第16話 彼ら

 劈くような破裂音とともにエデンは走る。
 足元は悪いが大した問題ではなくて、それよりもずっと拘束されていたほたるのほうがよっぽど苦しかったに違いなかった。距離を詰めても古賀はまだ身体を再構成するには至っておらず、弾き飛ばされたほたるを抱えて距離をとる。
「ほたる!」
 名前を呼び、軽く頬を叩く。ほたるは少しだけ眉根を寄せて「痛い」と抗議し薄く目を開けた。すみれ色の瞳とぶつかって、熱いものがこみ上げそうになる。
「ほたる、ごめんね……」
 ずっと振り回してきたこと、心配してくれたのに気づかなかったこと、そればかりか勝手な行動をとって危険な目に合わせたこと。全部挙げていったらきりがないくらい、エデンはほたるに甘えていた。
 ほたるの方はというと、エデンがなにを謝っているのか、というかそもそも現在の状況すら把握できていないらしい。エデンのぐしゃぐしゃの顔に手を伸ばして、
「無事だったんだ。よかった」
 表情は薄いけれど、心底ほっとしたように息を吐いて。
 その綺麗な表情と向き合うには自分の顔があまりにみっともないと自覚していたから、エデンは顔を隠すみたいに、ほたるの肩に顔をうずめて涙を堪えた。

  

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 やはり実地に慣れているエデンには及ばなかったが、亨の方も危なげなく古賀のすぐ近くまで接近し、身体を再構成しようとする彼の鼻と口を掌で覆った。
「署まで寝てろ、オッサン」
 発動したのは、亨が誘拐されたとき敵が利用した”芳香”の異能力。身体から発せられる芳しい香りには強い入眠作用がある。他にも芳香の合成方法を変えれば異なる効用が得られるはずだが、今のところは睡眠薬を生成するので手一杯である。
 半液状の身体には素早く薬物が浸透するらしい。古賀は身体の再構成を中断し、深い眠りに落ちた。亨が手を離してもぴくりとも動かない。
「おう、オレが来るまでもなかったか?」
 少々遅れて到着した先輩隊員に、亨は苦笑して振り返る。
「先輩。なんとか眠らせたんですが、コイツどうしたらいいですか?」
「よく頑張ったじゃねぇか、あとはお兄さんたちに任せとけ。エデンもお疲れさん。ホタルはどうだ?」
 隼人は少し離れたところに座り込んでいるエデンと、エデンの腕の中にいるほたるを見やった。エデンが「あたしは無事」と短く答え、次いでほたるも小さく、「無事です」と返した。本当に無事かどうか確かめるには医師の診断が必要だが、とりあえず全員そろっていることに亨も隼人も安堵する。
 しかし、それもつかの間であった。
「全員伏せて!」
 黒板を引っ掻いたようなエデンの叫び声がこだまし、直後に響く鉛の雨音。
 反射的に伏せた亨に隼人が覆いかぶさり、ほたるの細い身体をエデンが抱きしめて庇おうとする。
 亨はエデンに千里眼を向けた。
 エデンの聴覚に届いたのは、低い男の声による指示。
『小野ほたる含め全員始末しろ、古賀も最早不要だ』
 淡々と紡がれる言葉は、一つ一つ、怖気が立つほど冷たい。
「ハヤト先輩、たぶん古賀を脅していた奴らです。小野さんも、俺たちも、古賀も、皆殺しにする気です」
「こりゃあ相当数がいるぞ…… どこに隠れてたんだかな、ったく!」
 隼人は古賀の方を一瞬だけ見て、半液状の今であれば鉛玉くらいどうということはなかろうと判断する。そうなると今度は子どもたちの保護が問題となってくるのだが。
「トオル、美雪たちは?」
「……千里眼の射程外です、結構離れてる」
 美鈴の応援に向かった美雪はしばらくこちらには来ない。そして美雪ありきで対策を検討しようとしていた自分に気づき、隼人は苦虫を噛み潰したような気分になった。これではいつまで経っても負け犬の大将だ。
 隼人と亨の視線が交錯する。ほたるは弱り切っておりエデンはそもそも感知系能力者。戦えるのは二人しかいない。
「防御系の異能って持ってるか?」
「”氷の盾” とか “過重力” とかですね。身を挺して守るのがアリなら “硬化” も」
「傷つく恐れがあるのはナシだな、結晶化が進む。三六〇度 “過重力” 展開して弾を潰すか逸らす方向で行くぞ」
「うっす!」
 亨の返事とともに二人は立ち上がり、亨はほたるとエデンのもとへ、隼人は両の手を構え攻撃態勢を取る。
 しかし、反撃の狼煙を上げたのは、隼人でも亨でもなく、

  

「魔王の友人に手を上げようとは。三下風情が好い気に成るな」

  

 銃弾がスローモーションで巻き戻され、銃身に吸い込まれて破裂する。
 新たな人影に警戒を解かない隼人と、ぽかんと間抜けに口を開いた亨の前に立つ、漆黒の魔王が。
 小学校低学年ほどであろうか、白いワンピースに不釣り合いな九節棍を携える少女を連れ、至極不機嫌そうにそこにいた。

  

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 火薬の臭いと耳をつんざく銃声、そしてほたるに覆いかぶさったまま震えるエデン。だんだんと鮮明になる意識は、今、自分たちが危機的状況にあることを、嫌というほどほたるに突き付けた。
 ああ、戦わなくては。エデンを守らなくては。
 常であれば考えるより先に体が動くのに、今はどうしても動けない。
 怖い。戦うのが、守れないのが、傷つくのが、どうしようもなく怖い。
 そんなこと、今さら考えるべきではないのに。他に考えなければならないことはたくさんあるはずで、視界の端に映った隼人と連携を取るとか、隼人と一緒にいるのであろう美雪のアシストを務めるべきなのだろうかとか、エデンを連れて逃げるのが最適解なのだろうかとか、そのためにもまずは状況を把握しなければならないとか。
 そんな、普段なら反射的に神経を駆け巡るすべてがすっぽりどこかへ消えてしまって、残ったのは震える身体と動かない頭だけ。いつもどうしてあんなに迷いなく動いていたのかさっぱり思い出せない。
 ただ、一つ言える。わたしは今、とても怖い。
 怖くて怖くて、なにも考えられない。
 誰か助けて。
(お母さん、)
 もう、いない。
(お父さん、)
 初めから、いなかった。
(美鈴…… エデン……)
 傷つけてしまった。守らなきゃいけなかったのに。
 今さら守ってくれだなんて、言えない。
 誰も守ってくれない。
 ああ、でも、誰でもいいから。誰か。
「誰でもいいから……!」
 どうか、こんなわたしを。

   

「誰か助けて……‼」

  

 頭の中で、鎖が外れる音がした。
 溢れ出すのは、忘れてしまった記憶と涙。

  

「─── 魔王、四条理仁。友との約束を果たすため、馳せ参じた」

「ほたるを泣かせる奴は誰? 全員喰い殺してあげるわ」

  

 そうだ、彼らだ。
 百日紅の咲く公園で、わたしに微笑みかけてくれた。
 守るために忘れた、彼らは。

  

「陛、下…… さくらちゃん……」

  

 黒衣の魔王と、白いワンピースの幼い魔獣。
 四条理仁と烏丸桜は、ほたるの記憶のままの姿で、佇んでいた。

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