もどこかで聞いて知っていた。エレメンタリー入学時から同じクラスなのだから、それぞれの異能がどんなものかなんて本人に聞かなくてもいずれ知れ渡ることだ。
 だが、この転校生の異能は、美鈴もまだ知らない。誰も知らないわけではないだろう。ほたるは知っているようだし、姉の美雪も実技指導者を務めるくらいだから知っているはずだ。それから、隊長の須藤と、捜査隊で同じ班の森隼人。親友と姉は聞かれなければ答えないだろうけれど、隼人は人当たりがいいし誰かが問いかければ答えてくれそうに思う。須藤などは聞かれなくても勝手に口を滑らせそうなものだ。
 それなのに、美鈴が復帰したとき、クラスメートはおろか、職場である第一捜査隊の誰も、亨の異能を知らなかった。実際には、隊員のうち数名だけは知っているらしい。しかし、彼らは絶対に話さないか、あるいは「知らない」で貫き通していると聞く。
 そんな中、美鈴はひとつだけ、亨に関する興味深い話を耳にした。「佐倉亨は六月、誘拐事件に巻き込まれた」らしい。第一捜査隊は一時騒然となったそうだ。そして、その誘拐事件の捜査に当たったのが、亨の異能を知っていると噂されている例の数名の隊員たちだという。
 亨になにか秘密があることは間違いない。美鈴は確信していた。
 けれど同時に、それが悪意によって秘密とされているわけではないことも確信していた。ほたると美雪には、亨の異能がどういったものなのか聞いたことがある。その反応は、どちらも同じ。二人とも、表情は動かないのにどこか悲しげに、「答えられない」と首を横に振ったのだ。誰かに口止めされている、というのもあるかもしれない。けれどどちらかといえば、問いかけた美鈴の身を案じての「答えられない」だったような気がした。聞いてはいけない、踏み込んではいけないと、言外に忠告されたように感じた。

 ……けれど、彼を知りたい。

 迷いなく進む亨の背中を見ながら、美鈴は考えた。美鈴の目に、亨は極めて普通の、平凡な少年に映った。特別頭がいいわけでも、体力があるわけでもない。人懐っこく、誰が相手でも物怖じしないのは天賦の才能だろうか、それともすべて計算尽くなのだろうか、美鈴はまだ見極められずにいるがどちらにしても特筆すべき点はそれくらいだ。
 ほたるも美雪も、ただ人懐っこいだけの少年を一人前扱いするほど甘くはない。美雪などはむしろ毛嫌いするだろう。だから、ほたるが人間不信のエデンに「話してみたらいいのに」だなんて言ってしまうほど信頼しているのも、美雪が「トオル」と新愛を込めて呼びかけるのも、美鈴にはまだ見極めきれていない『なにか』が亨にあるからだ。
 もっと亨のことを知れば、ひょっとしたら、自分も。
 そんなほのかな期待があった。
「……佐倉さん、ちょっといいですか?」
「うん」
 亨はエデンを追いかけながら、美鈴を振り返らずに返す。
 こくん、小さく唾を飲み込んだ。
「佐倉さんの異能ってなんなんですか?」
 亨は一旦足を止めた。「んー……」と頬を掻いて唸っている。そんなに答えにくい質問なのだろうか。
「うん、気になると思うよ、そりゃ気になるよね、この雑木林で親友を探せるかがかかってるんだもん……」
 ぶつぶつとそんなことを言うのが美鈴の耳にも届いた。
 急に、美鈴は自分の身勝手な問いかけを恥ずかしく思った。美鈴はただ、自分のために聞きたかったのに。
「あの、答えにくいならやっぱり……」
「ごめんね、秘密にしろって言われてるんだ」ようやく振り返って、亨は困ったように笑う。「秘密にしなくちゃ、須藤隊長たちに今よりもっと迷惑がかかるし、鏑木さんにもなにかあるかもしれない。だから、ごめん」
「私こそ……」
 亨は「でも」と美鈴を遮る。
「でも、いつか、俺が一人でも全部解決できるようになったら、そのときは鏑木さんにも伝えるよ。今は無理なんだ、俺はまだ、自分の身一つ守れないから」
 美鈴を見つめる瞳はひだまりみたいに暖かくて優しい。
 その瞳に、美鈴は少しだけ、姉がこの少年に親愛の情を抱いた理由がわかった気がした。
「困らせて、ごめんなさい。私、ただ、佐倉くんのことが知りたくて。お姉ちゃんが、佐倉くんのこと、とても信頼してたから……」
「んー、俺も自分のどこを信頼されてるのかわかんないんだけど…… 仕事ではほとんどお荷物扱いだし」
「私には、少しわかった気がする」
 亨は目を丸くして「え? 今の流れで?」と間抜けな声を漏らした。
 その様子がおかしかったから、美鈴は小さく笑ってしまった。
「意識してないかもしれない。でも、無条件に、人を信じて大切に思う気持ちとか、優しさ。そんな強さが、佐倉くんにはあるんだと思う」
 亨はぽかんと口を開けていたが、その顔がみるみる赤くなっていく。
 どうしたのだろうかと思っていたら、亨は慌てたように「は、早くマクレガーさん探そっか!」と駆け足を再開した。美鈴も、話し込んでいる場合ではないと思い出して彼の背中を追いかける。
「佐倉くん、顔が赤いけど大丈夫? 疲れた?」
「大丈夫! ……鏑木さんって、」
「呼び捨てでいいよ」
「……鏑木、って、意外とストレートにものを言うよね」
「そう?」
 特に意識したことはなかったが、そうなのだろうか。美鈴は首を傾げた。そういえば、今日はいつもよりよく喋っている気もするけれど。
「……まあ、いいことだと思う」
 そう言ったきり黙り込んでしまった亨の赤い耳を、美鈴は不思議に思いつつ、佐倉亨に関する特記事項に『優しい』の三文字を書き加えた。

