ピコン。
静かなロッカールームに響く着信音。画面をスライドさせると、今年できた帰国子女の友人のメッセージが飛び込んできた。
『おもち、なくなった。ほたるにたべさせたかったのに』
ふーん。少し考えて返信する。
『食べたの?』
すぐに既読がつく。返事も秒単位で迫ってくる。
『ほたるのぶん たべるわけないじゃん』
『たべられた』
『たいちょー ゆるさん』
須藤隊長、仕事納めにエデンの対応をしなければならないなんて大変だなぁ。
他人事なのであまり危機感を覚えずにいたが、次のメッセージに亨も表情が曇る。
『買いに行く ついてきて』
窓の外を見る。まだ晴れているが、夕方から曇りだして、夜は雪が降るという予報だ。できればあまり出掛けたくはない。
しかし、これで出ていかなかったら年明けのあいさつが「薄情者――!」から始まることは必至である。できることなら気持ちよく新年を迎えたい。
佐倉亨はしばし思案したのち、返信した。
『すぐ着替える、5分後にエントランスで』
「ひとりで買いに行けるだろ……」
「いいでしょ、どうせ帰り道なんだから!」
寒さでちょっと赤く染まった鼻をつんとさせて、エデンは怒りをぷりぷりと吐き出していた。
「寮に帰ったらすぐ、おもちを持ってほたるの部屋に押し掛けるつもりだったの。だから、今朝1キロ入りのおもち一袋買って給湯室に置いておいたの。で、任務から帰ってきてみたら、全部たいちょーが食べてたの! 全部よ、全部! 信じられる? おなか壊すわよ!」
「隊長のおなかもだけど、認識能力も心配だね」
切り餅ひとつで茶碗一杯のごはんと同じくらいのカロリーがあるはずである、それを1キロ全部とは。
途中で満腹中枢が働きそうなものだが、過労でそこらへんの神経系にもバグが生じているのではないか。
「しかもハヤト先輩に見つかって逆にあたしが怒られるし! 白雪姫もハヤト先輩もみんな、たいちょーに甘すぎなのよ!」
「仕事の邪魔だっただけだろ。ほら、コンビニついた、探すよ」
特殊なおもちを求めているわけではない、普通の1キログラム入りの切り餅を買うだけである。寮と学校の中間にあるいつものコンビニで事足りるはずだった。
しかし、時期は年末。
「あれ、ないじゃん……」
パンコーナーの隣、ホットケーキミックスやジャム、米袋が並ぶ棚の下の方がぽっかりと空いていた。
「おばちゃん、おもちってもうないの?」
念のためレジで顔見知りの店員に確認するが、気のいいパートタイマーの彼女は「ああ、それねぇ」と苦笑して首を横に振った。
「大事な時期なのに発注し損ねちゃってね。もう在庫が全然ないの。ごめんなさいね」
「ふーん、大変っすね」
それから一言二言交わして、コンビニを出る。
抑えていたエデンの怒りがまた、ぷりぷりと湧き出す。
「なによ! なんでこんな大事な時におもちを用意しとかないのよ! 商魂たるんでるんじゃないの⁉」
「はいはい、発注ミスだよ仕方ないだろ。ちょっと歩くけど駅前のスーパーまで急ぐぞ、日が沈んだら寒くなるんだから」
雲行きを気にしながら友人の機嫌を取りつつ来た道を引き返す。
こうしてエデンといると、愚図ったときの妹を思い出す。小学生の妹と同列に並べられたと知ったらそれこそ怒髪冠を衝くだろうから絶対に口にはしないけれど。
「ていうか、今更だけどなんでおもち? お前生粋のアメリカンだろ」
「だって、人生の半分くらいは日本で過ごしてるのよ。むしろ英語って苦手だし」
「それは……どうなんだ?」
「おもちってさ、焼いてる間が楽しいの。ほたると一緒になってじぃって待つ時間がさ。おもち焼いてる時のほたる、真剣そのもので、ちょっとかわいいの」
それこそおもちみたいに丸い頬を緩ませて、エデンは笑う。「そんなほたるを見るのが楽しいの。だから、早くおもち、買って帰らなきゃ」
「……小野さんもエデンのこと、待ってると思うよ」ほんの数か月の付き合いだが、彼女たちの友情には永久に敵いっこないんだろうなと思う。
そんな彼女たちと友人と呼べる関係を築けたことを、亨はなんとなく誇らしく思った。
***
初めからスーパーに行かなかったのは、年末のスーパーの混み具合を亨がよく知っていたからだ。
