第14話 強い?

 ああ、保釈なんて望んでなかったのに。どうしてこうなってしまったのか。
 昔からそうだ、別に欲しくもないものばかり集まってきて結局碌な目に合わない。
 盗みに手を出したのだって、親友だと思って保証人になった男が雲隠れしてしまったからで、まあ自分も浅はかだったとは思うが他にどうしようもなかったのだ。そんなこと、警察も検察も、裁判官だって御構い無しに「短絡的な犯行だ」と罰してくれる。まったくたまったものではない。
 たまったものではないけれど、今回ばかりは大人しく留置場に閉じ込めておいて欲しかった。裁判長のありがたくもないお説教を聞く前に死んでしまっては元も子もないのだ。
 足元は木の根と腐葉土で走りにくいことこの上ないし、背中には高校生の少女一人背負っている相手に、情けも容赦も一欠片もなく迫り来る螺子と衝撃波。人質のおかげで胴体への命中は避けられているけれども、その代わり明確に脚を狙われている。螺子は液状化すれば問題ないが衝撃波が命中すれば一瞬とはいえ再生のための時間をロスする。かといって液状化しなければ簡単に螺子の餌食である。そういうわけで、不規則的に液状化と解除を繰り返しながら逃げるという自分でも酷く器用だと感心してしまうような芸当を披露しているのだが、いい加減捕まった方が楽なんじゃないかと思えてきた。背中の少女を殺して自分にどれほどのメリットがあるのか。そもそもあの捜査官の言葉を信用していいのかも疑問である。そうだ、背後の二人組にあの捜査官のことを訴えてみるのはどうだろうか。
 酸欠の脳内で光明を見た気がしたけれど、すぐに首を振る。あの捜査官の殺意は本物だった。そうでなければ自分だって馬鹿な提案に流されず、保釈の前に捜査官の犯罪染みた職権乱用を訴えていたはずだったし、そのくらいの常識は持ち合わせているのだ。それができなかったのは、あの捜査官の皮を被った男は確実に自分の命を握っているとわかったから。いつでも古賀を自然死に見せかけて殺せると、脳に強烈に刻みつけて去ったあの男が、ただただ恐ろしかった。
 ああ、本当に、欲しくもないものばかりが集まって自分を貶めていく。碌でもない人生だった。改めてそう思ったら無性に泣きたくなった。信心なんて持っていないがこんな自分は前世でとんでもない罪を犯したに違いない。そして今世でも罪を重ねて、来世はもっと苦しい目に合うのだ。救われる路なんてないのだ。それならいっそ犬畜生にでも堕としてくれ。泥水を啜る野良犬としてでも罪を犯さず生きていけるなら本当はそれだけで幸せなんだろう。
 つらつらとどうしようもないことを考えているうちに、異能の発動と解除のタイミングが規則的になっていた。それを見逃す第一捜査隊のトップ戦闘員ではない。美雪の螺子が古賀のふくらはぎを薄く、けれど確かな痛みを与え擦り切った。古賀は堪らず無様に倒れ込む。
「ハヤト!」
「おうよ!」
 隼人の衝撃波が古賀の背中の液状の檻を破壊する。突然呼吸が自由になったせいで、ほたるの気管は大量の酸素を受け入れきれず噎せ返った。
「ホタル、逃げろ!」
 隼人の指示に、ほたるが古賀から離れようとする。もうこのまま逃げてくれよ。俺も楽になりたいんだから。古賀はぼんやりとほたるを見送ろうとしていたが、その背筋に悪寒が走った。
 倒れこんだままの古賀の視界に、妙にはっきりと映った男の影。
 釈放を告げにきた、あの捜査官だった。
『まさか、今更許される途があるとでも?』
 美雪も隼人も気づいていない、それくらいは離れたところに男はいた。距離的に声が届くはずはない、けれど、古賀の聴神経を男の声が支配した。
 逃げようとするほたるの細い足首を掴む。じんじんと痛む脚を奮い立たせ、小さく悲鳴をあげ倒れたほたるを引き摺り歩き出す。古賀を支配していたのは純粋な恐怖だけだった。
 視界の隅で、男が嗤ったような気がした。

  