  

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 バスケットボールを指の先で回転させてみる。もし部活動があるならバスケ部に入ってみたかったなと、村上はどうでもいいことを思いついた。SLWハイスクールに部活動なんてものはない。

 亨が今日のためにあれこれと準備を進めていたのも知っていたから、突然ほたるに茶を浴びせ逃げ出して場を滅茶苦茶にしたエデンには、正直なところ腹が立った。文句の一つも言ってやりたかったけれど、それを飲み込んだのは、美鈴とほたるのやり取りを聞いて、自分は亨の側の事情しか知らなかったと気づかされたからだ。
 エデンを追いかけて亨たちが散ったあと、紅茶が散ったレジャーシートを片付けていたら、エデンのバッグから伸びるイヤホンコードが目に留まった。そのままにしていては誰かに踏まれるか引っ掛かるかして切れてしまうかもしれない。けれど無理やり突っ込んだらバッグの中で絡まってしまうだろう。どうしようか少し迷ったあと、まとめておいてやろうとお節介を焼くことにした。
 バッグからコードを引き出して、違和感に気づく。コードの先はどこにもつながっていなかった。プレーヤーから抜けたような手応えもなかった。思い返してみれば、電車に揺られている間、エデンは一度もプレーヤーなんて操作していなかった気がする。じゃあ、なにを聞いていたのか。
 すぐに、なにも聞いていなかったのだと思い至った。音楽に聞き入っている振りをして、周囲への無関心の理由をでっち上げていたに過ぎなかった。きっと、教室でも。
 心無い噂話や身勝手な非難に耐えていたのだと知ってしまったら、知らなかった頃みたいに、無責任に文句をつけることはできなくなってしまった。
 コードはまとめて細結びしておいた。
 帰りは、こんなもの必要ない。

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 山本平蔵は、捜査隊員としてはジュニアの四等、現場に出ることは滅多になく、普段は支部で書類整理の手伝いなどをしている。それは決して山本の能力が低いからではなく、むしろほたるや亨のように、ジュニア隊員が現場に駆り出されることの方が珍しいのだ。加えて戦闘能力のない感知系能力者は敵の標的になりやすい。有望な人材を若いうちに失うリスクなど負う必要はないというのが、ジュニア隊員を指導すべき立場にある各隊隊長の判断だった。
 だから、須藤がエデンを現場に出すと言い出したときは相当に揉めた。エデン本人の希望であること、元日本駐在特使であるエデンの父も賛成したことで、例外中の例外として、エデンは日本支部では唯一、感知系の三等ジュニア隊員として認められた。
 そんな経緯があるから、ジュニア隊員の中にはエデンを心良く思っていない者もいる。特に感知系の異能者で、血気盛んな年頃の少年少女たちは、危険性もよく理解しないまま、ただ現場に出たいと愚痴をこぼす。ほたるからしてみればただのやっかみだ。エデンはなにも言わないが、ほたるも美鈴も見ていないところで、誰かがエデンへの妬みを口にしていることは確信している。姿の見えない、声だけの悪意に、エデンが苦しんでいるというのに、友人である自分たちにはなにも見えず聞こえず、助けることもできない。
 ほたるがエデンを亨と引き合わせようと思ったのには、そんな事情も少しは影響していた。亨なら、エデンを苦しめるクラスメートが誰なのかわかるだろうし、おそらくはそれを咎めてくれる。亨はすでにクラスに馴染んでいるから、彼の一言があれば、エデンだってあの教室でも過ごしやすくなるだろう。身勝手にもそんな計算が働いた。だから、突っぱねてばかりのエデンに対しても、亨から話しかけたがっていると聞いたときは、嬉しかった。
 けれど、本当は、エデンの言う通り浮かれていただけなのかもしれない。新しい友人ができて、美鈴とエデンがいない間も寂しくなかった。新しい友人は、他のクラスメートのように、ほたるを『出来過ぎな子』として敬遠したりしなかった。対等な友人として一緒に登校してくれた。新しい友人ができたのだと、帰ってきたエデンたちに早く紹介して、ちょっとだけ自慢したかった。エデンたちが亨と仲良くしてくれたら、学校生活はどれほど楽しくなるだろうと、自分本位に考えてしまった。
 自分は本当は自分勝手な人間だったのかもしれない。そんな可能性に直面して情けなく、恥ずかしくなった。いつだって堂々と前を向いて歩いていた『彼ら』を見て、そんな『彼ら』と並びたくて、今日まで必死に生きてきたけれど、いつの間にか大切な親友への思いやりすら忘れてしまっていたのかもしれない。『彼ら』はお互いを思いやることを忘れなかったのに。自分は自分のことしか見えていなかった。

