雨降り止まねど他生の縁

  

 ……雨か。
 ふと窓の外に意識をやれば、予報より早く降り出した雨が曇りガラスを叩いていたが、大して気にせず書類に視線を戻す。捜査の合間を縫って訪れたのは過去の捜査資料の保管室。その中には、美雪個人がどうしても解決せねばならないと胸に刻んだ事件が未解決のまま眠っている。

『恩田雄一郎殺害事件』

‪ 恩田雄一郎。美雪の実父の名。
 彼に関する思い出なんてひとつ残らず棺桶に詰めて焼いてしまった。残ったのは家族の間に横たわる深い溝だけ。
 父はいわゆる『異能者排除主義』の活動家だった。美雪が生まれるよりも前、異能者による大量虐殺事件を受け各地で蜂起した、異能者の隔離政策を訴え──もっと過激な団体であれば、異能者の処刑をも要求していた──無知ゆえの恐怖が生み出した思想家集団。SLWの発足にともない規模は徐々に縮小していったが、美雪が生を受けた頃はまだそれなりに力を持っていた。
 父が殺された後、精神の不安定さが増悪し現在も入院生活を続けている母は、自らが異能者であることを認識していなかった、潜在型の異能者だった。それゆえ、父の思想に特にこだわることもなく結婚し、子を為した。それが美雪であり、妹の美鈴であり、……今はどこにいるか知れない、弟の美鶴である。
「……どこほっつき歩いてるんだか、あのバカは……」
 捜査資料の最終ページには、内容を知っていなければ判読できないほど汚い字で,誰かが『恩田美鶴 駅方面へ逃走 追跡断念』と書き殴っていた。

 

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 自身の子らに異能の才があると気づいた鏑木美優は、それを雄一郎に隠すことを選んだ。美雪も美鶴も、その言いつけを忠実に守り、美鈴が生まれてからの四年間も、家族はその体裁を保っていた。

 離婚のきっかけは美鈴の異能だった。美鈴がなぜ父の前で異能を使ってしまったのか、美雪は知らない。なにか理由があったのかもしれないし、突然制御できなくなったのかもしれない。別に詮索する必要はないと思う。結局、異能者であることを隠していた美優と美鈴は家を追い出された。
 調停の結果、美雪と美鶴の親権は父が、美鈴の親権は母が握ることになり、母は夫の信頼に背き嘘をつき続けたと強い非難を浴びることになった。そんな中で美鈴の養育費なんて言い出すこともできず、母は着の身着のまま実家に戻り、その後は妹である由美の家で暮らすことになった。
 その経緯についても美雪は関知していなかったが、由美の説明が記録に残っていた。雄一郎に口汚く罵られ捨てられた美優は情緒不安定で、とても一人で子育てなどできる状態ではなかった。しかし実家の祖父母も昔気質のひとであったので、雄一郎に謝罪して家庭に戻れと、美優を追い詰めた。見かねた由美が、祖父母から奪うように、美優と美鈴を自宅に連れ帰ったのだ。

 他方、異能者であることを隠し切った美雪と美鶴は、父とともに渡米した。供述調書のうち、アメリカでの生活についてはほとんど美雪自身が説明したものなので、軽く目を通すのみで頁をめくる。
 父との生活は窮屈だったのを覚えている。現地の女医であったエリザベートと再婚し、今度こそ家族を統率しようとした父は、美雪と美鶴に厳しいルールを敷いた。当然生じる反発心とストレスを発散する場、そしてなによりスリルを求めて、美雪と美鶴は夜な夜なストリートへ出向き異能を振るった。美雪の実戦経験の多くはそのとき得たものだ。……自慢できた話ではないが。
 まあ、悪いことはするものではない。悪行のあれこれはいつしか明るみに出て、美雪の異能は雄一郎にバレた。家を叩き出された美雪はSLW合衆国支部へ赴き、手続きを経て日本へ帰国。母を頼ることは考えられなかったから、SLWの支援を受けることになった。
 あまり褒められたものでないアメリカでの生活が赤裸々に綴られた調書を何枚かめくり、エリザベートの供述に目を留める。
 通訳との調整が難しかったのか、エリザベートの調書は分厚い記録のうちのほんの二、三頁だった。美雪が帰国したのち、由美を通して雄一郎へ『美雪の親権問題について裁判所への出頭命令が出ている』と連絡があったと、頼りない筆致の日本語訳が記されている。雄一郎はエリザベートと美鶴を伴い渡日。事件が起きたのはその日の夜。
 その日は美雪も由美から呼び出されていた。すでにジュニア捜査員として活動していた美雪は、たまたま先約が長引き合流が遅れた。父の死体が発見されたとSLW捜査員たちが忙しなく立ち回る現場に到着したときは、我ながら薄情だとは思うが、悲しむより先に唖然とした。
 雄一郎の死因はナイフで背後から刺されたことによる失血死。それもただの失血ではない。現場は血の海と化していた。血液は凝固することなく、遺体を運び出すその時になっても零れ続けた。検視官による見立ては、血小板の異常による凝固作用不全を伴う失血。異能者が関与した可能性が濃厚な事件とされた。