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 浅かったとはいえ螺子で脚の肉を削いだのである、立ち上がるなどとは思ってもみなかった美雪は、なおも立ち上がろうとする古賀の姿に息を飲んだ。しかし、動きが鈍っている今であれば螺子で拘束することも容易いと、もう一度血の螺子を生み出し古賀を追う。
 だが、螺子は古賀に到達する前に、美雪の意思に反してどろりと溶けた。
 異常を察知した美雪と隼人は一度足を止める。
 古賀以外に、誰か、いる。
 交わった二人の視線は、互いに導き出した結論が正しいことを保証していた。
「古賀を保釈させたのはお前らか」
 姿を見せない相手に向かって、隼人が叫ぶ。
 返事の代わりに飛んできた鉛玉を、美雪の螺子が弾き飛ばした。
「公務執行妨害。拘束するわよ」
「でも美雪、螺子が効かねぇんじゃ?」
「……」
 美雪は試しに、足元に一〇センチメートルほどの螺子を生み出す。先ほど鉛玉を防いだことといい、変わらず螺子は生きている。ということは、美雪自身になにかされたわけではない。
 凝固させた血を溶かす。
 美雪や美鈴、ほたるのような血液使いには致命的な対抗手段であるが、異能自体を封じられたのでなければ戦えないわけではない。敵が異能者かどうかはともかく、血液融解の方法は薬物によるものか、物理作用によるものと見当をつける。
 なにより、姿も見せない敵を、実戦経験の浅い後輩たちに任せるわけにもいかない。
「ミユキ先輩、ハヤト先輩っ!」
 ようやく追いついたかと、隼人が努めて明るく迎えるが、張り詰めた緊張感に敏い後輩が気づかないわけがなかった。後ろに続くエデンをかばうように、姿の見えない敵に向かって一歩前へ出る。
 美雪も亨たちに視線を向けるが、想定より一人足りないことに整った眉を顰めた。
「トオル、美鈴は?」
「古賀を応援してる連中を引き止めてくれてます、ここから五分くらい西に登ったところです」
 まだ支援者がいるのかと舌打ちしたい気分だったがため息ひとつで吐き出して、班長としてどう采配すべきか頭を巡らせる。
「……トオル、マクレガー、古賀を追いなさい。ハヤトはここを抜けたらトオルの応援に。私は美鈴の元へ向かう」
 現状、敵の数も目的も把握できない。ならばここを手早く片付けて抜け出すべきであるが、亨はともかくエデンには自衛の手段すらない。はっきり言えばお荷物だ。よって、二人は手負いの古賀の追跡に回す。もっとも、新たに古賀の支援者が現れないとも限らないから、すぐに隼人を向かわせる。一人で戦う美鈴の元へは、姉である自分が。
 亨も隼人も、返事の代わりに即座の行動で了解の意を示す。
 隼人はその場で跳躍すると眼下の雑木林に向かって指を鳴らす。広範囲に向けられた衝撃波は木々を揺らし、木陰に潜んでいた敵の注意が上空の隼人へ向けられる。押し殺していた気配の揺らぎから敵の位置を把握すると、美雪は融解される前に血液の螺子を走らせた。
 亨はエデンの手を引いて美雪の背後を駆け抜け、深緑に消えた古賀を追った。

  

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 なんとか転けずには済んだけれど、なにも言わずに手を引かれたときは驚いた。そして、次にエデンの心を支配したのは、言いようのない嫌悪感。
「ちょっと、放しなさいよ!」
 手首を掴む少年の手を乱暴に振り払ったら、予想外の動きだったのか、勢いがつきすぎたのか、ともかく亨は不恰好に倒れこんで、神様からバチが下されたのかエデンまで反対側に尻餅をついた。
「……っ! 痛ってぇなー!」
「こっちのセリフよ!」
「いやどう考えても俺のセリフだろ‼︎」
 しつこく怒鳴り返してくるものだから余計に頭にきたけれど、返す言葉が見つからなくてぷいと顔を背けた。亨の呆れたような溜め息が癪に触る。
「……まあいいや。古賀の応援からは離れられたみたいだし」
 亨は一人で納得して古賀の進んだ方向を見据えた。なんて自分勝手なんだろう。
 古賀はエデンたちの前方一〇〇メートルほどのところにいた。怪我をしているらしい脚を引きずって、ほたるを気味の悪い液体に閉じ込めて、どこへ行くというんだろう。すぐそこまでエデンたちが追ってきているというのに、それに気づいているはずなのに、まだ諦めないなんて。なにがあの男を凶行に駆り立てているんだろう。
 いや、そんなの関係ない。追いかけなくちゃ、ほたるが、連れて行かれる……!
 恐怖心から前へ踏み出した。古賀の鋭い、悲鳴じみた声がエデンの耳に突き刺さる。
「来るんじゃないっ、殺さなきゃ、殺されるんだ……!」
 亨の手がエデンを乱暴に引き戻す。不本意にも背中から亨に抱きとめられる格好になる。
「考えなしに近づくなよ! アイツ混乱してるからなにするかわかんねぇぞ!」
「耳元で騒がないでよ! ほたるが、ほたるを助けなきゃ、連れて行かれちゃう……!」
 我慢していたのに、ぷつりとなにかが切れそうだった。
「あたしが、助けなくちゃ、友達なんだから……‼︎」
「だから落ち着けって! 怖いのはわかってるから‼︎」
 違う、あんな奴本当は怖くない、もっと怖いのは別にいるんだ。
 ずかずかとほたるの心に上がり込んでいた、自分勝手な、得体の知れない…… 佐倉亨という少年。
 一番怖いのは、自分の背中を支えているこの少年だった。
 突き飛ばすように亨から離れて距離を取る。こいつさえいなければ。
 亨の目には明らかに不愉快の色が浮かんでいた。やっぱり、こいつも他の子たちと同じだ。
 エデンをいじめた、あの子たちと同じ……