 ……『彼ら』って誰?

 足を止めたほたるを、少し進んだ山本が怪訝そうに振り返る。
「小野さん、どうかした?」
「あ、いえ……」
 すぐに開いた距離を取り戻して、降って湧いた疑問を頭から追い出す。
 山本は大きく空気を吸い込んで、「結構足速いな……」などと零した。それほど遠くへ行ってしまたのだろうかと、ひとりぼっちでいる親友を思い胸が締め付けられる。
「大丈夫、さっきより匂いが濃いから、たぶんマクレガーの奴どこかで足止めてる。少し走れば追いつけるぜ」
「そうですか」
 走り疲れただけならいいのだが。怪我で動けなくなったりしていたらどうしよう。ひとりで泣いていたらどうしよう。
 けれど、早く追いつかなければならないのに、追いついたとしてどこから話せばいいのかわからなくて、もう少しだけ考える時間が欲しかった。喧嘩なんてしたこともないから、当然仲直りの仕方もわからない。美鈴がいてくれれば仲裁してくれるだろうか。意外と厳しい美鈴のことだから「自分たちでなんとかしなさい」なんて言われそうな気もする。
「山本さん。美鈴と佐倉さんとは、距離がありますか?」
 それでも縋りたい思いを捨てきれなくて、情けない自分を恥じながら山本に問いかけた。山本はもう一度、くん、と息を吸い込んで、「若干離れてる、けど、こっちに向かってるっぽい」と返す。
「そうですか」
 どうやら仲裁を頼める友人はしばらく来ないようだ。ならば結局、自分でなんとかするしかない。ほたるとエデンの問題なのだから当たり前だった。
「なに、亨たちのこと心配?」
 山本が、まるで自分はちっとも心配していないみたいに軽く訊ねてくるものだから、ほたるは不思議に思った。
「いえ…… 山本さん、佐倉さんの異能を知っているんですか?」
「いんや、知らない」
 随分キッパリと首を横に振ったものだから謎はさらに深まった。亨の異能がなにかを知らないのに、全く心配していなさそうなこのクラスメートは、亨のことをどこまで知っているのだろう。
「異能なんかわからなくても、佐倉は佐倉だろ?」
 今度は山本の方が、不思議そうにほたるを振り返った。二の句が継げなくて黙り込んだほたるに、山本はにっと笑った。
「あいつは自分にできないことは初めから引き受けないよ。そこらへん責任感あるよな。自分の能力を弁えてるし変な自信は持ってない。だからあいつが『できる』って言ったらそれはやり切れるってことなんだよ」
「……異能がわからなくても?」
「だって友達なんだから、わかるよ。別に小野さんだって、マクレガーや鏑木を異能だけで判断してるわけじゃないだろ? 異能とか、俺らの学校じゃケータイみたいなモンじゃん」
 みんな持っているのはわかっている、似たような外観の機種もあるけれど、中に入っているアドレス帳もアプリケーションもミュージックも、情報はてんでバラバラだし、使い方だって人それぞれ。でも、そんなもので友達を判断したりはしない。山本は亨のケータイを見たことがないらしいけれど、そんなことは重要ではないと言う。説明されてみれば、ほたるにもその感覚は少しだけわかる気がした。けれど、そうすると新たな疑問が浮かんでくる。
「でも、エデンは異能のせいで傷ついてきました」
 あそこまで優秀な異能を持っていなければ、誰かの悪意にも気づかずにいられただろうに。誰かに僻まれたり妬まれたりすることもなかっただろうに。
 山本はこれにも軽く応じた。
「そりゃ、ケータイのせいって言うより、マクレガーのケータイの使い方が下手なんじゃねぇの?」
「そんなことありません、エデンは能力をきちんと制御できます」
「そうじゃなくて、んー、エゴサしすぎだし悪い情報にばっかり目が行っちゃうし、しかも若干ケータイ依存症っぽい、って言ったらわかってくれる?」