 財布などに手をつけられていなかったことから、容疑者は当日集まるはずだった親族に絞られた。
 一人目は、美雪。犯行に用いられたナイフが、ストリートで美雪が愛用していたものだったためだ。容疑はすぐに晴れた。直前まで捜査活動に従事しており、犯行時刻に現場へ到着することは不可能であると、須藤を含め複数の隊員が証言してくれたためである。
 二人目は、美優。異能が突然顕現したのではないかという推測だ。しかし、これも血液検査の結果、否定された。彼女のSn細胞は非活性だった。そもそも、彼女は心神耗弱の状態で、医師の指示もあって取調べすらまともに受けることができなかったようだが。
 三人目、由美。異能者ではないが、姉を貶められたという動機がある。これは「エリザベートと共にいた」という本人の供述と、エリザベートの証言により裏づけられ、否定される。推定犯行時刻から客間で雄一郎の遺体が発見されるまでの時間、彼女はエリザベートとともにリビングで過ごしていたという。エリザベートと由美はその日初めて会った、「紛争の末離婚した妻の妹」と「前妻を捨てた夫の後妻」である。庇い立てする理由のない互いの証言には一定の信用性があると認められた。同じ理由で、四人目のエリザベートも白。
 美鈴の異能による不慮の事故の線も考えられた。しかし、彼女の能力では多量の出血を説明できないし、体格的にもナイフなんて扱いきれない。

 六人目が、美鶴だ。
 血液溶解の異能者、恩田美鶴。
 彼の血は他人の血を溶かす。

 美雪が追い出された際に恩田の家に残したナイフを、彼が持ち込むことは考えうる。また、事件発生まで、彼は単独で行動していた。そして事件後、由美の自宅を逃走している。彼が捜査線上で最重要視されたのは自然な流れだった。
 異議を唱えたのは美雪だけだった。美雪は美鶴をよく知っている。彼の性格も戦い方も。

 雄一郎の刺され方。
  
 これだけで、事件の犯人は美鶴ではないと、美雪には断言できる。おまけに、航空機でナイフを持ち込むならそれなりの技術と準備が必要なはずで、そんな手間をかけるくらいなら現地で調達するのが美鶴という少年だ。彼には別に美雪のナイフにこだわる理由がない。まさか美雪の復讐なんて彼には似合わないし思いつきもしないだろう。
  
 けれど美雪の言葉だけでは、捜査員たちを納得させるには足りない。客観的な根拠が必要だった。だから美雪は頁をめくる。何年もここに通って。何度も何度も、紙が擦り切れても読み続けた。時には担当捜査員に会うこともした。あまりよい顔はされなかったし、得られるものもなかったが。

  

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 こちらを睨んできたから、酒場を出てきた男の脚を圧し折った。みっともなく泣き崩れる男を両脇から抱えて、仲間たちが店へと引き摺り連れ戻す。あんな男でも仲間思いに囲まれて幸せだなと感心しつつ、螺子の先でポケットから絡めとった財布を開き、紙幣を抜き取って掃き溜めに捨てた。
「美雪ィ、どんくれー稼いだ?」
「……50$。美鶴は?」
「ちぇっ。42$。今夜は美雪の勝ちかぁ」
 まだ声変わりが終わっていない少年の声。美鶴は今夜の「戦利品」をチェックしていた。
「タバコとぉ、あとなんかクスリも持ってた。美雪、要るかぁ?」
「要らない。捨てときなよ、ロクなクスリじゃないって」
「んー、どぅしよぉ? 今度“そこらへんの“に使ってみよぉぜ?」
 美鶴はそう言って、白い錠剤を後ろポケットに無造作に詰め込んだ。誰に使うかは知らないが正直どうでもいい。
「帰ろ。なんか曇ってきた。雨降るんじゃない?」
「あーぁ。だる……」
「朝にはやむでしょ」
 美雪は月に翳った雲を指した。か細い影がふたつ、ビルの隙間を歩き出す。
 父と義母が眠っている、大嫌いな家に向かって。

  

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「お? 嬢ちゃんも調べものかい?」
 不意に背後から覗き込まれ、ぎょっとして振り向いた。いつの間にかパーソナルスペースに侵入していたのは、須藤の影響で比較的懇意にしているSLW研究室所属研究員、長谷川邦彦。居心地の悪さを覚えつつも、いつもの完璧な笑顔を貼り付ける。
「……こんにちは。長谷川さん」
「お疲れさん。……ああ、嬢ちゃんの家族の事件か。どうだ、進展はあったか?」
「残念ながら」短く答え、思わず苦笑した。「やはり、弟の嫌疑を晴らすには、彼の残した情報は少なすぎます」
「取調べの前に逃げちまったんだから仕方ねぇな」
「それは……そうですわね」
 事件現場から逃走するところを捜査員に目撃されているのだ。美雪が三十分早く到着していれば地面に縫い付けてでも確保できていたのに、逃げた美鶴はもちろんのこと、むざむざ取り逃がした捜査員すら恨めしい。
「……ああいや、悪ぃ。嬢ちゃんが『やってない』って言うんだから、ミツルはシロなんだろうが。状況が悪いってことだ」
 長谷川は慌てて訂正した。人相の悪い男だが、須藤が信頼しているだけあって性根はお人好しなのだ。その『ちぐはぐ』さがおかしくて思わず笑ってしまう。
「褒められたことはしてこなかった私たちですから。仕方がありませんわ、ツケが回ってきたのでしょう」
「……そうだ、その件で朗報がある。親父さんの検死に携わったドクター、日本に戻ってきたらしいぞ」
 美雪の指が止まる。あの事件の夜、たまたま管轄の総合病院で当直だったという医師は、その後研究のため海外へと旅立っていた。それが、ようやく。
「ツテを辿れば会えるかもしれん。会うか?」
「是非、お願いします」
 パイプ椅子を蹴り飛ばさん勢いで立ち上がり、静かな部屋に不快な音が響いた。それに気づくこともなく美雪は頭を下げる。常ならばありえない失態を、長谷川は咎めなかった。
「わかった。時間は掛かるだろうが、任せとけ」

 ──美雪が弟と再会するのは、その年の冬。
 いつか競い合った、あの悪臭漂うストリートを彷彿とさせる、ビルの狭間での話。

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