超聴覚を有するエデンにとって、人混みはストレスになる。しかし、その苦難を乗り越えておもちを手にしたエデンの表情は大層明るかった。
「おもちっ! もちもちっ! ほたるのおもちっ!」
「テンションおかしいぞエデン」
浮かれている。浮かれすぎている。
そのうち足元を絡ませて引っ繰り返るんじゃないかと心配に思いながら、半歩後ろをついて歩く。
「じゃ、帰ろ……」
帰ろうぜ、と言いかけて、足が止まる。車道を挟んで向こう側にいる、これまた今年できた帰国子女の友人が目に留まった。
「あれ、美鈴じゃん。美鈴ー!」
エデンが近くの横断歩道まで走っていくのを亨も追いかける。
美鈴もこちらに気づいたようで、小さく手を振って待っていた。
「エデン、亨。お疲れさま。支部からの帰り?」
「美鈴は今日お休みだよね? どしたの、こんなところまで?」
「私は、その……おもちを買いに」
その語尾が消え入りそうなほど小さかったから、亨は「はて?」と首を傾げた。別に恥ずかしがることでもないだろうに、美鈴の頬は寒さとは違う朱色に染まっている。
「あの、違うの、別におもち焼くのに失敗したとかじゃなくて、ましてや灰にしちゃったとかそんなことは決してなくて!」
「おもち焼くの、失敗したのね」
「おもちを灰にしちゃったんだね」
「う、うぅ……」
聞いてもいないのに自らの醜態を暴露する羽目になった美鈴は、いまにも泣き出しそうなほど赤い顔を、両手で覆い隠した。
どこかで聞いたことがある……情報源はおそらく隼人だった。すなわち、「美鈴は常軌を逸した不器用である」という噂。
その時は何かの冗談だろうと思っていた。だって、鏑木美鈴はどれほど似ていなくても恩田美雪の妹である。
しかし、おもちを「炭」を通り越して「灰」にしたと暴露されてしまうと、その噂にも信ぴょう性が出てくる、気がする。
「昨日買いに行ったばかりなのに…… お店の人に変に思われないかな、食いしん坊だと思われたらどうしよう……」
「こんだけお客さん来てるんだから、大丈夫だと思うけど」
そう言ったら、思いっきり脛を蹴られた。
「痛……っ!」
「大丈夫?」
「バカ亨に女の子の気持ちがわかってたまるか! 恥ずかしいよね、美鈴、わかるよ!」
脛を抱えてうずくまる亨と、亨に気を遣って同じくしゃがみ込む美鈴、そして、訳知り顔で頷くエデン。はたから見たらコントである。
エデンは手にしていた袋のパッケージをばりっと破り、個包装の切り餅をいくつか取り出す。
「どうせ白雪姫と美鈴の二人暮らしなんだから、そんなに食べないでしょ。あたしとほたるも半分しか食べないから、ちょっと分けたげる」
「エデン、気持ちはうれしいけど、その前に亨くんに言うことあるでしょ?」
「え? あー、うん…… ごめん」
「……いや、いいけどね?」
口もきかなかったエデンが、素直に謝るようになっただけでも大した成長である。亨は不満を飲み込んだ。
美鈴はショッピングバッグに放り込まれた切り餅を見て、エデンと亨に微笑む。
「ありがとう。それじゃ……今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください」
「えへへ。美鈴もいいお年を!」
「来年もよろしくなー」
***
五〇〇グラムになったおもちを胸に抱え、エデンは足取り軽く歩く。
半歩後ろを歩きながら、亨は「雲行きが怪しくなってきたな」などと考えていた。
「あ、お地蔵さん!」
住宅街の曲がり角で、エデンが立ち止まるのに合わせて、亨も足を止める。
その地蔵は赤いぼうしと襟巻をされて、道行く人々を見守っていた。
「このお地蔵さん、お正月もここで過ごすのかな」
「そりゃそうだろ」
「だってさ、可哀そうじゃん。ひとりじゃ『お正月~!』って感じもないし、テレビもないし、夜は寒いし」
エデンは少し考えて、ごそごそと袋をあさり始めた。
地蔵の足元に、切り餅を四つ置く。
亨は首を傾げた。「いいの?」
「いいの。お地蔵さんにもおすそ分け。お正月はみんなハッピーに迎えなきゃ」
「そっか」いいところもあるじゃないかと、亨はエデンの隣にしゃがみこんで、手を合わせる。
「今年一年、町のみんなを見守ってくれて、ありがとうございました」
「お地蔵さんも、いい年迎えてね」