第6話 嫉妬

  

 暦の上では秋とはいえ、真昼の厳しい日差しは年頃の少女たちにとって大敵であり。
 紫外線を避けて選んだベンチは、本来は三人の憩いの場だった。
 ……数日前まで、は。
「ほんっとに信じられないんだけど!」
 ベンチにふんぞり返りながら、普段は通り過ぎる自販機で奮発したいちごミルクを勢いよく飲み下し、エデンは唇の先を尖らせた。隣の美鈴が「まあまあ」となだめてくれるが、二人の間にある中途半端な空白を、彼女だって気にしていないはずがない。
 そんな憩いの場に、最近になって入り込むことを許された亨は、ひとつ隣のベンチでおこぼれのいちごミルクをちびちび啜っていた。彼はエデンを横目にさらりと、少女たちの不満の原因を、悪びれもなく呟いた。
「そういえば小野さん、また支部に行ってんの?」
「ソレよ!」
 まさしく、エデンの不満は、今ここにいない親友に向かっていた。
 四条理仁がSLW日本支部に拘束されたのが先週のこと。
 以来、小野ほたるはなにかと理由をつけて、昼休みのほんの小一時間ですら彼のもとへ通うようになっていた。
「おかしくない? こんな短い昼休みに! たった一〇分ちょっと話すためだけに! あたしたちとのランチを拒否するとか! 本ッ当にありえないんだけど!」
「まあ、ほたるらしくないよね」美鈴は怒っているというより、戸惑ったようにそう言った。「彼の立場は重要参考人だもの。ジュニア隊員が、というかほたるが、理由もなく面会を繰り返していい相手じゃない。ほたるもわかっているはずなんだけど」
「ハヤト先輩はなにも言わないけど。そろそろミユキ先輩がキレそうだよな」
 常であれば是にしても非にしても美雪に噛みつくエデンであるが、今回ばかりはほたるが悪いと思う。エデンたちは特例の見習いに過ぎないジュニア隊員であり、本分はハイスクールの学生である。昼休みとはいえ学生として過ごすべき時間に違いなく、招集もないのに支部へ出向くなど、見つかったら始末書ものだし、降級もありうる。
 エデンとしても、ほたるを引き留めるべく朝から休憩時間ごとに『昼休みは一緒にランチするんだからね!』と口を酸っぱくして言っていたのに、しかも今日は三人分のいちごミルクを用意して待っていたのに、いつの間にかほたるの姿は消えていて、呼び出そうと取り出したスマートフォンに『忘れ物を取りに行きます』のメッセージがぽつんと届いていた。
 あんまりにも腹が立ったので、ふらふらと食堂に向かおうとする亨の後頭部に飲む人のいなくなった紙パックを投げつけてやった(そのあと美鈴に怒られたしいちごミルクは亨のものになった)。
 美鈴も美鈴だ。亨とばかり話し込んで、エデンのことは癇癪を起した子どもにするみたいに、たまに片手間でなだめるだけ。面白いことなんて一つもない。
「十兵衛くん、だっけ? 小野さんを案内してる子って」
「高辻十兵衛くん。プライマリーへの編入が予定されているけど、神崎支部長の承認を得られるまでは『当面放し飼い状態』って、お姉ちゃんも悔しがってた」
 ちびちびといちごミルクを啜っている亨と、いつまでも食事が進まない美鈴の静かな声に耳を傾ける。
 ほたるが見つかっていないのは、魔王の部屋へとほたるを連れてゆく案内人のせいだ。魔王の騎士だと名乗った少年が、ほたると魔王の面会に協力している。魔王自身もなんらかの異能を用いているらしく、ほたるはこれまで誰にも見つかることなく魔王との密会を果たしている。一応、魔王の方はSn細胞の機能抑制剤を打たれたはずなのだが、結晶型には効かないのだろうか。エデンにはわからないし面白くない。
 もっとも。ほたるの行動は見つからないだけであって、関係者には当初からバレている。ほたるは日頃の行いが清廉潔白であり、自身の行動を誤魔化すということを知らずに生きてきた。その代償と言うべきか、咄嗟に飛び出す嘘が稚拙で、エデンと美鈴が問い詰めればボロが出るのはあっという間だった。美雪と隼人も姿を捉え切れないだけで、ほたるの不自然な入館履歴についてはチェック済みであるし、もちろん須藤も報告を受けている。
 ただ、美鈴とエデンはほたるへの懲罰を恐れて須藤に伝えかねており、美雪と隼人は確たる証拠を掴むまでは足踏み状態、須藤はといえば一〇年前の件でほたるに引け目を感じているのか現状黙認しているに近い。ほたるはこんな、なにかのはずみであっさり崩れてしまうであろう緊張状態にあっても、むしろこの状況を利用して、魔王に会おうとする。
「ねーぇ、トオルーぅ」
 不満をたっぷり込めて名前を呼んだら、「なに」と嫌な顔をした。ちょっと気味がいい。
「あんた、感知系でもかなりいい能力使えるでしょ。なんかうまくやってほたるを取り返してよ」
「お前さぁ、人の異能がなんなのか知らないくせに顎で使う?」
「須藤隊長とか白雪姫とかハヤト先輩たちの目を盗んでさ、もう無駄だってほたるに知らしめてやるの」
「一番早いのはエデンと鏑木の二人でしがみついて離さないことだと思う」
 それができないから相談しているのに。
「そうよ、エデン。明日は蔓で締め上げてでも止めよう?」
 美鈴もわりと、いやかなり、結構ギリギリまで怒っているらしい。微笑みながらさらりと物騒な案を示してきたのでエデンはぎょっとした。
「明日は、ほたるの足音に注意してね。下駄箱に行く音がしたら知らせて。私が蔓で動けなくするから」
「……わかった」
 美鈴に限って怪我をさせることはないだろうが、ほたるだって強情である、黙って捕まってくれるはずがない。なにより、三人の間でこんな話をする事態になるなんて考えたこともなかったから、エデンは一抹の寂しさを覚えた。