「……そんな怖がらなくても、別にマクレガーを追い出すつもりもなにもないから」

 考えていたことを言い当てられて、怖気が走る。
 少年は、相変わらず不愉快そうに、けれどエデンの目を見ている。
「もうわかってるよ、怖いのは俺なんだろ。小野さんの隣を俺が歩くのは嫌なんだろ。小野さんと話をするのは自分じゃなきゃ嫌なんだろ。三人組から追い出されると思って警戒してるんだろ」
「……そうだよ、わかってるなら」
「でも、俺は小野さんから離れるつもりも、鏑木と他人の振りしてやるつもりもないよ」
 遮られて、やっぱりこいつは敵だと再確認する。ほたると美鈴は人馴れしていないから気づかないだけで、こいつはエデンたちの仲を裂こうとしているんだ。エデンが守ってきた、三人の絆を。
「……っ、やっと、見つけたんだから……っ! あたしの親友なんだから……っ!」
 握りしめた拳がふるふると震えた。怖かった。なにをされるのかわからなかったけれど。
「アンタにはわかんないわよ、周りが敵ばっかりの人間の気持ちなんて、へらへらして媚び売ってるやつなんかにわかって、堪るもんか……!」
 亨の不愉快が明らかな不機嫌に変わった。
「ああ、わっかんねーな! 生憎周りが敵ばっかりだった経験なんてねーし想像しかできねぇよ! でも少なくとも、マクレガーが今敵だと認識してる奴らの大半が、マクレガーのこと大して気にしてないことはわかる!」
 思わぬ反撃を食らって、ぱくぱくと馬鹿みたいに、言葉にならない声を漏らす。
 大して、気にしてない……?
「三人の殻に閉じこもって、周りと関わろうとしない奴なんか、居ないのと同じようなもんだろ! 誰もマクレガーのこと敵だと思ってなんかないし逆に友達だとも思えねぇよ!」
「だって、さっき山本たちが、なんだアイツって……!」
「そりゃいきなり友達にお茶ぶっかける奴とか見たことねぇもん! 当たり前だろ! そんでいきなりいなくなったと思ったら向こう見ずに犯罪者なんか追いかけて、みんな心配してんだよ! 鏑木も! 山本も村上も! ミユキ先輩たちも! 小野さんだってきっとそうだろ!」
 ───ずっと、あんなに五月蝿かったのに。今は亨の声しか聞こえなかった。
 騙されるな、そんな女の子の声と、信じてみたい、別の女の子の声が頭の中で響く。
 どっちが自分の声だっけ?
「……」
 同じく黙り込んだ亨が、「もうひとつ」と、再び口を開いた。
「キミが強いってことも知ってる。ホタルのために恐怖を押しのけてコガを追いかけたキミが、弱いわけがないんだ。いじめられたときだって、告げ口することもやりかえすこともせず、勉強で見返そうとしたキミは、間違いなく強いんだ」
 はっと俯かせていた顔を上げる。ひだまりみたいな光を湛えた、綺麗な瞳。
「……なのに、本当は強いのに、傷つくことを恐れてだんまり決め込んで。それだけならまだしも、ホタルやミスズを巻き込んで、自分の世界に閉じ込めた。……戦わずに独りでいるのがいいなら勝手にしなよ。それくらいの強さはあるんでしょ。でも、無関係な親友まで巻き込まないでよ。戦わずに泣き寝入りして、親友に心配かけてるのもわからないの?」
 吐き捨てるみたいにそう言って、亨はエデンから顔を背けた。いや、見据えている先には古賀がいるから、正確に言うと本来注意を向けるべきものに視線を戻した、だけかもしれない。
(あたしが、強い……?)
 どう贔屓目に見たって、エデンは弱い。確かにアメリカにいた頃は、そんなに弱くもなかったかも知れないけど。結局日本に逃げて、ほたると出会って、美鈴と三人で過ごして、ここなら大丈夫だと安心したら、戦う必要もないと思った。陰口が聞こえても、ずっと聞こえないふりをしていたけど、もう戦いたくなかったから、無視していただけ。戦ったって勝てる見込みがないと思ったから。あたしは弱いから。
(……違う、それが、逃げてるってことだ)
 本当は、あたしは強いんだ。強いくせにほたるたちに甘えて、黙り込んで、戦うことを避けていた。自分が弱いと思い込んだら、戦わなくて済んだ。辛い目に合わなくても済んだ。頑張らなくても済んだ。だけど。

 もし、あたしが本当に強いなら。
 もし、あたしがまだ、ほたると、美鈴と、一緒に居たいのなら。

 綺麗で、優しくて、まっすぐで、強くて、エデンの作った国から一歩踏み出そうとした親友たちを前に。
 戦わずに逃げようとするのは、あまりにも不誠実だと思った。

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