 あ、と思わず声が漏れた。思い当たる節は幾つかある。
 常に聴覚強化をオンにして、自分への悪意に注意を払っている。エデンはSNSに張り付いて自分に関わる情報を逐一チェックして、それで傷つきすぎて疲弊している不器用な子どもと同じだった。
「間違った情報流されたら抗議すりゃいいし、しつこい奴は晒すなりスパブロするなりすりゃいいし、見たくない相手はミュートにしときゃいいんだよ。ご丁寧にクラスメート全員フォローしてタイムライン眺める義理なんてどこにもないのに。変に律儀だよな、全部確認するくせに誰にもなんの反応も返さないって。その律儀さ、絶対おかしいんだけど」
 そういうところ苦手なんだよな。山本は、ほたるに聞かせる気はなかったのかもしれないが、そんなことをぼやいた。
 しつこいかもしれないと思いつつ、さらに質問を重ねた。
「山本さんは、エデンのこと、悪く思ったりはしないんですか? その、ちょっと、複雑な立場の子だから……」
 山本は少しだけ考える間をおいて、
「やっぱ苦手だな。絡みづれぇもん。いっつも小野さんや鏑木とばっかいるし。でも逆に、嫌いになるほどアイツのこと知らないし。人間不信っぽいのはなんか察したけど、いろんな人間いるだろ、なんか嫌な経験あるのかなーくらいにしか思ってない」
「じゃあ、エデンが三等に昇格したのも……」
「俺は戦えないから現場は危険だって、隊長から説明受けてるから納得してるよ、マクレガーのことは正直羨ましいけど妬んだりしない。クラスの半分くらいは俺と同じじゃね? そこまでガキじゃない。まあ、現場に出たがる書類係には僻んでるガキも何人かいるけど、そんな奴ばっかりじゃねぇよ」
 つまらなさそうにそう答えた。
 そんなものなのか。当たり前だがほたるには初めて聞く話だった。異能を携帯電話だと言ってしまうのは、自分の血を操るほたるには思いつきもしない発想だった。エデンと同じ感知系だからこそ浮かんだイメージなのかもしれない。
 教室みたいな小さな世界でも、山本のようにまったく違う考えを持つ人間がいた。そのことにようやく気づいた。知っているつもりだったけれど、理解していなかった。
 小さな世界の片隅に作った三人の世界で終結させてしまっていた。だから、エデンが傷ついているのなら、三人の世界にエデンを守る誰かを新しく迎える必要があると勝手に思い込んでいた。でも、意外と簡単に、エデンが安心して過ごせる世界は作れるのかもしれない。この胸に灯った希望の光を、エデンにも伝えたいと思った。
「小野さん、あの金髪」
 山本が立ち止まって、太い木の幹の向こうに、葉の緑と腐葉土の黒が支配する視界で異彩を放っている、柔らかい金髪がなびいているのを指差した。
「……ここからは、小野さん一人の方がいいかな」
 山本に促されて、ほたるはこくりと一つ頷く。これはほたるとエデンの問題だから。山本から離れて、エデンにゆっくりと近づく。

 ほたると一緒にいたのが亨なら、異常に気づいたかもしれなかった。
 近づいてもエデンが逃げ出さないことに、ほたるも違和感はあったけれど、親友の陰を目前にして、迎えに行かないわけにはいかなかった。
 木の陰との距離が一メートルほどになったとき、ポケットに入れてあった携帯電話から緑豊かな景色に不似合いな着信音が響く。何事かとディスプレイを確認すれば「佐倉さん」の文字。嫌な予感がしたときにはすでに敵の射程範囲内だった。
 ほたるの背後で山本の悲鳴があがり、何事かと振り向いた陰から突如現れた粘性の『なにか』にほたるが包まれもがき苦しんでいるのを、同じく粘性のそれで拘束されたエデンは、忌々しいほどよく聞こえる耳で、絶望を覚えながら為す術もなく聞いていた。

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