  

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 エデンに頼まれるまでもなく、四条理仁たちが現れたあの場所で千里眼を使用していた亨には、ほたるが「忘れていた」一件を垣間見ることができた。
 ……風音には乱用するなと忠告を受けた千里眼、須藤の指示とはいえ頼りすぎている気がしないではない。とはいえ、オリジナルほど性能は高くないし許して欲しいと、誰に対してだかわからない言い訳を繰り返す。

 事の起こりは九年前、ほたるがエレメンタリーに入学した春のこと。
 百日紅の木と、黒い羽根飾りみたいな長い髪を二つ結びにした少女と、制服姿の、すみれ色の目と白髪の少女。
 そして記憶の最後は、腕の中にいる少女がほたるの名前を叫ぶ声と、それを振り切って背を向けた、苦々しい映像で締めくくられた。

 ……理仁の記憶は、あんまりにも情報が少なすぎて、ほたるが理仁に執着する理由はさっぱり見えてこない。本当にその場にいたのか疑わしいほど、理仁自身の感情の動きが読めなかった。
 あの場で同時に見えた桜の記憶も断片的であった。ほたると「髪を切った」などと話していたことと記憶の視点からかんがみるに、おそらく彼女が、黒い二つ結びの少女だろう。

『あたしは愛されてなんかないわ。そんなことありえないもん』
『だから、ほたるが理仁を好きなら、あたしは応援する』
『あいつならほたるのことも守ってくれると思う』
『ほたる! ほたるぅ!』

『約束して! ほたるを守るって約束して……!』

 桜の方は感情が複雑にこんがらがって、やはりなにが起こっていたのか判然としない。
 最後に残ったのは、罪悪感。これはほたるを置いて逃げたことについてだろうか、それとも。

「……、甘……」
 ちびちびと飲み進めていたが、なかなか減らないいちごミルクに意識を戻す。
 これ以上は考えたところで邪推にしかならない気がした。ほたるの記憶を探るのが最も簡単で確実だが個人的な興味で千里眼を使うほどデリカシーのない人間になる気もない。ほたるが話してくれるのを待つことにする。……今は話すどころか、ここにいないのだが。
「そろそろ戻ろ。小野さんも帰ってるかもしれないし」
「あんたが仕切んないでよ!」
「エデン、戻ろう? 次は理科室でしょ、ちょっと急がなきゃ」
 美鈴の指摘もあって、渋々といった体で従うエデンに一応礼を言っておく。
「いちごミルク、ごちそうさま」

  

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 なんだか嫌な気分だ。
 二人が会っている間、十兵衛は一人、廊下で待機する決まりになっていた。
 理仁が望むことは可能な限り叶えるという騎士の意地と、義姉が思いを寄せていたはずの理仁に近づこうとするほたるに嫌悪感に似た何かを覚えてしまう少年の戸惑い。どちらも、十兵衛という善良すぎる少年の偽らざる本心であった。
 それでも、自分にとって大切な人は誰か、順番を振るなんて悪趣味だと思うけれど、十兵衛が一番に思ったのは義姉の寂しげな顔で。彼女ならどうするか考えて、結局理仁の指示を受け入れた。
 しかし、さすがにそろそろまずいんじゃないかと思う。
 十兵衛が指示を受けたのは、裏のゲートから入館したほたるを理仁が隔離されている部屋まで運ぶこと。その方法は至極単純、魔王の特別製の血を十兵衛が身にまとい、ほたるをその血で包み込んだまま高速移動するという、理仁らしい力業である。特別製というのは視覚操作と存在確率操作の二段組の魔法であると聞いている。確かにこの血を使っている間は誰からも視線を向けられなかったし、所員にぶつかって大事に至ることもなかった。
 とはいえ、いつまでも隠し通せるとは十兵衛には思えない。わりと気難しそうな女性隊員に睨まれることが増えたし、その隣にいる人の好さそうな男性隊員は何かにつけて話しかけてくるようになった。怪しまれているのは明らかで、弱音を吐くと正直かなり胃が痛い。
 そもそも、こんなに頻繁に会う理由がわからない。理仁とほたるが会ったというのは十兵衛が本当の母親から引き取られるより前のことだったから、詳しいことはわからない。十兵衛は桜と理仁から記憶の断片を聞いただけだ。
『ほたるは、あたしたちの友達で、あたしたちを逃がすために、SLWに残ったの』
 友達だと、桜は言った。港で再会したときの様子を思い返してみても本当だと思う。
『彼女はオレが守ると約束した友人だ』
 友人だと、理仁も言った。……それは、
(本当に?)
 友人を、危険に曝してまで、隔離されている自分のもとへ送らせるだろうか。
 それとも、リスクを冒してでも会いたかったほど、大切なのだろうか。
 十兵衛はどちらの仮説も違う気がした。どちらも理仁らしくない。十兵衛が知っている理仁は、ぼんやりしていてどこか抜けていて、けれども戦中での勘は鋭く、自身を顧みないという致命的な欠点はあるものの、友人を思いやる優しさにあふれた男だった。
 そう、彼らしくないとは思うのに、それを本人に伝えられないのは、詰まるところ「自分が桜を思っているが故の、ただの嫉妬かもしれない」という自分への疑念があるからだ。理仁の隣にいるべきは桜であってほたるではないと、ずっと二人を見てきた十兵衛は思っていたし、桜が別れを告げた今となっても、そのように思っている自分を否定できない。だから、理仁に近づくほたるを受け入れられないのだと、そう指摘されたら言い返せないだろう。十兵衛には、九年前に理仁たちが何を思い、語り合ったか、知る術もないのだから。
 もやもやと燻ぶる胸中を深呼吸一つで整える。ノックを続けざまに四回。ほたるを学校へ返す時刻だ。
 十兵衛はほたるの表情も見ないまま、部屋から抜け出した彼女を背に生える羽の中に閉じ込めた。

  

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 自分はいつから、これほど他人に執着するようになったのだろう。
 ここへ来る前から、ということはないと理仁は思う。十兵衛や聖に聞いてみたらあるいは「いや、ずっとそうだったじゃねぇか」とか「昔からそうですよね」とか言われるのかもしれないが、現在のところ指摘されたことはないのでたぶん、自分は自分が思っている通り、他人への関心の薄い人間だったはずだ。
 それが今は、ほたるがここへ来なければどうにかなってしまいそうな心境でいる。
 ああ、そういえば。いつか、桜が言っていたか。
『変わり映えのしない世界に人は住めないわ』
 あの小さな箱の中で、小窓から見える花と空の色だけを頼りに、――そしてひょっとすると、絶えず向けられる憎しみさえも救いにして――生きてきた少女。彼女に、もう一度会いたい。会いたいと、彼女にも思っていて欲しい。
 ……少し疲れているのかもしれない。次にほたるが来るのは放課後、夕方になるだろう。それまでしばらく横になっていよう。
 理仁は思考を打ち切り、ベッドへと倒れ込んだ。

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